彼女を泣かせたので、お前は処す
「ふんふーん、お薬お薬ー」
宮廷医として働く『薬術の魔女』は今日も、仕事と趣味で薬を作っていた。薬研で擦り潰した薬草を少量手に取り、火にかけた鍋にぱらぱらと落とす。途端に鍋を満たしていた泡立つ液体は淡く輝きを放ち、ぽふ、と煙を吐いた。
「よーし、これで完成ー」
ふいー、と額を拭い、薬術の魔女は息を吐く。用意された研究室内には、独特な薬のにおいが立ち込めていた。
「なんで毎度、煙を吐くんですかねー」
首を傾げる顔の良い金髪の男性に、
「考えてもしょうがないですよ。それより、ノルマは終わりましたか?」
と眼鏡をかけた銀髪の男性が冷ややかに告げる。
ちなみに薬術の魔女は、金髪の方を補佐官1、銀髪の方を補佐官2と呼んでいる。
休憩時間に入った。
「そういえば。伴侶の方のことをあなたがどう思っているのか……と言うのが、最近の宮廷の者達の興味関心のようですよ」
補佐官1は、薬術の魔女に話題を振った。
「伴侶の話? めっちゃ美形だよねってことぐらいしか宮廷で言えることないんだけど」
眉尻を下げ、困った表情で薬術の魔女は答える。そもそも、宮廷内では伴侶と仲睦まじい様子を見せないように決めているので何も言えないのだ。
「他にないんですか。仮にも室長ですよ」
呆れ顔の補佐官2。
「だったら、わたしも室長だしー」
そう返すと、補佐官達は苦笑いをした。
「それともうひとつ、知ってます? ある令嬢の話」
補佐官1が、薬術の魔女にもう一つ話題を振る。
「え、興味ないんだけど……」
間髪答える薬術の魔女。
「最近、宮廷で女官として来たそうなんです」
「お話は続ける感じね」
マイペースな補佐官1に、薬術の魔女は口を尖らせる。
「その方はどうやら、いじめられやすい体質らしく」
「ふーん?」
「たとえば。ある女性にいじめられると、それをそのいじめた方の婚約者や伴侶に相談するそうなんです」
「ふむ」
彼女は気のない返事をする。
「そのあと、なぜか相談相手となったいじめた方の婚約者や伴侶と仲良くなり」
「……」
「いじめた方とその婚約者、あるいは伴侶は別れてしまうのだとか」
「へー」
「興味なさそうですね」
「だって、私の伴侶がそれに巻き込まれることないもん」
「そうですかね?」
補佐官1は意味深に微笑んだ。
×
ある日。
薬術の魔女が一人で廊下を歩いていると、悪意の強い笑い声がかすかに聞こえてきたのだ。倉庫になっている空き部屋から、それは聞こえた。
笑っているのは、愛らしい顔つきの女官だ。長い睫毛に控えめな目鼻立ち、柔らかそうな唇。だが、それは意地の悪い笑いに歪められていた。
「あの令嬢の顔見た? 強がっちゃって。あの顔は笑えたわねぇ」
それを、周囲の取り巻き達が同調するように笑ったり相槌を打ったりしている。
「あの男? ちょっと持ち上げただけで調子に乗っちゃって。もう用済みだから、捨てたわ」
真ん中を陣取る女官は、まるで舞台女優のようだった。一人だけスポットライトを浴びているかのように、目立つ。動作が洗練されているが、見せ物であるかのようにどこか大袈裟だ。
「(やばいもの見ちゃった……)」
薬術の魔女は、そっとその場から離れる。
×
そして、噂は現実のものとなった。
薬術の魔女が廊下を歩いていると、近くで
「きゃっ!」
という叫び声が響いた。と振り返ると、あの女官が倒れている。薬術の魔女は慌てて駆け寄り、
「大丈夫? 怪我ない?」
と声をかけた。いくら性格がやばくとも、怪我をしてしまえば薬術の魔女にとっては患者なのだ。
「——」
倒れた女官は、涙で潤んだ目で薬術の魔女を見上げる。それはまるで、庇護欲をそそるような完璧な被害者の顔だった。
「彼女、魔女に突き飛ばされたのかもよ」
「親切なフリ? 魔女が?」
誰かの声がした。
