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ヴィオラ、そのはかなき命

 私が城に戻った日、エミィは復帰した。さすが私のエミィ、屈強で素晴らしい。あまりにも恐縮しているものだから、よしよしと頭を撫でておいてやった。顔立ちも相まって、大きな黒猫に見える。エミィには、ヴィオラの所業は伝えていなかった。


 この日以降、ヴィオラは私に対して横柄な態度をとるようになった。これまでは媚びて、自分を優遇してもらおうとしていたが、今や彼女の方が第三皇妃の部屋のヌシといった感じで、他の女官たちも困惑している。


 馬鹿ねぇ、と思った。


 あなたが皇帝の(本当は皇太子の)寵を得たのは、向こうがルーナマリアだと勘違いしたからでしょう? 私の不興を買い、「チェンジで!」と、解雇されるとは考えないのだろうか。賢いようでいて、結局は下級貴族の娘の浅知恵である。気がついたときにはもう、取り返しのつかないことになっているのだ。


 最後のトリガーを引くのは、私ではない。私がやるのは、ドミノ倒しの最初のひとつを弾くことだけ。


 さて、風邪から復帰したエミィは元気にやっていたが、再びヴァチュリエ王国から届いたサーランの手紙を読んで以降、気分が沈んでいるというか、気もそぞろになっているようだった。


 兄の手紙は相変わらず、内容が伴わず、帝国ではいつ雪が降り始めるのか、という言葉で締められていた。地理的にはこちらの方が南の温暖な地域なので、ヴァチュリエより早いということはない。


 まぁ、兄が聞きたいのはそんなことではないでしょうし、この手紙を本当に読ませたい相手も私ではない。


 二、三日様子を見てから、私はエミィに声をかけた。


「どうも調子が悪いようね、エミィ」

「は……いえ、そんなことは……」


 目覚めの茶を注ぎにやってきた彼女を、上目遣いに見やる。お茶を淹れる手つきが、いつもと違う。力が入りすぎて、震えている。


「ねぇ、エミィ。正直に言ってちょうだい」

 彼女は私の目に弱い。初対面のとき、エミィを女官たちの罵詈雑言から庇ったときにはもう、彼女は私のとりこになっていた。


 日向瑠奈であったときから、私にはそういうところがある。自分の役に立ちそうな人間を魅了して、心からの忠誠を誓わせる、何かが。


 人によってはそれをカリスマと言うかもしれないし、魔性と忌み嫌うかもしれない。私にとっては無意識のことで、完全に意図しないところで発揮される。もっと狙って出し入れできたのならば便利なのに、そううまくはいかないものだ。


 エミィは沈んだ表情で、「実は……」と言った。


「実は、妹の症状が最近重いようで……心配で、ルナ様のお世話に集中できず、申し訳ございません」

「あら……そんなこと、気にしなくていいのよ。それよりも妹さん、心配ね」


 深く同情を寄せる。うっすらと目に涙、までいくとやりすぎだ。きゅっと眉を寄せて、それから開く。


「そうだわ、エミィ。あなた、お休みを取って実家に帰っていらっしゃいな」


 手を叩いて、我ながら名案だとアピールする。エミィは当然、渋った。


「私がいない間、ルナ様のお世話は……」

「女官がいるわ。大丈夫。上手くやれるもの」


 エミィも、ここのところヴィオラが大きな顔をしていることには気がついている。苦い顔をする彼女を辛抱強く説得し、とうとう首を縦に振らせた。


「じゃあ、さっそく今日からお帰りなさい。家は帝都ではないのでしょう? 早い方がいいわ」


 目を白黒させているエミィを、あれよあれよという間に部屋から追い出した。


「ふ……ふふ、あははは」


 扉の前からエミィの気配が消えるのを待って、私は限界を迎え、笑いが止まらなくなった。


 合格よ、エミィ。ここでもしも、「本当に」正直に話していたとしたら、私はあなたのことをこのまま飼ってあげられなくなるところだった。嘘をついたあなたには、ご褒美。仕事をやりやすくしてあげる。


 もっとも、あなたの仕事相手は私じゃないけれど。




 旅支度を終えたエミィが挨拶に来たときには、ヴィオラを始め女官が揃っていた。


「三日で帰ってまいりますので」

「あら。もっと長くいてもいいのよ?」


 そういう私に、渋面のまま一礼をして、彼女は城を出て行った。


 私は女官たちに世話をされる。その中にヴィオラはおらず、彼女は皇妃の部屋をガチャガチャと弄り回していた。


 皇帝陛下のお手付きになったと思っている彼女は、私をこの部屋から追い出して、新しい主になるつもりでいる。だから、勝手に調度品の角度を変えたり、気に入らない絵だからと下ろしたりするのだ。


