7.淡く輝く大地の遥か上空で
青白い輝きを放つ球形の大地、その上にアメノミナカは立っていた。
歩かなくても、足元の大地はゆっくりと滑るようにして流れている。不思議な光景だった。
地球の光に慣れた目で見るとただ昏いだけの宇宙ではあったが、その目が慣れてくると、小さな星々の川が流れているのが見え、賑やかな空間であるようにも思えた。
操縦桿を握る壱馬の身体もアメノミナカと同じように浮遊している感じがした。シートベルトにより座席に固定されているため、実際に浮き上がることはないが、宇宙空間にいることを実感する。先ほどからオウカはコックピットの中を縦横無尽に跳ね回っている。スカートが短いことが気がかりだが、そこは彼女も意識をしているようだ。
アメノミナカのすぐとなりに白い直方体の建造物が浮いている。国際太陽光充電ステーションだ。側面には丸窓が並び、宇宙飛行士たちがこちらに向かって手を振っているのが見えた。壱馬もアメノミナカの手を振ってそれに応じる。すると、彼らは拳を振り上げてガッツポーズを返してきた。なにかを叫んでいる様子であるが、こちらまでは届かない。
『口の動きから何を話しているか、日本語に翻訳して再生できるけど』
「いらない。どうせ叫んでいるだけだろ?」
『言語化も通訳もいらないか』
オウカの声も浮かれているように聞こえた。
「あれが、DPSSクラーケン?」
ちょうど反対側に長い砲身が見えた。全長は五〇メートルくらいだろうか。単体側にも一〇本の砲身が足のように伸びていた。まさにメタルボディのイカだった。巨大なエネルギーを前方に射出すれば、その等量の運動量が後方へ反作用する。それがニュートンの運動第3法則だ。その反作用を防止するのが一〇本の足である。後方にも同等のエネルギーを拡散させながら放出し位置を保ち、砲身の安定を保つのだ。問題はこの砲身の耐久性だ。限界は一二〇秒。軌道変更に必要な照射時間は六〇秒とされていた。
現在はステーション駐在の宇宙飛行士たちが、ケーブルの接続と最終チェックを行っている。
さらにステーションには一〇本のロケットがアームにより接続されていた。壱馬はぽかんと口を開き、それを見つめた。
『高出力核ミサイルだね』
「わかっている。だけど、なぜ一〇発も……」
訓練では一発だった。そんなことを考えていると、胸にむかつきを覚えた。
「オウカ、ちょっと気持ち悪い」
『あちゃー、せっかく大宇宙ショーが始まろうとしているのに緊張しちゃったかな……』
オウカはそう言って、壱馬の表情を伺おうと手を伸ばしたところでピタリと止まった。
「事前にこうして物を搬入しておくことができるなら、外部エンジンも先に飛ばしておいてくれたら良かったのにな。届くのは七〇分後だっけ?」
オウカは同じ姿勢のまま停止していた。その表情は青ざめているようにも見えた。
「オウカ?」
『ん? ああ、ええっと……、なんでもない。私も緊張しているのかな? 壱馬の宇宙のファーストインプレッションは「ちょっと気持ち悪い」だね。覚えておくね』
『小惑星アポカリプス、地球軌道に入り、月周回軌道の通過を確認──』
壱馬たちがステーションに到着してから六時間が経とうとしていた。
アメノミナカは背中に後続のロケットから受け取った外部エンジンを装着していた。球形の装置にあらゆる向きに変えることが可能なお椀状の噴射口が付いており、アメノミナカの正面以外のどの方向にも角度を変えて推進することが可能である。
「予備のエンジンが届いていないな……」
『センターから、燃料系の故障によりロケットの打ち上げを中止の連絡があった。そうなるよね』
「そうなるって、何が?」
『いや、こっちの話』
オウカは話をはぐらかすようにしてステーションに視線を移す。
そこでは帰還用のグライダーを組み立て中である。進捗は一時間の遅れとのことだ。予定のミッション開始からの二四時間後の帰還は難しいだろう。だが、コックピットの酸素生成装置は最大で七二時間動作可能とのことなので問題ない。
そのステーションからは長いケーブルが伸び、クラーケンと接続されている。アメノミナカは砲塔に取り付けられた固定バーを握りしめ、砲撃の影響がステーションに及ばない距離まで誘導する。そして手の甲から有線ケーブルを射出しクラーケンと接続した。
アメノミナカは砲身の先端を小惑星アポカリプスに向ける。直径一〇キロと言うが、視界に映るのは小さな星屑だ。オウカが他の星と間違えて見失わないようにマーキングをしてくれている。
そしてオウカが小惑星の画像を拡大してくれた。ごつごつとした岩の塊だ。太陽の光を反射して黄色い岩肌に見えるが、実際の色は灰色なのだ。