「え?」
周囲を見回すが、誰が発したのかは分からなかった。周囲の女官や男官達が、疑わしげな目で薬術の魔女を見ている。
また別の日。
階段を登っていたところ。
「きゃあっ!」
叫び声に振り返ると、あの女官が転んでいた。薬術の魔女のすぐそばで。まるで、薬術の魔女が女官を突き飛ばして転ばせたような構図だった。
「大丈夫っ?! 階段で転んだら危ないよ!」
一瞬違和感を感じるも、慌てて薬術の魔女は駆け寄る。そうして腕を支えて
「怪我してるとこない? お薬で治すから」
そう女官に言うも、女官は目にいっぱいの涙を浮かべてゆるゆると力なく首を振るだけだ。ほろり、と大粒の涙が溢れる。
「魔女があの子をいじめたんだって」
「ひどーい」
また、誰かの声が聞こえた。
だが周囲の女官や男官達は皆、薬術の魔女を睨んで、にやけて、意地の悪そうな顔をしている。
「(……まただ)」
どうやら、自身が標的になってしまったらしい。そう、薬術の魔女は自覚する。
例の女官は薬術の魔女のそばで転んだり、破けたハンカチを手にため息を吐いただけだ。だというのに、なぜか薬術の魔女は不利になっていく。
最近、宮廷では「薬術の魔女がある女官をいじめているらしい」と言う噂が広がっていた。
最近仲良くなったばかりの他の女官や男官達から避けられるようになってしまった。
「んー、またぼっちになっちゃう」
「僕達が居ますよ」
「気にする必要はありません」
そう補佐官1と補佐官2は勇気付けてくれる。
実は伴侶自身のことは、あまり心配してない。
ただ、やりにくくなりそうだなーとかお薬盗まれてたらやだなーと薬術の魔女は思っていた。
避けられるのは、まあ正直どうでもいい。慣れているからだ。置いている持ち物に手を出されることが面倒だと思っていた。
宮廷内を歩けば、誰かしらが密やかに薬術の魔女に意味ありげな視線を向けてヒソヒソと何かを話している。
周囲に強い興味関心のない薬術の魔女にとって、一個一個はあまり気にはならない。だが、まとめて来ると心がげんなりして来るのだ。
補佐官達は相変わらず、薬術の魔女の味方でいてくれた。それに、薬術の魔女の学生時代の友人達は信じてくれている。だから、薬術の魔女の心が折れることはなかった。
「……あれ」
いつのまにか、視界が揺らいでいる。
ぽろぽろ、と水が目元から落ちてきているようだった。
「あれー。なんか、思ってたよりくらってるなぁ……」
辛くはないはずなのに。なんで、こんなものが出てしまうのだろう。ぐす、と小さく鼻を啜り、息を吐く。
「こんな顔で戻ったら、補佐官達も心配しちゃうよね」
軽く顔を洗い、冷やしてから薬術の魔女は持ち場に戻った。
「……」
それを、誰かに見られていたのを知らぬまま。
×
そんなある日、薬術の魔女は衝撃的な光景を目にする。
とぼとぼと肩を落として宮廷内を歩いていると。
「っ!」
あの女官が、薬術の魔女の夫である魔術師の男と一緒にいる姿を見てしまったのだ。
「(……勇気あるなぁ)」
薬術の魔女は内心で呟く。だって、魔術師の男はかなり性格が悪い。彼は美形だがかなり辛辣で、他人に心を開くタイプではないのだ。彼女自身、彼と親しくなるまで相当な時間がかかった。それでもあの女官の熱っぽい視線を見ると、胸の内で少しむっとする気持ちが湧く。
女官は、魔術師の男の美貌に見惚れているようだった。
「(……気持ちは分からなくもないけど)」
それはそうとして、伴侶を狙うとは。
薬術の魔女が狙いだったのか、伴侶である魔術師の男の方が狙いだったのかは正直いうと分からない。
無論、薬術の魔女は伴侶と毎日屋敷で会っている。今朝だって一緒に食事をしたし、夫婦寝室で共寝だってした。だけれど、最近の彼はどこか気を張り詰めているのだ。
話しかけても、どこかぼんやりした様子で反応が薄い。