「ルーナマリア様。今日は髪の毛は、いかがなさいますか?」


 ヘアセットも、いつもはエミィがやってくれる。私は小さく溜息をつき、首をゆるりと横に振った。


「今日は、このままがいいわ……なんだか、頭が痛いの。コルセットも緩めてくれる? 苦しいのよ」


 女官たちは、「お医者様を呼ばなければ」と慌てるが、私は制した。たいしたことはないの。ゆっくり寝ていれば治るわ、と。


「それに、私なんかが大怪我をしたわけでも、大病を患ったでもないのに、お医者様を呼びつけたと知ったら、陛下がお怒りになるかもしれないわ」


 私が冷遇されているのは一目瞭然であったから、女官たちは互いに視線を合わせるだけであった。巻き添えを食って叱責されるのは嫌だと思っているのだ。私はすでに、どうすべきかの答えを思いついているのだが、決して口にはしない。はっきりとあからさまに誘導はするけれど。


「この部屋は、私が以前暮らしていた場所とは違いすぎるの……ずっと緊張してしまっていたのね。たぶん、そのせいよ」

「……お部屋が原因なら、ここで寝ていても、よくはならないのではありませんか?」


 勇気を出して一歩踏み出した女官の名前を、私は覚えていない。目鼻立ちは化粧を落とすとぼんやりしていそうだが、知性が顔に出ている子だと感じる。私のヒントをうまくアシストしてくれた、ファインプレーである。


「そうかもしれないわね。でも、仕方がないわ」


 弱々しく微笑むと、先ほどまで好き勝手して私など眼中になかったヴィオラが、こちらへとやってくる。


「ルーナマリア様。よろしければ、私の母の実家に泊まりませんか?」

「え?」

 いけない。ようやく来た正解に興奮して、紅潮してしまうところだった。困惑の表情を作り、「そんな、気を遣わせてしまうわ」と、おろおろする。


 ヴィオラは胸を張った。


「いえ、実家と言っても今は、誰も住んでいないのです。母方の祖父が引退しまして田舎に引っ込んでしまいましたので。定期的にお掃除はしておりますし、私も鍵を預かっておりますから、すぐにでもご案内できますよ」


 彼女は私を心底気遣っているというフリをする。ベッドに腰かけたままの私の肩を抱き、髪に頬を摺り寄せる。


 おかわいそうな皇妃様。これからその地位を、奪われるのですから――……。 


 そんな幻聴が聞こえてきそうだ。


 私は恐縮して、


「そうね。陛下に宿下がりをお願いしても、許可が出るまでに何日かかるかわかりませんし……お手紙を書いておきましょう」


 決して皇帝が見ることのないだろう手紙をしたためて、のっそりといつも以上に時間をかけて、私は出かける支度を女官とともに終わらせた。




 ミーガン家のタウンハウスは、狭小住宅そのものだった。狭い土地に無理矢理貴族らしい部屋数や機能を持つ屋敷を建てようと思ったら、どうしても上に伸ばすしかない。見れば、ご近所さんもみんな似たような建造物となっていて、建売住宅が並ぶ日本の住宅地とそっくりだった。


 馬車でここまで送ってくれたヴィオラに、礼を言う。心はちっとも籠っていないが、お互い様だ。彼女の方からも、主に対する敬愛などというものは感じられない。


「ルーナマリア様。では、三日間はこちらでお過ごしくださいませ」

「ええ。その間のことは、ヴィオラ。あなたに任せるわ」


 くすっと彼女は笑った。主人に向けるものではない、相手を馬鹿にする笑い方だ。ここにはふたりしかいない。城とは違って人の目がないから、ヴィオラも本性を隠さず、大胆になっている。


「次に戻ってくることなんて、ないかもしれませんよ、ルーナマリア様。私が陛下のお心をしっかりと掴んで、皇妃として立つのですから」

「ヴィオラ……」


 息をのむ。迫真の演技だ。最後に高笑いをして、「おかわいそうに。でもここでなら、愛人の方と仲睦まじく暮らせますよ」と言った。


 それが、生きているヴィオラを見た最後であった。





 ――さて、異世界転生には、いわゆる「テンプレ」と呼ばれる展開がある。


 そのうちのひとつが、「転生特典」や「ギフト」と呼ばれる特殊な才能・スキルだ。ときにはとんでもないハズレスキルを割り当てられ、けれど有用な使い方を思いついた人間が無双する、なんて物語も多い。


 死んだのは私の都合だが、この世界に転生することになったのは、女神の都合だ。そりゃあもう、ありとあらゆるスキルをくれようとした。帝国を滅ぼしてほしい、という普通の女子高生であれば到底無理なお願いを叶えてもらおうというのだ、守りをガッチガチに固め、攻撃手段も多ければ多い方がいい。


