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人の命より重いもの

 呆然自失としたエミィの手からナイフを奪い取り、その場で捨てた。指紋検査なんてないだろうから、血が自分の手や服につかないようにだけ気をつけて、素手で。


 一度、彼の頬を引っぱたいて「逃げるわよ」と鋭く言った。


「逃げた場所で、言い訳でもなんでも聞いてあげる。そのうえで私が死ねと言ったら、死になさい」


 失敗した暗殺者の末路など、決まり切っている。二度目はないのだ。そういう稼業である。「死」という単語を耳にした瞬間に、彼の目は力を取り戻して、立ち上がった。


 エミィは私と依頼主である兄、あるいは所属している闇ギルドの元締めの間で苦悩している。よかった。失敗を忘れ、すぐに気を取り直して暗殺に入るような人間じゃなくて。私と過ごした日々のことが、きちんと思い出として機能し、彼の枷になっている。


 隠密スキルを全力で発揮して、私たちはヴィオラの用意した屋敷へと戻った。


「ひどい顔をしているわ。洗ってらっしゃい」


 洗うべきは顔ではなくて、本当は手であることを、彼も自覚しているだろう。小さく頷いて、洗面所へと消える。


 私はその間に台所に立ち、お湯を沸かす。身体が冷えていると、ろくなことを考えない。普段使われていない家に無理を言って滞在しているので仕方のないことだが、お茶っ葉など存在しなかった。仕方がない。白湯だ。


 エミィは、いつもの美しい女顔を憂いに染めていた。


「お飲みなさい。落ち着くわよ」


 黙って私の指示通りに動く。半分くらい飲み終わるのを待ってから、私は本題に入った。


「まずは……あなたの本当の名前、教えてくれる? さすがに、男の子がエミィなんて名前ではないでしょう」


 エミィは持っていたカップを落としかけた。慌てて受け止める反射神経は、さすがプロの暗殺者というところか。彼はテーブルに置いて、青い顔を私に向け、声にならない声で、「どうして……」と言った。


 どうして、と言われてもねぇ……私は首を捻る。


「なんとなく、わかっちゃったのよね。骨格とかで。ああでも、他の人間は気づいていないと思うから、安心なさい。あなたの女装は完璧だったわ。顔も動作も、普通に女の子だった。ひとつ、今後のためにアドバイスをするなら」


 そこまで言って、口を開けたまま止めてしまった。今後なんて、あるのかしら? 暗殺者に。


「あなたは新人メイドらしくなかったわ。完璧すぎるのよ、その年で、都会の出身でもないのに。田舎娘はもっと朴訥よ。たぶん、女の子の知り合いがあまりいないんだろうなあ、って思ったの」


 最初に迷子になったフリをしたところまではよかったけれど、その後は私の世話をパーフェクトに勤め上げた。王宮のメイドの仕事は細分化されているし、通常、主人の身体に触れる業務は含まれない。それは女官の仕事だ。


 それから私は、兄からの手紙に書かれていた暗号についてもエミィに確認をした。月が沈むか、雪が降るか。これらは推測通り、ルーナマリアを殺すのはいつか、という催促であった。


 がっくりと肩を落とした彼は、「何もかも、お見通しというわけですか……」と、自嘲した。


 エミィは覚悟を決めた目で、私に陰謀を語り始める。私もギルド長から聞いただけですが、と前置きをしたうえで。


「ルーナマリア様は、巫女姫として母国では人気がおありになります。ですから、嫁いですぐに殺されたとなれば、その落ち度を帝国に求めることができます」


 そこで、慰謝料として土地の割譲を望むつもりであったのだという。つまり、政略結婚よりもずっとひどい。婚家で死ぬのがお役目だったわけである。


 ヴァチュリエ王国は、宗教国家だ。創世の女神の慈愛を信じる証のために、自国の軍を持つことが禁じられている。国防は、外部の傭兵を雇うことで賄われている。自分から侵略戦争を仕掛けることなんて、できやしない。


 自分の今ある分だけで満足すればいいというのに、人間は、私を含めて愚かである。一度成功したら、次も、とどんどん欲深くなっていき、足元をすくわれる。


「ルナ様にお話ししたことで、唯一真実がございます」

「あら、それは何かしら?」


 性別すら偽っていた男の語る真実には、大いに興味がある。覚悟の決まった目をしている彼は、私をまっすぐに見つめる。暗黒なのに、光を感じる視線を向けられて、ゾクゾクした。


「私に、病気の妹がいることです……」


 エミィのように黒髪に金の瞳を持つ者たちを《夜の民》という。少数民族である彼らは、国を持たない。夜目が利くことや、手先の器用さなどのスキル、少数民族であるがゆえの弱さなども相まって、裏稼業に手を染めていることが多い。


「なるほど、妹さんを人質に取られている、と?」


 唇を噛んで、小さく頷く。


 守るべきものがある人間の弱みにつけこみ、自分たちの思い通りに働かせようとする。


 そうね、いい作戦だとは思うわ。でもそれって、本当の忠誠と言えるのかしらね?


