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1.ひさかたの光のどけき

 土岐(とき)壱馬(かずま)はじっと空を見上げていた。

 暖かな陽気を包み込む霞。それは桜の花びらの色に似ていると思った。

 その先にはどこまでも広がっていく青の世界。そこに何かちかちかとまたたくものが見えた気がした。壱馬は手でひさしを作り、眉を寄せて目を凝らす。しかし、彼の瞳はそれをもう一度捉えることができなかった。


新宮(しんくう)航空宇宙センターへようこそ」


 背後から声をかけられ、壱馬は振り返る。


「その方角にはあの星があるね」


 落ち着いた、少し公共放送のアナウンサーを思わせるような丁寧な滑舌である。

 表面をコンクリートで覆い尽くされた広大な港湾施設だ。背の高い山で囲まれた深い入江となっており、風も波も穏やかであった。遠くには高い鉄塔が数本と倉庫のようなコンクリートの建物が見える。

 視線を下げると、彼より頭一つ背の低い少女が壱馬と同じように空を見上げていた。潮の香りを運ぶ爽やかな風が彼女の黒い髪をなでた。前髪が黒縁のメガネにかかる。見知らぬ学校の制服を着ており、同じくらいの年齢なのだろうと想像する。一見地味そうに見える彼女を際立たせていたのは、白衣を羽織っている点だ。わずかに膨らんだ彼女の胸元にあるプラスチックのプレートには「三春みはる環希たき」と書かれていた。その隣に彼女の顔写真が貼られている。メガネを外し、前髪は実物よりも丁寧に揃えられている。そして、緊張していたのかカメラが近すぎたのか、寄り目になり唇もすぼめ、顔のパーツをすべて中央に寄せようとしているかのような、何とも言えない剽軽ひょうきんな表情になっていた。

 そんな壱馬の視線に気がついたのか、彼女は名札を隠し、先ほどまで壱馬が見つめていた空を指差した。


「小惑星アポカリプス。数か月後には地球に衝突し、アフリカから始まった人類の旅は終わる」


 彼女の指先を追ってみたが、壱馬には先ほどの星の瞬きは見えなかった。


「見えるの? えーっと……、三春さん?」

「それはなんとなく演歌歌手を想像するの。だから環希でいい。語感は古めかしいと思うけど、漢字は気に入っているの。それから、火星軌道付近にある直径一〇キロの小惑星なんて、さすがに見えないでしょ?」


 環希はメガネをくいっと持ち上げる。そのはずみでレンズがキラリと光を反射させた。

 火星と木星の間にある小惑星帯から、一つの小惑星が軌道を変えた理由は様々な仮説が立てられているが判明していない。さらにその小惑星が異常擾乱(じょうらん)を起こし、地球に衝突する可能性が突如九九%を超えたのは火星軌道付近に到達してからだ。その理由についても様々な仮説が立てられたが、判明していない。地球への衝撃は恐竜時代を終わらせた小惑星衝突と同じ破滅的な影響をもたらすだろうと予測された。そのことから、ヨハネの黙示録にちなんでアポカリプスと呼ばれるようになったのである。正式な名前は忘れ去られた。

 そのことが発表され、深刻な表情で一致団結を呼びかける世界の首脳たちのコメントが映像で流れた。だが、壱馬を包む周囲の空気感は変わらなかった。ネット上には悲壮感に満ちた声が溢れていたが、現実には、どうにもならないのだからいつも通りにしていればいいという、どこか楽観的な空気が支配していた。

 壱馬もまたその空気の一部である。とくに成績が優秀なわけでも、スポーツが優秀なわけでもない。たとえ何かに秀でていたからといって、地球に迫る小惑星に何かができるわけではなかった。ただ、各国の動向や国際協力のニュースを眺めるのみである。楽しいと言うには少し欠けているが、退屈だと言い切れない程度の刺激はあった。そんな生活が数カ月後に途切れるという現実を信じることができずにいた。


「もしかしてあなたは見えるの? ええっと……」

「見えた気がしたんだけどね。僕は土岐壱馬。壱馬でいいよ」


 環希は大きく瞬きをしたあと、すうっとかかとを立てて壱馬の表情を覗き込むように顔を近づけた。


「なっ、何?」


 壱馬が驚いて一歩下がっても、環希は視線を逸らさず一歩前進してきた。


「うーん……、よくわからないなぁ。だけど……」


 彼女の息が鼻先にかかり、その熱で壱馬の頬が赤くなった。壱馬はさらに一歩下がるが、環希はもう追ってこなかった。


「学校でここの宇宙施設を見学に来たんだ。そろそろみんなのところに戻らなきゃ」


 うわずった声をあげ壱馬が戻ろうとすると、環希が彼の腕をとった。少しひんやりとした指が触れ、壱馬の体はまるで引き寄せられたように硬直する。

 環希はその隙に髪をかきあげ、イヤリング型の超小型のインカム(インターカム)を指でトントンと軽くノックして誰かを呼び出しながら、いたずらっぽい微笑みを向けてきた。


「施設見学なら私に任せて。大丈夫、先生には連絡してもらうように伝えておくから」


 彼女は肩を少し丸めたような姿勢で歩き始めた。

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