4.青い空と過ぎていく春の日に
その次の日から、アメノミナカを操縦するための訓練が始まった。
ほとんどのオペレーションはオウカが受け持ってくれる。しかし座学から基礎体力トレーニング、ミッション前訓練など、2ヶ月間のカリキュラムが網の目のように細かく組まれる。
神経操作による無重力体験では、身体の重さを忘れ浮かび上がっていくような感覚を味わえた。心が開放されたような不思議な体験である。ただ、訓練後に感じる全身のだるさはプールの授業後に似ていた。
壱馬にとってキツい訓練は遠心加速装置でのG耐性訓練とヘッドマウントディスプレイのVR映像に順応する訓練だった。
『私を見て嘔吐くなんてひどい!』
オウカはしゃがみこみ、壱馬を見上げてくすくすと笑う。
「オウカを見てじゃないっ。それよりもそこに居られると困る。吐いてしまったらどうするつもりなんだ」
『大丈夫。私はVRだからすり抜けるだけ』
「いや、気持ちの問題が……うぐっ」
口の中にじわりと溜まっていくよだれを飲み込む。
オウカは相変わらず、からかうようないたずらっぽい眼差しで見つめてくる。何時間訓練しても、ヘルメットを装着しヘッドマウントディスプレイを起動した途端、数分も経たずに気持ち悪さに襲われるのだ。
脳の信号を受けヘッドマウントディスプレイは壱馬が望む映像を映し出す。その映像は解像度の低いものなのだが、現実の映像との差を埋めるために脳に届く前の信号に補正をかけ、解像度をあげているのだ。それはコンマ一秒にも満たないずれであり、通常なら感じ取ることは不可能なのだが、それでも脳はそのタイムラグを拾ってしまうのだ。それが過敏に反応した結果、強烈な気持ち悪さとなり吐き気となる。
ヘルメットを外そうとするが、オウカに抑えつけられる。彼女はVR映像なのだが、脳に直接送り込まれる電子信号により、彼女の動作はまるで現実に触れているかのようなリアルな感触をともなって伝わってくる。
「たのむ……気持ち悪い……」
『もう少し耐えて。いま脳波を計測して補正のタイミングを調整しているから』
「気持ち悪さを消すことはできないのか?」
『可能だけど、痛みや違和感などの刺激に鈍感になることはオススメできない』
脳の細やかな電気信号を読み取り、その信号を書き換えたり、情報を送り込むという技術はオウカの開発時に副産物的に生まれたそうだ。
「仕方がないなぁ……」
オウカの姿が一瞬霞んだかと思うと、水色のワンピースの水着姿に変わった。
「うわぁっ!」
驚いてのけぞろうとしたが、アメノミナカの操縦席のホールド感はそれを許さなかった。引きつった顔でそっぽを向く。
『その反応はなんなの! ひどくない?』
オウカの姿がまた一瞬霞む。そして瞬く間に白のビキニ姿に変わる。
『もしかして、こっちの方が好き?』
そう言って、両腕で胸を寄せ、そして腰をくねらせる。
「こ、困るっ……!」
『困るって何が?』
「その格好だよっ!」
『こういうの興味ない?』
「ある! だけど今は服を着てっ」
オウカは舌を出すと、デニムジャケットに丈の短いデニムのスカートの姿に変わる。ふたつの膝小僧が白く眩しく見えた。
「服は自由に変えられるみたいだけど、顔の形や体つきも変えられるの……?」
『うん。でもそれはしないかな。胸は少しだけ大きくしたけど』
壱馬は何故と聞きかけて止める。環希が『人の持つ機能すべてをコンピュータ上でエミュレートする』と言っていたことを思い出す。きっと、そのこだわりがオウカのアイデンティティなのだ。
「大きくしたのは少しだけ?」
『んん……? 壱馬は私の元の設計を知っているの?』
彼女は驚いたように胸元を隠して上半身を捻った。
「ん、あれ? 知っていたような気がしたけど、そういえば知らない。今度環希に聞いてみるか……」
『バカ! 絶対にそういうことは聞かないで!』
オウカは顔をしかめると歯をむき出しにした。その仕草に壱馬は苦笑いを浮かべる。
「その……、見えてないところもちゃんとあるの?」
『なになに、水着には興味ないけど裸には興味あるの?』
オウカがニヤニヤと笑う。もちろん興味はある。彼女の裸を見たいと言う純粋な思いと、どこまで作り込まれているのかという興味である。しかし、本人を前にそんなことを聞くことはできない。
何も言えなくなって黙り込む壱馬の肩がぽんぽんと叩かれた。
『どう、気持ちの悪さはマシになった?』
「あっ……」
そう言われればいつの間にか気持ちが晴れていることに気がつく。しかし、意識を向けたとたんに胸がむかつき始める。壱馬は胸元に手を当てた。
それを見たオウカは口元を尖らせ、腕を組む。
『やれやれ……、またオウカちゃんが一肌脱がないといけなくなったか』
「脱がなくていいっ!」