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8.花ぞ昔の香に匂ひける

『地球に到達まで、残り四時間……』


 オウカが呟く。アマテラスの前には一〇本の高出力核ミサイルが並べられている。すべてのミサイルとの通信回線を開きオウカの制御下に置かれていた。

 航空宇宙センターからの回答はない。各国との調整を行っているのだろう。しかし、他に小惑星の衝突を避ける手段などないのだ。

 アポカリプスの輝きが増している。もはや補正を行わなくても十分に見分けがつく大きさになっていた。

 アメノミナカの駆動のかすかな振動の中に、秒針が刻まれる音が混ざっているような気がした。そのあまりの速さを示すように、壱馬の頬を一雫の汗が伝う。

 その時、外部通信を示すランプが光る。


『壱馬くん』


 環希の声だった。壱馬がそれに答えようとすると、そのランプが消えた。


『はい、はーい。壱馬は忙しいから交信は私がするね』


 オウカが通信を奪ってしまった。オウカは少し斜め上を見上げたまま動かなくなる。環希と交信をしているのだろうが、二人の会話を聞くことはできなかった。

 しばらくすると、オウカの視線がこちらに向けられた。


『航空宇宙センターは私のプランを承認した。じゃ、始めますか』


 軽く握った拳を口元にあて、オウカは小さく咳払いをする。


『起爆は私が制御するけど、発射は壱馬にやってもらおうかな。操縦桿のボタンをミサイルの始動スイッチに切り替えるね』

「じゃあ、また一緒に」


 壱馬の返事にオウカは吹き出した。


『もうっ、壱馬はいつまで経ってもお子様なんだからっ』

「違うっ、そんなのじゃないって!」

『わかってるって。じゃあお姉さんと一緒に』


 宇宙服を着た壱馬の手にオウカの白い手が添えられる。しかし伝わってくる感触は、柔らかで少し冷たい彼女の指先そのものだった。


『カウントダウンいくよ。……10、……9、……8、…………、……3、……2、……1、……発射!』


 ボタンを押すと同時に九本のミサイルから光り輝く長い尾が伸びた。じわじわと前進を開始したかと思うと、一気に加速度を上げ、流星のように闇の中を突き進んでいく。

 しかし一本のミサイルが点火されずに取り残されていた。二人で眉をしかめミサイルを見つめる。


「起動しない……」

『再点火してみる……反応なし。もう一度……ダメ。もう一度……』


 オウカはがばっと頭を上げた。


『駄目だっ。やっぱり起動しない。ミサイル内でもエンジン点火のシグナルは発信されているから、機械的な不具合があるのかもしれない。ステーションでの試験は全て成功だったというレポートがあるのに……』


 オウカが爪を噛む仕草をする。


「諦めて九本でのミッションに切り替えるというのは?」

『小惑星本体を大気圏バリアで跳ね返すことはできるかもしれない。だけど、小惑星が地球に落ち、そして破砕された隕石片も地球に降り注ぐ可能性は……九〇パーセント』

「……そんな。代替のエンジンがあれば……例えばアメノミナカの外部エンジンとか……」


 壱馬の言葉にオウカが顔を上げた。


『壱馬、それは可能だと思う。外部エンジンをミサイルに固定することはできないけど、私なら押し続けることができる』

「すべてのミサイルの制御をしたうえで?」

『もちろん』

「でも、外部エンジンの予備は届いていない」

『アメノミナカの背中にあるものを使えばいい。エンジンを失ってもワイヤーでステーションと繋がっているからそこには戻ることができる!』




 アメノミナカがぽつんと取り残されたミサイルの後方につく。

 そして背中の外部エンジンを外した。


「打ち出しても、起爆しないかもしれない……」

『そのとおり。でもそれは発射したすべてのミサイルにも言える』


 オウカの答えに、壱馬は何を言っていいのかわからなくなり、ただ苦笑を漏らす。

 アメノミナカが、ミサイルの噴射口に外部エンジンをセットしようとしたときだった。

 ミサイルの噴射口から突如、高出力エネルギーが噴射された。


「ッ!!」


 その衝撃でミサイルが発射され、同時にアフターバーナーを浴びたアメノミナカの機体が後方へ吹き飛ばされた。そして、命綱の代わりだったワイヤーもあっさりとちぎれる。その瞬間、宇宙を映し出していたヘッドマウントディスプレイの電源が落ちたように真っ暗になった。


『頭部に外部エンジンが命中っ。外部カメラを予備カメラに変更……ダメ。周辺の衛星カメラの映像からの仮想視界映像に切り替え……完了』


 ヘッドマウントディスプレイの視界が復活した。


「ど、どうなっているの?」


 オウカはコックピットの先端に立っていた。その先に、小惑星に向かっていく一〇本の光条が見える。しかし、オウカはそれを見ていなかった。瞬く間に小さくなっていくステーションを食い入るように見つめていた。

