表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/12

「どうしてこんなところにいるの? 家出でもしたの?」

「うるせえな、いい加減ひとりにさせてくれよ」

(れん)くん、まさかこのまま海に飛び込んじゃうんじゃないでしょうね?」

「んなこたしねえよ」


 (まい)はしつこく問いかける。(らち)が明かないので、仕方なく自分のことを話すことにした。


「わたしはね、旅の途中なんだよ」

「……さっき聞いたよ」


 先ほどよりは受け答えをしてくれる。(まい)は続けた。


(れん)くんとは違うかもしれないけど、事情があって今は学校に行ってないの。だから、こうして旅をしているの」

「……」


 聞いてはいるようだった。先ほどよりも視線はわずかに上がり、上の空ではあるものの、言葉を少しずつ噛み砕いているように見えた。


「わたしの行きたいところに旅をしているんだ。今ここにいるのは本当に偶然なの。(れん)くんに会ったのも、ただの偶然」

「へえ……」


 旅の途中で、たまたま出会った相手がこんなにも無愛想で不遜(ふそん)な口調の人間では、普通なら会話などすぐに途切れてしまうだろう。それでも(まい)は一生懸命に(れん)へ話しかけていた。


「この場所はとても素敵。初日でそう思った。静かで、都会ほど洗練された土地ではないのかもしれないけれど、海は澄んでいて、風も穏やかで、空気も澄んでいる。それに、人はみんな笑顔で優しい感じがした」


 (まい)はそう評価した。(れん)にとってこの土地は、生まれてからずっと育ってきた場所だ。他所へ行く機会などほとんどなく、当然この地が好きであった。だから、よそ者からの好意的な言葉は決して悪い気はしなかった。


「いろいろ調べたけど、少し離れたところには観光地もたくさんあるんだね。でも、わたしはこの海沿いの町がとても好き。そう思って、少し長く滞在することにしたんだ」


 (まい)がここに来た理由、そしてとどまる理由を知った(れん)は、胸の奥がほんのわずかにきゅっとなるのを感じた。


(れん)くんはこの近くの高校に通ってるの?」

「……ああ、そうだ。自転車で一時間くらいかかるけどな」

「まあ! 一番近いのがそこなの? 毎日大変ね」

「そうでもねえよ。小学校なんて歩いて二時間だった」


 (まい)には想像もつかないことだった。日本は高度に発展した文明社会だと思っていたが、少し地方に足を運べば、都会とはまるで異なる環境と価値観が広がっている。


「ごめんなさい、わたし、そういうの全然(うと)くて」

「いいよ、そんな気にすんな」


 落ち込み気味の(まい)を励ますように(れん)は言った。そしてようやく彼女に向き直る。白いワンピースからすらりと伸びた手足、つば付きの帽子にハンドバッグ――その姿はこの海辺の町にはそぐわない、あまりにも都会的な雰囲気だった。


 (れん)は心臓の鼓動が早まるのを感じた。しゅんとした(まい)の大きな瞳にかかる長いまつ毛や、少し尖らせたふっくらしたピンク色の唇は、彼をどきりとさせるには十分だった。慌てて視線を海へ戻す。


「ありがとう」


 たった一言でも、(まい)(れん)の言葉が嬉しかった。


「でもサボりはダメだよ」

「おめえだって同じじゃろうが」


 話は再び、平日にこんな場所にいる二人のことへ戻った。


「あ、かっこいいね。それ、方言?」

「う、うるせえな、都会もんがよ」


 突然出た方言が(まい)には新鮮に響いた。指摘された(れん)は、つい口をついて出たことに苛立ち、よりつっけんどんになる。


「そうだよ、わたしは都会でしか暮らしたことがない、箱入り娘なんだ」

「な、なんだよそれ、意味わかんねえ」


 言葉どおり、(れん)にはその表現の意味がわからないのだろう。


(れん)くん」


 (まい)は少し声のトーンを落とし、(れん)に向き直った。


「学校に行かない理由、教えて?」

「おめえに話す理由はねえ」

「わたしはさっき話したよ」

「勝手におめえがしゃべったんじゃろうが」


 (れん)は足を組み直し、あぐらの姿勢から左足を立て、その膝に肘を乗せて頬杖をついた。つまらなそうに見える仕草だったが、(まい)にはむしろ落ち着いて話そうとしているように見えた。


「聞かせて。気になるんだもん」

「……」


 観念したのか、(れん)はしばらく黙ったあと、視線を(まい)に向け、それから眼下の波打ち際へ移した。そして静かに語り始める。



「……俺は陸上をやってたんだ。中学の一年からずっと。いろんな種目をこなせるけど、得意なのは長距離だった」


 (まい)は耳を傾ける。ようやく彼が自分を語り出してくれたことが嬉しく、同時に大きな興味が湧いていた。膝を折り、さらに聞く体勢をとる。無言の「続けてください」という気配を送る。


「合宿先で怪我をした。小さな怪我なら何度もあったけど、こんなのは初めてだった。医者は『大きな病院に行けば回復するかもしれない』って言ってたけど、それでも今までみたいにトレーニングや競技はできねえって」

「まあ……そうなの……」


 伏し目がちに遠くを見つめる横顔は硬い表情をしていた。(まい)はスポーツ選手の挫折など、間近で感じたことも聞いたこともなく、どう言葉を返すべきか迷った。


 その様子に(れん)はすぐ気づいた。

「別におめえが気にすることじゃねえよ」

「でも……ごめんなさい、そんなに深刻なことだったなんて」

「……深刻じゃねえよ」


 そう言いながらも、やはり視線は落とされる。


(れん)くん、しつこく聞いて本当にごめんなさい。今あなたがどんな気持ちかも知らずに」

「なんでおめえが落ち込んでんだよ。別に構わねえよ。こんなこと、競技やってりゃ当たり前にあるんだ」


 スポーツの世界、とりわけそのトップの選手ともなれば、選び抜かれた者だけが残る場所だ。技術や才能はもちろん、身体の丈夫さも求められる。(れん)はそれを身をもって理解していた。


「……別に、当たり前のことなんだよ」


 少し風が変わった。(まい)(れん)の横顔を見つめる。ここ数日こんな場所で過ごしたせいなのか、シャツから覗く(れん)の腕は袖を境に、日焼けの色がくっきりと分かれていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