6.天気晴朗なれども、いまだ陽は登らず
太陽は昇っておらず、薄暗いままだった。
三本の大型ロケットがライトアップされている。巨大で白くヌボッとした機体を近くで見上げると、平衡感が失われるような不安な気持ちになる。EU製、中国製、そして国産と異なる地域で製造されたものだ。新宮航空宇宙センターの職員も多くの関係者が詰めかけ、国際色豊かになっていた。
一本のロケットにはアメノミナカが積み込まれ、残る二つのロケットに搭載されているのはアメノミナカの外部エンジンである。
「外部エンジンはロケットの打ち上げ失敗に備えてバックアップがあるのに、アメノミナカは一つ……」
発射台のタラップに向けて歩く。訓練で何度も着せられたが、宇宙服のごわごわとした着心地に慣れることはない。
「アメノミナカもオウカもこの世界に一つしかないからね……。もちろん壱馬も」
環希が片手を上げて微笑む。壱馬もつられるように手を上げる。
「昨夜はご飯も食べずにどこに行っていたのかな? 有刺鉄線のフェンスを乗り越えていくからびっくりしちゃった……」
「別に脱走するつもりじゃなかったんだ! あれは……そのっ……」
しどろもどろになる壱馬を見た環希はため息をつく。
「電流を止めてなかったら、丸焦げになっていたかもしれない」
くすくすと笑う環希を見て背筋が寒くなる。有刺鉄線に電流が流されていることまでは気が回らなかった。もともと壱馬は授業の一環としてこの施設の見学に来たのだ。話を聞くと他の学年の者やよその学校の者など多くの者がこの施設の見学に訪れていたらしい。それが、彼のプロジェクト参加とともにピタリと止まった。
彼の思い詰めたような表情に合わせるように、環希はすっと口角を下げる。
「今からでも嫌だと言ってもいいんだよ……?」
「別に嫌じゃない。本当に脱走するつもりはなかったんだ」
環希は目の端で壱馬の持っている小さな紙袋を捉える。壱馬はすっと環希の視界から紙袋を隠す。
「部屋に夜食を届けておいたんだけど、ちゃんと食べた?」
壱馬は頷く。
「本当に……」
「本当に嫌じゃない。オウカと二人で宇宙に行ってくる」
環希の言葉に重ねるように言った。環希は駆けるように壱馬の前に回りばっと頭を下げる。ほっそりとしていてどこか頼りない背筋が見えた。
「こんなことに巻き込んでしまって、本当にごめんなさいっ!」
彼女の謝罪になんと答えていいのかわからず、目を泳がせる。その視線の先でオウカがこちらを睨みつけて立っているような気がした。壱馬は環希の肩をやさしく叩く。
「行ってくる」
その返事は戻ってこなかった。
管制塔からのカウントダウンの声が響く。ヘッドマウントディスプレイを点灯させても、発射までのカウントダウンを示す数値と青白く照らされたコックピット内が映し出されるだけだった。
「外の景色が見えないのは怖い……」
『国際太陽光充電ステーションに着いてからだね。アメノミナカがロケットから出ないとカメラにはなにも映らない』
周囲が真っ暗になる。これはアメノミナカの外部カメラの映像なのだ。すぐにコックピット内の景色に切り替わる。隣にオウカが立っていた。水着のような光沢素材のワンピースで、身体のラインがはっきりと分かるものを着ている。昔風にいえばキャンペーンガールやレースクイーン風といえばいいのだろうか。少し屈んだだけで下着が見えそうな短いスカートだ。壱馬は彼女から視線をそらす。
「やっぱり、地球は青いのかな?」
『「私たちの惑星はなんと美しいのだろう。地球は青みがかっている」……。壱馬はどんな名言を残すのかな?』
オウカがガガーリンの言葉をつぶやき終えた時、ジェット音が耳を切り裂くような超高音へと変化した。しかしその爆音はノイズキャンセリングがかかり小さなノイズへと変わる。そして身体に凄まじい加速Gがかかった。ロケットが発射されたのだ。壱馬は頭がシートに押し付けられ、肺が押しつぶされるような圧力に息苦しさを覚え、顔を歪めた。
そのとなりで、オウカはケロリとした表情で壱馬の表情を覗き込んでいた。
『ねぇ……、「天気晴朗なれども波高し」というのはどうかな?』
「宇宙にそれは関係なくないか……」
声を出すのも辛かったがなんとかその一言を答える。するとオウカは満面の笑みを浮かべ、手を壱馬の手に重ねた。
「オウカ、今日は嬉しそうだな……」
『大気の壁を超えたら、私たち二人だけの世界だよ』