 これから起きる出来事が、すべて私の書いたシナリオ通りに進んだとき、ヴァチュリエ王国がどうこう言っていられなくなる。そこから仕事をもらっていた闇ギルドもダメージを受けるだろう。


 私は立ち上がり、エミィの前に手を出す。


 本当に人の心を掴むということは、脅迫などではできないのだ。脅しは恐怖を生み、それがパニックへと転じて、壊れていく。


 だから、エミィは私がもらう。にたりと笑った私を見て、彼は怖気づいているかもしれないが。


「エミィ。ならば、私の配下となりなさい。あなたの妹さんも、悪いようにはしないわ」

「しかし」


 現状、ルーナマリアは母国の父と兄から命を奪われ、皇帝の寵愛もない、吹けば飛ぶような立場である。そんなところに身を寄せたところで、エミィのメリットにはならない。


 今度は、聖女らしい微笑みを浮かべる。ああ、そうだ。聖女だ。私は女神の命によって生かされ、動いているのだから、紛れもなく。


 たとえその使命が、この世界をぶち壊すことであっても。


「私は、創世女神・ヴァーチェの命令によって、世直しのために動かなければならないのです。あなたには、私の仕事を手伝ってもらいたいの」


 メイドとして日向に、暗殺者として影に。エミィのスキルが役に立つ場面は多いだろう。


 女神から転生特典として、ありとあらゆるスキルをもらっていたら、ひとりで行わなければならなかったことも、私そのものは普通の少女の肉体しか持たないからこそ、多くの人間の協力が必要なのだ。


 騙し、出し抜き、自尊心をくすぐり、私に依存させ、最後には裏切る。


 人間関係の構築と破壊の過程を楽しめないのは、私にとっては面白みがない。だから、転生特典はお断りした。


「さぁ、エミィ。取りなさい。それとも、私のことを殺す? それでもいいわよ。あなたの手が取るのは、私の手でも、この命でも」


 人生なんてものは賭けなのだ。これまでの間に、エミィの信頼度や好感度を稼げなかった私の負け。敗者はこの世を去るのが道理であろう。


 果たして、エミィは私の手を取った。ギルドは妹の命を楯にしたのだろう。お前が逃げたり、失敗をしたりすれば、命はないぞ、と。


 私はそんなことはしない。まずはそうね、城に呼び寄せて、病気を治せるかどうか、見てもらわなければ。


 その後はペネロペやエレーラ付きのメイド見習いとして雇ってもらえるように、働きかける。そう、スパイとして、私はエミィの妹を飼うの。病気を治した私に、兄妹は大層感謝してくれるでしょう。その気持ちを身体で返してもらって、何が悪い。


 手の甲に忠誠の口づけを受けて、私は思考する。


「そうねぇ……まずはやっぱり、卑怯者を懲らしめなければならないわね」

 

 女神様だって、自分を祀り上げる国が、巫女姫を殺して賠償金を取ろうなどというクソみたいな国だったら、嫌でしょうし。


 祖国の悪口は、頭に思い浮かべていただけのつもりだったが、思い切り口に出ていたらしい。


 まだ少し青い顔をしたエミィが、「ルナ様。その、言葉が下品ですよ」と、変わらずメイドらしい口調で諫めてくるものだから、笑ってしまった。




 エミィ――その後、本名はエーミールと言うのだと教えてくれたが、しばらくメイドのままでいるのが都合がいいものだから、彼はエミィのままだ――は、自分が誤って殺してしまったヴィオラの死体のことを、しきりに気にしていた。