 そしてゆっくりと振り返る。


『安心して。一〇本目のミサイルも無事に発射された。通信も正常。すべてはわたしの制御下にある。あとは計画通りに起爆できれば、ミッションは完了。問題ない』

「アメノミナカは……?」

『頭部損傷、左腕、背部内蔵ジェットエンジン破損、……うーん、両足の関節部の反応なし。機体の制御は、不能』

「大丈夫なのっ? ステーションから離れてしまったみたいだけど」


 怒鳴りつけるように叫ぶ。しかしオウカは微笑みを浮かべていた。そして足元を指さした。


『アメノミナカと私たち……。いえ、私は地球に落ちている』

「なっ、なんだって!」


 一気に血の気が失せた。手にべっとりとした汗が滲み出し宇宙服を濡らした。


『このまま落下を続けると一時間以内には大気圏に突入する。アメノミナカのボディは完全には燃え尽きない。でも、搭載している通信機、量子コンピュータや半導体メモリーなどは全て焼き尽くされる』

「そんな……助かる方法は? 外部エンジンは?」


 オウカは首をひねり、左のほうを指差す。


『あのあたりかな? 回収は不可能。通信が途絶えたから壊れている』


 彼女の指の先を睨みつけるようにして探してみたが何も見えなかった。


「『私たち』から『私』へと言い直したよね。どういう意味?」


 オウカはかすかに口角をあげて笑みを作る。眉も釣り上げていたが、瞳はかすかに揺らぎ、その勝ち気な笑みは彼女の強がりであるように思えた。


『壱馬。私たちは騙されていたの。センターは最初からミッション終了後にアメノミナカを宇宙に放棄するつもりだったの』

「さっきの事故は意図的だったということ?」


 オウカは首を振る。


『そんなはずはない。あれはただの事故……。だけど、壱馬、あなたは、今、地球にいる』


 まったく思いもしなかった彼女の言葉に、壱馬はぽかんと口を開けた。


「どういうこと?」

『壱馬が乗り込んだロケットは地球を飛び立たなかったロケット。アメノミナカにはダミーのコックピットが積まれている。私たちは宇宙と地球で交信している。壱馬、作戦開始時に違和感があったでしょ。私もその時に気づいたんだ。それでさっきあの子と交信したときに白状させた』

「あの子って環希のことか?」


 地球にいる。その言葉に実感はわかなかった。ミッション開始時に感じたヘッドマウントディスプレイの違和感についてはオウカの指摘どおりだ。しかし、今は感覚とのズレは消え気持ち悪さも消えている。


『アメノミナカに、宇宙空間でパイロットを二四時間以上生存させる能力は……実現できなかったみたい。もともと必要だったのは私だけ。データ通信に遅延や障害の出ない空間に私を乗せたアメノミナカを送り込み、ミッションをこなすこと』


 環希が同伴者を乗せることが、オウカの宇宙へ行くことへの条件だと言っていたことを思い出す。


「じゃあ、どうしてミッションを続けたの! 拒否したんじゃなかったの!」

『壱馬こそ、どうしてわからないの?』

「何が?」

『壱馬はあの子に選ばれたんだよ』

「意味がわからない」

『あの子は、ストロングAIは世界に存在するAIの進化の先に生まれないと考えたんだよ。だから、自分を仮想空間にエミュレートさせることで技術的特異点シンギュラリティーを越えようとした。それが、私なんだよ……』


 一瞬、オウカの姿と環希の白衣が重なって見えた。そしてオウカは儚げな笑みを浮かべる。


「そんな……オウカはコンピュータ上に作られた環希の複製……」

『あの子は探していたの。自分が一目惚れをする男の子を。自分が大好きになれる男の子を。それを私の前に連れてきたの』


 オウカの顔がゆがむ。


「待って! オウカ一人だけなら、アメノミナカから地球上の別の媒体に移し替えることができれば……」

『複製が完了するまでに大気園に突入する。そんなことにリソースを割く余裕もない』


 オウカの顔がさらに歪んでいく。彼女だけではない。水中から水面を見上げるように、ディスプレイに映し出された世界は歪んでいた。

 壱馬はそれでもオウカが助かる方法を考え続けた。ミッションのことなんてどうだっていい。人類が滅んだとしても、オウカには生きていける可能性が残されているのだ。


『壱馬、私……、私はね……』


 オウカがぽつりと呟いた。そして視線を小惑星へ投げる。

『私には、もうミッションを拒否するという選択肢は──ない』




 扉が開くと同時に生暖かな空気がコックピット内を満たす。

 何人かの職員が壱馬を覗き込んでいたが、その中に環希の姿はなかった。

 壱馬はヘルメットを取ってコックピットから出ようとしたが、長時間座っていたためか、身体がよろける。職員が手を貸そうとしたが、彼はそれを拒否してふらつく足取りで外に出る。そこは発射塔ラウンチタワーの上だった。無骨な鉄製の建物だ。

 発射塔の足元には白衣を着た環希の姿があった。壱馬はしばらく彼女を見つめていたが、ため息をついて空を見上げる。

 外は出発時と同じく薄暗かった。空を見上げるとひときわ明るい星が光っていた。

 その時、突然その光が広がり空全体を白く染める。その光が収束すると、取り残されたように幾つかの小さな光が瞬く。それは薄桃色の花びらのようだった。

 壱馬は宇宙服の手袋を外し、出発前に準備していた紙袋を取り出す。

 封を切ると口紅が転がり出した。

 口紅のキャップを取り、手のひらの上に赤い線を引く。


 それを握りしめ、手すりを殴りつけた。


(完)

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