11
「あ、いや……響子さま……」
「やめて、煉くん。私は『花咲舞』だよ」
ふふ、と舞は柔らかく笑った。その笑顔は弱々しくもどこか晴れやかで、煉も思わずつられて笑みをこぼす。
「煉くん、近くにきて」
舞の視線に導かれ、煉はゆっくりとベッドサイドの椅子に腰を下ろした。
「どうして俺が来るのがわかったんですか」
「お願いだから、敬語やめてくれる?」
入り口で「失礼のないように」と言われたばかりで、付け焼き刃の敬語をつい口にしてしまう。だが、それを舞は小さな声で制した。
「……わかった、すまん」
「うふふ。なんとなく来てくれるんじゃないかなって思ったの。そんなわけないよねって。でも、本当に来てくれるなんて」
ありがとう、と小さく舞は言った。
「それだけか?」
「うん、それだけ。わたしの、あの時のお願いが叶ったのかな」
流れ星。あの瞬間、舞は未来を祈っていたのか。煉には想像もできなかった。
「びっくりしたよ」
テレビで知ることになるなんて、と煉は苦笑混じりに続ける。
「それは本当にごめんなさい。ちゃんと説明しなかったことも、隠していたことも」
「いや、いいんだ。俺はそんなことは気にしちゃいねえ。ただ俺は……」
言いかけた言葉を、煉は飲み込む。舞の顔を一瞬だけ見たが、すぐに視線を逸らした。
「煉くん。わたしもだよ」
「舞……お前に会いたかった。ただ、一目だけでもよかった」
舞は振り絞るように指をかすかに動かした。煉はその小さな動きを見逃さず、自分の両手を重ねてそっと包み込む。
「でもすごいね。新幹線で来たの?」
「ああ、とうちゃんが切符を取ってくれた。お前の好きなようにしろって」
「そっかぁ……本当に温かい家族だね」
舞の瞳は天井の先を見つめる。その視線は室内の狭さを超えて、遠くの景色を探しているように見えた。
「部活に復帰したんだ」
「ほんと?すごい。聞かせて」
「ああ、お前の言った通りにしたよ。これからは選手兼指導者を目指そうと思う」
「煉くんならきっとできるよ。わたしも煉くんに教わりたいな」
「勉強なら教えてやれるぜ」
「うふふ、もう先生みたい」
「高校の先生にも言われたよ」
煉の近況を聞きながら、舞の頬にほんのり赤みが差す。青白かった顔色が少しずつ和らぎ、命の光を取り戻したように見えた。
「舞、俺はずっと電話を待ってたんだ。でもできなかったんだな」
「うん、ごめんね。メールかラインだったらできたんだけど」
「すまん、これからは覚えて使えるようにする」
「でも……」
「ああ……わりい……」
「謝らないで」
「すまねえ……」
沈黙が落ちる。静寂が二人の間に広がり、わずかに気まずい空気を作るが、舞が小さく息を吸って口を開いた。
「わたし、生きたいと思った」
煉は俯いていた顔をはっと上げ、舞を見つめる。
「ううん、本当は、もともとなんとかなるんじゃないかって思ってた。でも、どうしたって無理なものは無理なんだけど」
煉の胸に、新幹線の中で聞いた医師の言葉が蘇る。過酷な病であることは、彼の心に重く刻まれていた。
「将来のことを考えたい。夢を叶えたい。他にもたくさんお願いをしてきた。できることは何でもしたし、結局回りきれなかったけど、日本中の神様にお願いして歩いたの」
舞の旅の理由を、ここで初めて知る煉。彼は無意識に舞の手をさらに強く握りしめた。
「結局、わたしの願いは全部叶わなかったけど、ひとつだけ、神様はご褒美をくれたよ」
舞は指先に力を込める。その微かな震えが、彼女の必死さを物語っていた。
「こんな素敵な出会いがあって、本当によかった」
震える声で
震える唇で
舞は懸命に笑顔を作る。
煉の腕も震えていた。必死にこらえても、もう抑えることはできなかった。
「煉くん、ごめんね」
「なんで謝るんだよ……」
「こんなわたしで……わたしなんかがいなければ、あなたもこんなに悲しまなくてすんだのに」
「なんでそんなこと言うんだよ」
煉は涙をこらえながら、必死に彼女の手を握りしめる。顔を横に振り、否定の言葉を重ねた。
「煉くん。わたし、すごく後悔してる」
煉の心臓が跳ねる。なにを言い出すつもりなのか、胸が締めつけられた。
「わたし、こんな想いをするくらいなら……こんなに辛い想いをするくらいなら、出会わなければよかった……こんなに悲しくて、切ない想いをするくらいなら……あの時……煉くんに声をかけるんじゃなかった……」
舞の涙が目尻に溢れ、頬にこぼれ落ちる。顔をそむけようとするが、その力さえ残っていなかった。
煉は慌ててハンカチを取り出し、震える手で彼女の涙をぬぐう。
「そんなこと言わないでくれよ舞。お願いだから、もう泣かないでくれ……頼む……舞……」
煉の涙が、ぽたりとベッドのシーツに落ちた。
「ありがとう、煉くん。わたし、すごく嬉しい。最後にあなたに会えて、本当にうれしい」
舞は振り絞った力で、もう一度笑顔を見せる。煉は溢れる涙を拭い、ふたたびその手を強く握った。
そして舞は、かすれる声で告げる。
「もしあのとき出会っていなかったのなら
この想いを知らずに死ぬことは
もっと悲しいことなのかもしれないね」
煉は息を荒げ、震えながら涙を流した。
「煉くん、素敵な思い出を、ありがとう」