 残念ながら、私は普通の高校生ではなかった。なので、彼女があれもこれもと言ってきたほとんどのものを拒絶した。


 それでも、攻略のために役に立ちそうなスキルはいくつかもらっている。


 そのひとつが、「隠密」。誰にも見られないように、息を潜めて敵地へと潜入する、刺客には必須のスキルだ。


 普通は職務に就く人間が、訓練や実地での経験を積むことで少しずつ開花していくものだが、私の場合は女神様のお墨付き。一度も実践をしたことはないが、簡単に城に潜入することができた。それはそれで、どうなっているんだこの国は、という感想になってしまうが。


 見張りの衛兵の警邏をうまく躱して、私は奥の宮、私の使っている第三皇妃の部屋がある場所までたどり着いた。時刻はすでに、夜の十一時を回っている。この世界は夜遅くまで起きているメリットがほとんどないため、女官たちは皆、自分の部屋に戻っているだろう。


 たったひとり、ヴィオラを除いて。


 夜目が利く状態なので、明りもつけずに私は、ぬるりと侵入する。自分の使っている部屋なのに、おかしな表現である。主らしく堂々と、帰還した。


 ベッドが膨らんでいる。すやすやと寝息も聞こえてくる。前回は私がお膳立てしたから首尾よくいったが、今回は彼を仕向けることもできなかった。エミィや私が不在のこの三日間、ヴィオラは私のふりをして、皇帝の訪れを期待しているが、そう上手くはいかない。彼はエミィが不在であることすら、知らないだろう。


 私の敵は焦っている。手紙の文面に隠された暗号から、それがよくわかった。

 ルーナマリアの実兄、サーラン・ヴァチュリエが手紙を送ってきたのは、私のご機嫌伺いのためではない。もうひとり、この城に潜入させた者に対する指示書であった。


「月はいつ頃沈むか」「帝国ではいつ、雪が降るのか」


 ヴァチュリエもグーツァ帝国も、地球的にいうのなら経度はほとんど変わらず、時差はない。王家の教養として、サーランは知っていなければおかしい。雪についても、帝国は温暖な気候でほとんど降らないということを知っていて、尋ねている。


 これは符丁だ。月も雪も、ルーナマリアのことを指している。それが沈んだり、降ったりするということはすなわち、「ルーナマリアの暗殺は、いつ決行するのか」という問いなのだ。


 城の警備は厳重で、皇妃への手紙を事前に読むことのできる人間など、限られている。けれど、スパイ技術を身に着けた人間が、城の中にいたとしたら。


 クローゼットの中に隠れた。扉は少しだけ開けて、息を殺す。「彼」が来るとしたら、今日だ。これは明確な根拠があるわけじゃなく、私の勘。


 すでに二度目の催促が来ている。きっと、私が本当に皇帝の寵愛を受けるようになったり、懐妊したとなると、警備がより強固なものになる。ないがしろにされている今のうちに決着をつけろと、兄は急かしている。


 私の命を狙う「彼」の決心も、時間が経つごとに鈍っていくに違いない。だから、チャンスを与えたその日のうちにやってくると踏んだ。


 どのくらいの時間が経過しただろうか。私の勘もあてにならないな、と思い始めてうとうとし始めたとき、眠っているヴィオラ以外の気配を感じて、ハッと目を覚ました。


 そっと覗き込むと、彼の仕事は始まったばかりだった。ベッドの上で上下している塊を見下ろして、持っていたナイフを掲げる。その切っ先は震えていて、とてもじゃないが、即死させられるとは思えない。

 

 悲鳴を上げられたら、暗殺は失敗なのだ。夜回りの衛兵が駆けつけてきて、取り押さえられる。一撃必殺が、暗殺者の掟であった。


 ……止める? そんな馬鹿なこと、するわけないでしょう? 


 だってヴィオラは、このために選んだのだ。背格好も、髪の色も乏しい明りの下ならば似ている。身代わりには最適な女だった。適度に賢しらぶっているところも、生贄向きだった。


 じっと見つめていると、暗殺者は深呼吸した。吸って吐いてを繰り返すと、ぴたりとナイフに伝わる震えが収まった。


 彼もプロなのだ。


 素早く振り下ろすナイフ一閃、ぐっすりと眠っていた女の、文字通り寝首を掻いた。赤は心もとない月光の下ではよく見えず、ただの黒い染みのようだった。


 ふーっと深く息をついた刺客は、顔を半分隠していた布団を上げようとする。


 雲が晴れたのだろう。窓から差し込む月光で、一際明るくなった。


「残念ね。それは、私じゃないわ」


 クローゼットから抜け出して、私は彼の背後に立った。振り向いて、私とベッドの上の物言わぬ死体の顔とを交互に見比べる。


 全身黒づくめで、目出し帽まで被った暗殺者。見えているのは、特徴的な金の目だけ。


「エミィ。いいえ、あなた、本当の名前は、なんというのかしら?」


 堂々たる私の佇まいに、彼はすべてを諦めたように、膝をついた。






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