「あの、相談したいんです……」
弱々しい声で、あの女官は魔術師の男に声をかけた。しおらしく立ち、潤む目で彼を見上げている。そして、女官が魔術師の男に触れようとした時。
バシッと弾かれる音がした。
「……え?」
呆ける女官をよそに、魔術師の男は冷ややかな目で見下ろした。
「おや。此れは害獣を弾く魔術結界でしたのに。貴女、人の皮を被った害獣でした?」
そうして、口元に手を遣る。
「貴女、その『相談したい』と言うものは、わざわざ既婚者である私や相手の婚約者でないといけなかったのですか?」
女官は言葉に詰まり、「え?」と声を漏らす。
「宮廷内ですから、まずは天官にでも訴えたら如何です」
と彼は淡々と続ける。「で、でも」と女官が言い訳しようとするが魔術師の男は一切取り合わず、冷ややかな視線を返すばかりだ。
「貴女の『相談』とやらの持ち掛け、此度で7度目ですよね。……其の上に全員、別の男」
魔術師の男の言葉に、女官は動きを止めた。まるで、自身の演技が通じなかったことが信じられなかったようだ。
「貴女、こうして何人の者共を破局に導きました? さぞ愉快だったでしょうねェ。自身の言葉で男共を手玉に取る等」
「そ、そんな」と震える女官をよそに、
「あの『薬術の魔女』が、物理的に対象に害を加える訳が無いでしょうに」
そう、やや大袈裟に魔術師の男は言葉を吐いた。
「『薬術の魔女』は、薬を使う。貴女の皮膚が爛れるだとか、容姿が著しく変貌なさったの成らば。あれが手を出したやも知れぬとは思えたでしょうが。生温い。貴女は、『魔女』を理解していない」
それから、魔術師の男は周囲に視線を向ける。
「見せ物は面白う御座いましたか、御仲間方」
その声に、周囲の空気が騒めいた。
「貴方達の顔と素性は既に調べ上げておりましてですよ。今後をお楽しみに」
そう言い捨てると、動かなくなった女官をそのままに魔術師の男は薬術の魔女の方へ向かってきた。
「小娘。面倒事に巻き込まれましたねェ」
「……うん」
頷く薬術の魔女の胸の内は、不思議と穏やかになっている。遠回しながら、彼が庇ってくれたのだと分かったからだ。
じんわりと目元が熱くなる。
「後始末はお任せを。貴女が気に病む事は何も有りませぬ」
そう魔術師の男に言われ、薬術の魔女は持ち場に帰るように促された。
そしていつのまにか、令嬢はいなくなっていた。
×
例の女を、修道院に送った。
手に持つ書類の束にちら、と視線を向けた後に、魔術師の男はそれを『用済み』の場所へ放る。
これで司教に教育させて、正常に戻すのだ。何年ほどかかるかは分からないが。素直なら、数ヶ月で出ることができるだろう。
「(始末をしても、良かったのだが)」
するには少々、やり過ぎか。自分としてはそれでもまだ足りないのだが。
「(……伴侶を泣かせる、等)」
ぎり、と歯軋りをする。自分以外に泣かされる姿はやはり、苛立つのだ。
×
「小娘。大丈夫ですか?」
魔術師の男が、様子を尋ねる。
「え、何が?」
と、薬術の魔女はきょとんとした表情で返す。
「いえ、宮廷の噂話で気分を害してないかと思いまして」
「んー、まあ、慣れてるし。補佐官達も味方でいてくれたから平気だよ。それに、きみならそんなのに引っかからないって信じてたし」
魔術師の男は小さく笑い、彼女の髪を軽く撫でた。
「貴女は、本当に呑気ですね」
「だって、薬作ってる方が楽しいもん!」
彼女は笑顔で答える。
あの女官のことはもうじき、忘れるだろう。
本編『薬術の魔女の結婚事情』(https://ncode.syosetu.com/n0055he/)(恋愛モノ、馴れ初めの話)
本編2『薬術の魔女の宮廷医生活』(https://ncode.syosetu.com/n2390jk/)(推理モノ、スピンオフ(?))