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「国体に出場できる予定だったんだ」
「えっ……!」
舞でも聞いたことのある響きだった。それがどれほどの偉業なのか、今の舞には細かくはわからない。けれど、高校生のスポーツ競技においてトップ中のトップであることくらいは理解できた。
「ほんとに単純なアクシデントだったんだ。……まあ俺の不注意だ」
そう言う煉の表情は、あまりに厳しかった。口では自分のせいだと語りながら、その顔はまるで別のことを訴えている。舞はすぐにそれを察する。
「嘘。本当はあなたの不注意なんかじゃなかったんでしょう? 誰かに」
「うるせえな! 知ったような口聞くんじゃねえよ!」
煉は舞の言葉を遮るように怒声をあげた。舞はハッとし、眉を寄せて、しまったという表情を浮かべる。
「……あ、わりい……またやっちまった……ほんとすまねえ」
「煉くん、わたしのほうこそごめんなさい。なにも知らないのに、勝手なことを」
「マジで気にすんな。……こんなこと話すんじゃなかったな」
煉は顔をそむける。その仕草に、舞に余計な気を遣わせたことを悔いているのが透けて見えた。
「わかった。ありがとう、もう気にしない。でも……そうやって誰かを庇うのって、とても尊いことだと思う。わたしには、きっとできない」
「……買いかぶんな。俺はそんなこと思ってねえ」
「でも、それで学校に行きづらくなったんでしょう?」
舞が本題に戻すと、煉は答えない。その沈黙は、否定ではなく肯定のように響いた。
「でもそうやって黙っていると、お相手の人も余計に気にしてしまうって思わない?」
「……え……? あ、ああ。そうか」
珍しく煉が素直に返した。何か思うところがあるのか、視線を宙に漂わせる。
「わたしには詳しい事情はわからない。煉くんがどんな状況で怪我をしたのかも。でも、その後できちんとお話をされたのかしら? もしそうでないなら、ちゃんと向き合う場を設けたほうがいいと、わたしは思う」
その言葉を口にするとき、舞は自然と背筋を伸ばし、膝の上に手を揃え、凛とした眼差しで煉に向き直っていた。
「そうなんだよな……一度だけ見舞いには来てくれたけど……」
「断っちゃったんですね」
煉はまたしても答えない。
「煉くんの気持ちは、なんとなくだけどわかる。『怪我』はつきものだと頭では理解していても、現実には誰のせいでもなく起きてしまう。そのやり切れなさはきっととてつもないものなのでしょうね」
舞の言葉にはなにか含ませる様な、それでいて情をにじませる。煉はそれをなにかわからずにいた。
しかしその「誰のせいでもない」という言葉は、少なくとも煉の胸に深く刺さった。
「煉くん、あなたは素敵な人ね」
そう告げられた瞬間、煉は驚いたように舞を見た。その顔は決して穏やかとはいえなかった。けれど、どこかでなにかに縋りたい——そう感じさせる影があった。舞はその顔を真っすぐに、けれど優しさを込めて見返す。
「わたしにはひとつだけ確かなことがあります。煉くんの辛さまではわからないけど、お相手を思いやる気持ち、それだけははっきりと伝わってきます。ただ……辛いのに思いやりを抱いてしまうのは、自分を追い詰めることにもなる。そのまま引きずるのは、もっとよくない。今は相手を許してあげることはできないかもしれないけど」
それで相手の心が少しでも軽くなるなら、競技ができない今の煉にとっても救いになるはず。なにより舞には、煉がこんな海辺で孤独に立ち尽くし、ただ過去に思いを巡らせる無為の時間を過ごしていることのほうが、ずっと痛ましく思えた。
全部が無駄だとは思わない。でも、少しずつでいいから、別の方向に歩いてほしい。舞はそう思うのだった。
「説教くせえな」
「えへへ、そうかな」
「褒めてねえよ」
だが、その軽口を返す余裕が戻ったことが、舞には少しだけ嬉しかった。煉は再び海を見やり、舞の言葉を反芻するかのように視線を遠くへ投げる。
「どのくらいここにいるの?」
「……もう十日くらいかもしんねえ」
「……えぇ……家には帰ってるの?」
「ああ、まあな。腹は減るからな勝手に」
それを聞いて舞は胸を撫でおろした。少なくとも、食事はとっているようだとわかって安心する。
「わたし、煉くんのそういうところ、いいと思う」
舞がふいに言った。
「な、なんだよそれ。俺のことなんにも知らねえくせに」
「わかるよ。あなたはとても優しくて、思いやりのある人」
「俺はそんなやつじゃねえよ。口も悪いし……」
「口の悪さなんて関係ないよ」
舞は一歩も引かずにそう告げ、さらに言葉を重ねた。
「わたし、煉くんに会えてよかった」
「おめえが勝手に話しかけてきただけだろ」
「そうだね。本当に偶然、あなたを見かけて、声をかけてみただけ」
今度は舞が海に視線を移し、潮騒を聞きながら、静かに物思いにふけるのだった。