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 しばらくして、(りん)(まい)が玄関に戻り、リビングへ帰ってきた。


「おう、遅かったな……って、どうしたんだ?」

「うん、ちょっとお話ししてたの。きゅうり、すごいね。びっくりしちゃった」


 両手いっぱいに、しかも手を真っ黒にして舞は大きなたくさんのきゅうりを抱えていた。


「この時間だと、もう大きくなりすぎちまうんだよな……おい凛、どうしたんだよ」

「……なんでもない……」


 凛は帰ってきてから終始うつむいたままだったが、ついには二階へと駆け上がってしまった。


「なんだよあいつ……腹減ったって言うから急いで作ったのに。何かあったのか?」


 (れん)は舞に尋ねる。しかし舞は「なんでもないよ」と少し節目がちに首を横に振るだけだった。


「そうか……んじゃ、ちょっと軽く出かけてくるから」


 そう言って煉は家を飛び出していった。


「え?どこへ行くの?」


「にいちゃん、いつもこの時間に学校から帰ってきて、僕たちの食事を作ってからまた部活に戻ってたんですよ」


 二番目の弟、駿(しゅん)が説明してくれた。そのハードスケジュールを毎日こなしていたと知り、舞は感心を通り越し、もはや呆れるほどだった。


 自分用のおおきなおむすびだけを作り、それを食べながら自転車で学校へ戻るらしい。自転車も漕ぎ方次第では立派なトレーニングになるとはいえ、どれほどの体力なのか――舞はその頑健さを羨ましく思った。


「でも今は怪我して引退しちゃったから……軽いリハビリ代わりに、外で自主練を少しだけやるんです」


 舞はリビングの応接間で正座をし、駿と向かい合って会話をしていた。


 そこへ母親が帰ってきた。


「ただいま〜……あら?お客さん?」

「あ、かあちゃんおかえり。煉の彼女さんだよ」

「ええ?煉の彼女だって?どれどれ……?……!」


 母親はみるみる青ざめ、両手いっぱいの買い物袋をドサッと落とした。震える視線を舞に向ける。駿は「なんだ?」と言いたげに二人を交互に見やるが、わけがわからない。


 舞はすぐに反応した。正座から重そうに立ち上がり、母親の背に手を回すと、そっと耳元に声をかける。そして母親とともに玄関へと歩いて行った。


 駿はますます訳が分からなかったが、炊飯器のアラームが鳴ったので、そのまま台所へ向かった。


「は、はい……」

「おかあさま、そうではなくて……」

「え、ええ……」

「まだ……そう」


 二人は何かをひそひそと話し合い、やがて母親が大きなため息をつきながら戻ってきた。兄弟たちは事情を知らず、ただ首をかしげていた。


 時刻は十七時。煉も戻り、家族そろって夕食をとることになった。


 浮かない顔をしたままの凛を除いては、みな舞の食事の所作に見とれていた。いただきますの挨拶から、茶碗を取る仕草、口に運ぶ様子――まるで人形のように整っていた。


「おいしい! 煉くんの作ったお味噌汁、とても美味しい」

「そ、そうかよ。そりゃよかった。ほら凛、漬物食え。今日は部活休みか?」


 母親はまだ顔を青ざめさせていたが、みな食事を進めるうちに次第にいつもの活気を取り戻していった。


「かあちゃん、原付取りてえんだけど」

「まだ怪我のところ、痛むのかい?」

「なんかみんな免許取り始めてるんじゃ。俺もカブに乗りてえ。学校まで十五分で行けるようになるし。ああ、あと難波とも今日話した。もう心配しなくてええ」

「そう。難波くんも気にしいじゃけえね。よくあんた、話す気になったね」

「ああ、舞が背中押してくれた。駿、今日の夜は受験勉強するんじゃろ。見たるわ」


 舞は、このよく喋る、今までとまるで印象の違う少年に圧倒されていた。自分と向き合っていたときとはまるで別人のようだ。それに、この面倒見の良さにも目を見張るばかりだった。


「ま、まあ、なんてこと……きょ……舞……さま……」

「いいえ、とんでもありません。おかあさま、どうかお気になさらないでください」

「なんだよ母ちゃん、どうしたんだよさっきから」

「な、なんでもないよ! 舞さん、ありがとうございます。こんな息子のために……」


 ぎこちないながらも、母親はしっかりと手を前につき、深くお辞儀をした。舞は慌ててその肩に手をかけ、「そんな、どうかお顔をお上げください」と促した。


「よし! 凛、食ったらランニング行くやろ。俺、先にストレッチしとく」

「あ、まって……ごちそうさま」


 そう言って煉と凛は片付けもそこそこに、慌ただしく外へと飛び出していった。


 本当に忙しない煉だったが、舞は彼の生活の一端を垣間見たことで、なぜだか胸が熱くなるのを感じていた。


「片付けは僕と、この子の当番なんですよ」


 駿が小学生くらいの男の子の頭を撫でた。丸刈りで愛嬌のある顔立ちをした、どこか煉に似た子供だった。背筋をぴんと伸ばし、丁寧に箸を扱いながらご飯を食べる姿は、この家族のなかで一番落ち着いているように見えた。


「私もお手伝いさせてください」


 舞が申し出ると、駿は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに笑みを浮かべて「わかりました」と応じた。


「な、なにをおっしゃっているのですか、そんなこと……」


 母親は血相を変えて声を上げた。舞が目で合図を送ると、母親はすぐにしゅんとし、再び茶碗に手を伸ばした。


「どうしたんだい? かあちゃん」


 駿は相変わらず、母親の心情など知らずにいるのだった。

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