「皇妃様の部屋に置きっぱなしでよかったのでしょうか」

「暗殺者は、死体の処理は習わないのではなくて?」


 彼は目をぱちぱちと瞬かせる。思い出しているのだ。自身が受けた教育を。そして、死体を隠す方法についての知識が頭の中に本当に存在しないことに気がついた様子である。


 カラカラと声を上げて笑う私に、「お恥ずかしいです。部屋のお掃除は得意ですのに……」と、冗談が言えるくらいなら、大丈夫だろう。いや、彼の場合は本気で言っているのかもしれないが。そのくらい、メイドが板についている。


「大丈夫。むしろ、都合がいいのよ」


 私はエミィに、予定通り三日の休暇を与える。その間に妹と暮らす家を片付けておきなさい、と。


 私をひとりにすることに、彼は大いに渋った。


「疑われたくないでしょう? なら、私の言うとおりになさい」


 命令すると、エミィは頷いた。


 そして私は次の日の午前中にのんびりと屋敷を出て、城へと戻った。まるで、今しがた事件が起きたことを知り、駆けつけたのだとわかるように息を切らして。


「私の部屋で女官が死んでいる、ですって?」


 消息不明であった第三皇妃が、町娘のような格好で城に現れたものだから、皆がぎょっとした。最初、偽者を疑われて扱いが雑であったが、恐怖に震える女官たちが、ルーナマリアであることを保証してくれた。


 どうしても確認がしたいとごり押して、私はヴィオラの遺体を見ることが叶った。昨夜はあまりよく、見えなかったのだ。死体は布団の中だったし、光源は月だけだったし。


 すみれ色の目に涙をたっぷりためて、唇をきゅっと引き結んで覚悟の表情を作って何度も言い募ると、担当の兵士は溜息をつき、死体が安置されている場所に連れていってくれた。


 解剖したりはないが、一応、あれこれと検死はするらしい。地下に掘った簡易霊安室の中、地面に横たえられた彼女の顔には、布がかかっている。


「いいですか? 取りますよ」


 ハンカチで口元を押さえながら、頷く。ひらりと取り払われた布の下には、首がほとんど切り落とされかけている女の顔があった。目が閉ざされており、口は半開きのまま、硬直している。


「ウッ」


 嗚咽を漏らして、死体に背を向けた。ほら、言わんこっちゃない、という兵士の心が見える気がした。気軽に皇妃の身体に触れることはできないため、彼は女官を連れてこようと思い立った。死体と一緒に取り残される方が、普通の女の子なら辛いはずだから、彼はだいぶずれている。


 遠ざかる兵士の足音を聞き、私はハンカチを取り払った。もちろん、吐き気を催したとか、泣きたいくらいショックであったとか、そういうわけではない。そっとヴィオラの元に近づいて、布を取り払う。


 だって、おかしいじゃない?


「これこそまさしく、首の皮一枚繋がった状態……ってやつね」


 笑いをごまかすのが大変だった。肩を震わせたら、勝手に泣いていると勘違いされてよかった。しかし、慣用表現では「間一髪で助かる」だけど、あなた、死んじゃってるじゃない。ふふ、おかしい。


 彼が戻ってくる前に、布をかけ直しておかないとね。ハンカチで鼻や口を押えて、泣いているフリをしながら待った。


「ルーナマリア様……」


 緊張の面持ちでやってきたのは、女官長である。おや、第三皇妃付きの若い子が来ると思っていた。死体の安置場所なんて、肝の据わったベテランじゃなきゃ、来られないか。


 そんな風に考えていたが、違った。


「陛下がお呼びでございます」


 ま、そうなるわよね。




 女官長は「陛下が」と、まるで個人的な用みたいに言ったけれど、実際は査問会だ。皇帝陛下だけでなく、皇太子・マクシミリアンや宰相、法務大臣他、貴族の中でも要職にある人物ばかりが集まった部屋に、私は呼び出された。


 ぐるりと見まわす。味方はひとりもいない。


 ひとり、挙動不審な人間がいた。皇太子だった。青い顔をして、私と目が合うと、肩を跳ね上げ、背中を丸くする。


 当然だ。彼が昨日、私の部屋に忍んで来ようとしていたら、一緒に殺されていたかもしれないのだ。命の危機に瀕していたのだと自覚はあるようだが、もう一歩先に考えが及ばないようでは、到底この国は維持できない。


