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『ALS』


 筋萎縮性(きんいしゅくせい)側索硬化症(そくさくこうかしょう)。出がけの車の中で、母に教えられた病名だった。指定難病2にあたるらしく、発症の原因も不明で、治療法も確立されていない病気だという。新幹線の中で(れん)が検索して得た知識は、それだけで胸を重くするものだった。


 スマートフォンの扱いもおぼつかず、隣に座っていた男性に操作を教わりながらの検索だった。使い方に苦慮していた煉を見かね、親切に声をかけてくれたのだ。


 調べれば調べるほど、出てくるのは深刻な情報ばかり。ついには煉は画面を閉じ、目を閉じて大きく息を吐き、天を仰いだ。


「どなたか、ご病気なのかい」


 しばらく(まぶた)を閉じていた煉に、再び隣の男性が声をかけてきた。


「え、あ……はい。そうなんです」


 突然暗闇から声をかけられ、一瞬戸惑ったが、すぐに男性の方へ顔を向けて返事をする。


「すまないね、悪いとは思ったけれど……つい画面が目に入ってしまって。私は医者なんだ」


 男性はそう言い、わずかに口角を上げた。


 煉ははっとして、その言葉にすがる思いで向き直った。


「あの……このALSという病気は、治らないんでしょうか」


「今の医学では、厳しいね。私の身近にも患者がいるんだが……」


 言葉を詰まらせる医師。その様子を見て、煉は膝を見つめ、恐る恐る問いかけた。


「どうなってしまうんですか」


「二、三年が限界だと思う。その方はね。ただ、もちろん個人差はある。進行を遅らせることもできる」


 初期の段階で髪を洗うことすら困難な人もいれば、治療や療法によって長く生きる人もいるという。症状は千差万別であることを、医師は静かに説明してくれた。


「これからお見舞いなのかい」


「はい……会えるかどうかわかりませんが」


 医師は何かを察したように一瞬目を見開いたが、すぐに目を細め、その後もしばし煉と語らってくれた。


 ――


 煉はひとり東京に降り立ち、路線を乗り換えて、どうにか目的の病院へ辿り着いた。


 正面玄関には報道関係者と思われる人々が集まっていたが、「現在は安定している」との(しらせ)が出ているせいか、雑踏(ざっとう)と呼ぶほどではなかった。


 どうして自分はここまで来たのだろう。煉は今さらながらに思う。東京というあまりに大きな街。電車に乗る大勢の人々に圧倒され、そしてようやく辿り着いた巨大な病院の建物を前に、ただ立ち尽くす。


 こんな高校生が一人で何をできるのか。あの日、偶然知り合っただけの少年が、東京までやってきたところで、何の力になるというのか。煉はひたすらに、自分の小ささと無力さを思い知らされていた。


 それでも――あの子に会いたい。再会の約束を果たしたい。望みはただそれだけだった。


 なぜ(まい)は身分を隠していたのか。なぜ病を黙していたのか。今になってようやくわかる。


 彼女は一個人ではなかった。だからこそ『花咲(はなさき)(まい)』というもう一つの人格を作り、ひっそりと旅をしていたのだ。


「いや……」


 煉は歯を食いしばり、拳を握る。難しい理屈のためにここへ来たのではない。ただ、伝えたいことがある。その一念だけだった。


 ――


 病院に入り、煉は待合席に腰を下ろした。一息つくように深く座り込み、改めて思う。よくも初めての東京で、ここまでたどり着けたものだ、と。


 そのときだった。


 隣にどっかりと腰を下ろす気配があった。肩幅の広い男。スラックスの布地から太ももの筋肉の形が浮かび上がる。


倉敷(くらしき)(れん)様ですね」


 はっとして男を見上げた。なぜだ。どうして自分の名前を呼ぶのか。姿形どころか、名前まで把握されているとは――。


「お言付(ことづ)けを(たまわ)っております。こちらへ」


 男は立ち上がり、耳に手を当てて何事かを話している。煉は導かれるまま歩き出した。


 専用エレベーターで最上階へ。フロアの端にある一室へと迎え入れられる。


 何人もの男たちに囲まれ、一挙手一投足を見張られる。入口では身体検査を受け、バッグも預けることになった。


「監視は行っております」


 病室内にも当然監視カメラがあるらしい。異変があればすぐ駆けつけるのだろう。胸の奥がざわつき、落ち着かない。


 やがて一連の“儀式”が終わり、どうぞと扉が開かれる。


 薄いレースのカーテン越しに、冬の陽光が柔らかく射し込んでいた。室内はほどよい暖かさに満ちている。


 一歩一歩、恐る恐る歩を進める煉。その目に、ようやく彼女の姿が飛び込んできた。


「久しぶりだね、煉くん」


 花のように笑みを浮かべる少女。しかしその顔には明らかな生気の欠如。血色も薄く、声もか細かった。


 煉はその姿に驚き、同時に戸惑う。どうにか笑顔をつくろうとするが、複雑な表情になってしまう。


「ふふ……煉くん、どんな顔していいかわからないって顔だね」


 煉はまだ声を出せず、唇を噛みしめるばかり。爪が食い込んだ手のひらからは、血がにじみそうだった。


「煉くん、ごめんね」


 舞がそう言った瞬間、煉は気を取り戻す。


「舞、謝らないでくれ」

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