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「あ、やべえ。メシの支度しなくちゃ」

 (れん)が急に思い出したように言った。スマートフォンは持ち歩かないのだろうか、プラスチック製のデジタル腕時計を見て、慌ただしく立ち上がる。


「煉くんがご飯のお支度をしているの?」

「ああ、そうだ。さっきも言ったけど兄弟が多いから母ちゃんが大変でさ。俺が晩飯作ってんだ」


 (まい)はずっと驚き続けていた。出会った瞬間からそうだった。自分の立場を考えれば、食事を自分で作るなど到底思いつきもしない。都会か地方かという問題ではなく、ただ舞がそのような家庭環境を知らなかっただけだった。


「って言っても、ご飯炊いて味噌汁作って、肉か魚をなんかするだけじゃ」

 それで十分すぎるのではないか。自分にやれと言われても出来る自信などない、と舞は思った。


 そして急に、舞は提案する。

「わたしも煉くんのお家に行きたいな」

「はぁ?なんでだよ。おめえが来るようなとこじゃねえよ」


 煉は思う。舞とはきっと家の大きさからして違う。こんな麗しい白のワンピースを着る少女など、この地方ではまず見かけない。そしてそんな舞の距離の近さに、煉は戸惑いを覚えていた。


「お母様は夕方はいらっしゃらないの?」

「母ちゃんはパートだよ。もうすぐ帰ってくるけど、父ちゃんは今日はたぶん遅い」

「じゃあ、わたしにも手伝わせて」

「だから、なんでそうなるんだよ。やべえ、マジで急がねえと」


 そう言うなり、煉は駆け出した。

「あ、まってよ」


 舞が振り向きざまに手を伸ばしたその瞬間、体勢を崩して堤防の端から落ちかける。煉はとっさに舞の身体を両手で受け止めた。


「あぶねえ……なにしてんだよ」

「ああ、よかった。ありがとう煉くん。だって急に走り出すんだもん」


 舞は煉の腕の中で涙ぐみながら微笑んだ。

「ま、まあ……無事でよかったぜ……」


 煉は恥ずかしげに顔をそむける。舞はまだ微笑んでいる。

「ごめんね。わたし、ちょっと身体が弱いんだ」


 儚く微笑む舞の顔を見た煉は、一瞬意味がわからなかったが、すぐに口を真一文字に結び、目を細めた。腕の中の舞の身体は、驚くほど華奢(きゃしゃ)だった。


「……そっか。わりぃ。変なこと言うからなんか拒絶しちまった。よかったら、うち来いよ」

 そう言ってまた顔を横に背ける。


 舞は一瞬はっとしたが、すぐにぱっと笑顔になった。

「……うん!ありがとう」


 煉は舞を抱いたまま歩き、自転車の荷台に座らせる。

「いくぞ。しっかり掴まってろよ」

「まって、どうすればいいの?」

「俺の腰に手を回して、ぎゅっとしてろ。カーブ曲がる時は言うから重心を……」


 そう説明しかけたが、きっと理解できないだろうと思ったのか、途中で言葉を切り、そのままペダルを漕ぎ出した。


「わぁ!」

「しっかりつかまってろって」

「う、うん……!わぁ……気持ちいい……」


 夏の日差しの中、薫る海風を一身に浴びながら自転車は走り出す。初めての体験に舞は、わずかな罪悪感と大きな感動に包まれていた。ふと漂う煉の汗の匂いに、胸の奥がふわりと揺れるような感覚を覚える。


 ほとんど信号のない道を走り抜け、たどり着いたのは、大きな庭のある二階建ての和風の家だった。白い犬が繋がれ、建物は改築されたばかりなのか新しい。裏には畑が広がり、作物が青々と育っている。