 創世女神は帝国を滅ぼせと言ったが、マクシミリアンが即位したら、自然と弱体化するんじゃないかしら。


「第三皇妃、ルーナマリア・ヴァチュリエ・グーツェ」


 甲高い声は、法務大臣から発せられる。


「はい、いかにも」


 淑女の礼を執る間もなく、質問は投げかけられる。


「ルーナマリア妃は昨夜、どちらにいらしたのですか」


 さて、タイミングはどこだ。


「昨日は、その……女官のヴィオラ・ミーガンの親族が所有していた屋敷に、泊めていただいておりました」

「なぜ?」

「皇妃の部屋では、なかなか眠れずに体調を崩していたのです。それを心配したヴィオラは、私に宿下がりを提案いたしました。私は彼女の指示に従って……勝手に城を出たことは、深く謝罪いたしますわ、陛下」


 皇帝は応えなかった。


 この国の価値観では、妻は夫の持ち物であると言っても過言ではない。だからこそ、大切にしなければならない。だが、皇帝は妻を咎めることもしなければ、無事を喜ぶこともしない。


 ルーナマリアは、十五歳の小娘である。成人したばかり、母国からひとりでやってきて嫁いだばかりのか弱い身だ。夫である皇帝の庇護がない状態では、生きていけない。


 ここだ、と直感した。夫から見捨てられてしまう。怖い、怖い。普通の貴族の娘なら、ここで不安にな

り、絶望する。


 ひっ、と喉の奥を震わせた。ぐちゃぐちゃに握り締めたハンカチで、顔を拭う。


「わ、私が悪いのです。陛下が部屋にいらっしゃらず、寂しさに負けて、患ってしまい……けれど陛下」


 ぐすぐすと泣き真似をしながら、私はじっと夫である男を見上げた。一段高いところに座って、距離が遠い。表情が見えない。


「こ、殺された女官、ヴィオラ・ミーガンは言いました。自分が、陛下の寵愛を得た、と……確かに私とヴィオラは背格好が似ておりますが、本当に、気がつかなかったのですか?」


 浮気を詰ることができるのは、妻の特権である。皇帝は、私の言葉に初めて反応をしめした。


「そのような女は、知らぬ」


 と。


「う、嘘です! ある朝、あの子の身体には、閨での出来事を思わせる痕がありましたっ。他の女官にも尋ねてみてください。ヴィオラは自慢していましたから……!」

「だから、知らぬと言っている。私がそなたの部屋に行ったのは、婚儀の日の夜が最初で最後だ」


 ええ、そうよ。私が一番よく知っているわ。


「……では、ヴィオラを汚したのは、誰だったのですか?」


 ぽつりと疑問を投じると、波紋が大きく広がっていく。部屋の中にいた連中は、皆顔を見合わせ、どよめいている。


「た、確かに、陛下がルーナマリア様の部屋を訪ねていないのに、その女官が誰かと枕を交わしていたとしたら……」

「皇妃の部屋だぞ!? そんなところまで入り込める男がいるのか?」

「今回の殺人も、陛下を騙った暴漢の仕業では……?」


 思った通りの反応だ。皇妃の私室という、宮殿の中でも奥の奥、警備が厳重な場所に入り込んできた、謎の男の存在。男は明らかに、第三皇妃――……つまり、私を狙ってやってきたと考えられる。


 その事実は、女官ひとりの命よりも、各段に重い。


 警備がどうだとか、女官たちの意見を聞かなければならないだとか、もはやここは、殺人事件の状況を把握するための話し合いの場ではなくなってしまった。いかに第三皇妃の身を守るか、という点に議論は移っている。


 私はそっと、マクシミリアンを見つめた。今頃になって、自分が行ったことの重大さに気がついたかしら? 


 ロリコンのあなたにとっては、ちょっと遊んでやろうという程度の話だったのでしょうけれど、警備という観点からは、そうはいかない。


 会議は女の与り知らぬところで進むのが常だ。だが、死んだヴィオラについて知りたいと呼ばれた私の頭上で、男たちの意見が飛び交っている。


「そういえば、私にも屋敷が与えられると伺っておりますが、どうなっておりますでしょうか?」


 ついでにツッコミを入れてやると、すっかり忘れたふりをしていた男たちの間抜けな顔が見れて、面白かった。


 そして結局、ヴィオラ殺しの件はうやむやになる。人の命とはまったく、軽いものだ。


 ちなみに、彼女の実家は取り潰しと相成った。皇帝を騙して私欲を遂げようとした、ということで。マクシミリアンにお咎めがないのは納得いかないが、彼はそのうちまた、忘れた頃に何かやらかすだろうから、今は泳がせておく。 


 いつか彼は、自分自身の罪を贖う時が必ず来る。


 ルーナマリアの兄と、同じように。




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