その中心から右側にそれたところに赤色のバッテンのマークが付く。そこが照射ポイントとなる。
『さてと、始めますか』
オウカが言った。おどけるように笑ってみせるが、どこか陰りがあるように思えた。声の張りが弱いのだろうか。そんなことを考えていると、彼女は前方を指で差す。
『物理ケーブル接続より、オペレーションユーザー権限でクラーケンとの接続完了。発射と砲身角度の調整をアメノミナカから行います。……調整完了。航空宇宙センターへの発射最終確認……完了。じゃあ、カウントダウンを開始するから、操縦桿のボタンを押してね』
「別に僕がボタンを押さなくても、オウカの判断でやればいいじゃないか!」
壱馬が抗議をする。別に責任から逃れたいわけではない。失敗をすればなどという逡巡もなかった。全てはオウカ次第なのだ。ちらりと視線を送ると、彼女は人差し指を顎にあて首をかすかにかしげる。
『こういうのは気分の問題だから……。そうだね、一緒に押そう』
オウカの手が壱馬の操縦桿を握る手に添えられた。そしてカウントダウンを開始した。
『……10、……9、……8、…………、……3、……2、……1、……照射!』
二人で同時にボタンを押した。腹に響くような重低音を響かせ大熱量の光線が前方に放出される。あまりの眩さに眉をしかめようとするまでもなく、オウカが光量を調整してくれた。後方には何条もの光線が拡散して放出されている。低い振動が機体を細かく揺らした。
『エネルギー波、目標に到達を確認。出力最大。照射完了予定まで残り、50秒』
拡大した小惑星の画像を眺める。オウカがマークをした箇所にレーザーは当たり続けていた。小惑星との距離は途方もない距離であるが、オウカの計算とクラーケンのコントロールは完璧だ。しかしモニター越しに見える小惑星に変化は見られなかった。
『熱で砲身の融解が始まっているけど、調整はできる』
オウカが呟き、それを確認しようとしたときである。ガコンと大きな音が響いて、一瞬、レーザーの狙いがズレた。すぐに修正されたが、視認できるほどにレーザーの光量が落ちている。クラーケンに視線を移すと、砲身が押しつぶされたように潰れた部分があり、そこから先が曲がっていた。
『レーザーの出力に負け、クラーケンが圧壊しようとしている。これ以上は持たないので照射を中止します』
ディスプレイが真っ暗になった。しかし、すぐに宇宙空間の画像が映し出される。
クラーケンの砲身と後方の一〇本の足の先端は熱を帯びたように赤く鈍く光っていた。
「照射時間は?」
『五〇秒……』
「それで、アポカリプスの軌道は?」
『ちょっと待って。計算してみる……』
しばらくもしないうちに、オウカは青ざめた顔を向けた。
『ダメ。地球に命中する軌道を外れていない!』
「そんなっ……でも、まだ第二の手段がある」
アメノミナカはクラーケンを放棄してステーションへ向けて飛行を開始する。
『それなんだけど、壱馬には伝えておかないといけないことがある』
オウカはじっと壱馬を見つめていたが、かすかに口元を歪める。
『クラーケンによる照射では十分にアポカリプスの軌道を修正することはできなかった。この状況で高出力核ミサイルを使用した場合、破砕リスクは七〇パーセント。そして破砕された隕石片が地球に降り注ぐ可能性が高い』
「……」
『もちろん、破片は無人地帯へ堕ちるように計算して誘導する』
「そんなこと可能なの?」
『九〇パーセントは可能……だと思う』
オウカはコンピュータだ。その演算能力は疑いようもない。その彼女が「思う」といった。いかに第二弾の作戦が無謀なものなのかやっと理解できた。
『大丈夫。壱馬だけは絶対に守るからっ』
あまりにも思い詰めたオウカの表情をほぐすために、壱馬は頬を緩める。
「なに言ってるんだよ。僕はオウカと一緒に宇宙にいるんだ。安全だよ」
『そう……だね』
今度はオウカが力なく頬を緩めた。そして、すっと真顔に戻る。
『わかった。でも航空宇宙センターに承認を得る前に壱馬の意見を聞いておきたい』
「僕の意見で何かが変わるとは思えないけど?」
オウカがニッコリと微笑み、バケットシートに座る壱馬のふとももに手を置く。そしてずいっと顔を寄せた。
『私が壱馬の気持ちを知りたいの!』
顔を近づけたまま、二人はじっと見つめ合う。鼻先にオウカの吐息が触れた気がした。
「どうするも何も、このままだと小惑星が地球に落ちて人類は滅んでしまう。何もしないという選択はありえない」
視線をそらしながら壱馬は答えた。オウカはふっと軽く息を吐いて微笑む。
『だよね。航空宇宙センターに意見を送ってみる』