 走り出してから数分、舞にとってはあっという間のアトラクションだった。自然と笑みがこぼれ、涙さえ滲んでいた。


「怖かったか?」

「うん。でもすごく楽しかった」


 煉は舞に手を差し伸べ、荷台から下ろしてやる。


「にいちゃん帰ってきた」

「おかえり」

「レンが帰ってきた!」

「そのおねえちゃん、だあれ?」


 ぞろぞろと煉の家から兄弟たちが出てきた。上から順に男の子、女の子、男の子。一番上の男の子は小さな女の子を抱っこしている。


「こいつは今日知り合った同い年の子だ」

 煉はぶっきらぼうに紹介する。


「うふふ、花咲舞(はなさきまい)と申します。お兄ちゃんのお友達だよ。よろしくね、みんな」


 手を前に揃え、兄弟たちを見ながらお辞儀をするその所作(しょさ)は流れるように美しく、まさに花のような可憐さに、兄弟たちだけでなく煉さえも見とれてしまった。


「にいちゃんの彼女か?」


 二番目の弟がそんなことを口にする。白いシャツに仕立てのいいズボンを履いており、きっと中学生なのだろう。


「バカいうんじゃねえ」

 煉は焦って否定する。舞はにこにこと微笑んでいるばかりで、兄弟たちは戸惑いを隠せない。


「煉、お腹すいた」

 三番目の女の子が言う。二番目と同じくらいの年頃に見える。制服らしいスカートを履いている。


「いま作るから待ってろ。ってか晩飯にはまだ早えぞ。舞、あがれよ」

「うん、ありがとう。お邪魔します」


 舞は玄関で靴を脱ぎ、すぐにそれをくるりと揃える。その仕草でさえ、煉を含む兄弟たちを魅了した。


「ご飯はさっき駿(しゅん)が研いでくれたよ」

「舞さんこちらへどうぞ。にいちゃん、きうりもう取らないと」

(りん)、裏から胡瓜(きゅうり)とってきてくれ」

「ええ〜やだあ、めんどくさい」

「じゃあおめえ漬物なしな」

「え〜しょうがないなぁ」


 なんと穏やかな家庭だろう。舞は通されたリビングの大きなテーブルのある座卓に座りながら、兄弟たちの夕食の準備風景を見て感じていた。こんなにも温かく、仲が良く、協力しあう家族。舞はどこか遠い視線を送りながら、それを見守っていた。


 ぶうたれながらサンダルをつっかけ、裏庭へ胡瓜を取りに行く凛と呼ばれた妹に、舞は自然と歩み寄った。


「わたしもお手伝いしたいな」

「……え、いやですよ……」


 人見知りで思春期真っ只中の凛はそう答える。


「舞、無理すんな。土いじりなんてしたことねえだろ」

 煉は味噌汁の支度をしながら心配そうに声をかけつつ、凛に目配せした。


「……わかったよ」

 凛はしぶしぶ了承し、舞もそのあとをついていった。


「煉の彼女なんですか」

 凛は舞を見ずに歩きながら問いかける。

「違うよ。本当に今日会ったばかりだよ」

「じゃあなんで家まで来るんですか?舞さん、でしたっけ。煉のなんなんですか」


 少し訛りの混じった言葉で聞き取りづらい部分はあるが、舞は明らかに悪意を感じた。その真意はすぐに示される。


「煉はもう部活やめたんですよ。あまり騒がないでもらいたいんです」


 なるほど。舞は察した。煉は部活に打ち込んでいた頃、人気があったのだろう。自分は「おっかけ」のように思われたのだと気づいた。


「そんなんじゃないの。本当にわたしは今日たまたま知り合って、でも大切なお話をしたの。それだけ」

「じゃあなんで家までついてくるんですか。煉のこと、そっとしておいてもらいたいんですよ」


 凛は立ち止まり、振り向いてそう言った。兄を心から大切に想っているのだと舞には痛いほど伝わった。よく見ると、凛も煉と同じような日焼けの仕方をしている。きっと陸上部に所属しているのだろう。尊敬する兄なのだと舞は感じた。


 凛の真剣な眼差しを受け止め、舞は少しうつむいた。ゆっくり大きく瞬きをして、静かに言葉を返すのだった。

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