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ルーナマリア、画策

 朝、起こしにきたのはエミィではなかった。


 あの子は寝穢く私がぐずぐずしていると、次第に揺り起こす力が容赦なくなっていくのだが、今日は私がしっかりと覚醒するまで、ずっと一定のリズム揺すられた。本当に起こす気があるのか疑問になる、心地よい動きだった。


「……エミィは?」


 私の髪を(くしけず)るのも、ドレスに着替えさせ、簡単に化粧を施すのも、すべて女官たちが慣れない手つきで行った。彼女たちも、家では侍女に傅かれる貴族の令嬢や若奥様である。自分で服も着られない人たちが、他人の世話をしていることに笑えてきた。


 はみ出た紅を指先で拭いながら尋ねると、先日の庭園散歩の一件で、ここにいる女官のリーダーに成りあがったヴィオラ・ミーガンが代表して応える。


「エミィは熱があるため、下がらせました。ルーナマリア様に伝染ったら、大変ですからね」


 そういえば、昨夜寝る支度をしているときのエミィは、いつもよりぼんやりしていたし、時折咳を我慢している様子も見られた。もうちょっときちんと見てやらなくては、主人失格だわ、と私は溜息をつく。


 やっぱりあの子がいいのだ。大勢の女官に誉めそやされても、気分はよくならない。エミィの大きな手であれこれと世話を焼いてもらうのがいい。


 アンニュイな表情を浮かべて「そう」と言ったきり沈黙した私に、女官たちは顔を見合わせ、頷いている。

「恐れながら、ルーナマリア様。本日は、私たちが」


 矢面に立たされたヴィオラは、しかし、堂々としている。並大抵の娘であれば、お喋りに乗り気ではない私の醸し出す空気に気おされて、話しかけてはこないだろう。


 この女は野心家で、自信家だ。


 ミーガン家は、子爵位を賜っている。正しくは、ぎりぎりしがみついている。


 何しろ、貴族の位にふさわしい働きは、ほとんど何もしていないのだ。一応、官吏として城には詰めているが、目立った働きはない。なのに、賃上げの交渉や自身の立場の向上を狙っている俗物。


 私が少し調べただけでも、よくない情報が集まってくるほどだ。他の女官の家も似たり寄ったりで、私のところには、高位貴族の娘はひとりもいない。


 メイドを供として連れ回している第三皇妃は、女官の身分も問わないでしょう、と男爵位どころか騎士の娘すら宛がってくるのは、女官長の嫌がらせなのだろう。


 まぁ、気にしていない。どうせ、仲良くやる気は一ミリもない。使える駒なら拾い上げるし、使えないのなら捨てるだけだ。


 ヴィオラ・ミーガンは、そういう意味では、「たいそう使える」駒だった。


 私は彼女ひとりを傍に呼ぶと、持っていた扇子を開き、口の動きを周囲に見せないように注意しながら、耳打ちをする。


「私、今日の夜はこの部屋から出たいわ」

「は……ですが」


 唇に笑みを湛えて、上目遣いでヴィオラの目を覗き込む。角度によっては、淡い紫色に見える瞳に、さらりと振りかかったのは、ほとんど白にも見える金髪。


「手配してくださる? エミィは真面目で頑固だから……私、もう我慢できないの」


 融通の利かないメイドと一緒だと憚られる用事など、そんなに多くない。ルーナマリアは生まれながらの王女で、ひとりきりで行動する時間の方が少ないのだ。


 私の匂わせに、ヴィオラは「ああ」と、勝手に合点してくれた。すなわち、私が愛人に会いに行くのだと解釈したのだ。


 婚礼から早数か月、夏を通り過ぎて秋も深まる季節だが、皇帝陛下が第三皇妃の部屋を訪れていないことは、乱れのないベッドと寝間着から、女官たちも気づいている。


「かしこまりました」


 ヴィオラの目が、一瞬きらりと光ったのを、私は見逃さなかった。




「ルーナマリア妃。今日はお招きをありがとう」


 私は急遽、マクシミリアンに相談があると言って呼び出した。もちろん、彼のお目付け役である男性も一緒だ。


 この男は、先日の第一皇妃たちとの茶会のときもそうだが、極端に無口で、口が堅い。マクシミリアンもそういうところを気に入って、重用しているようだ。


「ごきげんよう、マクシミリアン殿下。今日は突然のことでごめんなさい。来てくださって嬉しいわ」


 対するこちらは、ひとりである。女官たちは全員追い出した。ヴィオラは「なぜですか」と怒っていたが、「私はまだ、あなた方のことを信用できないの。前の女官たちにされた仕打ちを思うと……」と、目を伏せて悲しそうな声を出したら、黙った。


 具体的には知らされていないようだが、その後の元女官たちの落ちぶれ方はよく見知っていて、ああなるのはごめんだ、と思ったのだろう。


 完全な密室にするのは下種な勘繰りを生む。外の見張りの人間に、扉を少し開けておくように命令した。何もかもを心得た顔をした男は、短く了承の返事をして、外に立っている。部屋はある程度広いので、小さな声で話をすれば、外に漏れることもない。


 まあ、いずれにせよ話は手短に終わらせるに限る。茶菓子として出したのは、クリームを使った生菓子だ。相手も、短時間の会合であることにはピンと来ているはず。長くゆっくりお喋りを楽しむのなら、時間が経っても味がさほど変わらないものを準備するのが、心配りというものだからだ。


「今日はエミィはいないのですね?」

「ええ、お恥ずかしながら、主人なのにあの子の体調不良にも気づけませんで」


 どうぞ召し上がって、と促すと、まずは侍従の男が食べる。いついかなるときでも、高貴な身分の者は、毒見なしに食べ物を口にしてはならない。現代日本の安全に慣れてしまった私は、ついうっかり、先に食べようとしてしまうことがあって、その度にエミィに怒られている。


 男の人の一口は大きい。半分くらい減ったところで話をしようかと思っていたら、マクシミリアンは一口目でそのくらい食べてしまっている。


 私は自分の分のケーキに手をつけず、彼を呼び出した本題に入った。


「陛下は、私のことをどう思っていらっしゃるのでしょう」


 マクシミリアンは手を止める。飲みかけていたカップをソーサーに戻した。


「どう、とは」

「お恥ずかしながら……陛下のお渡りがなく、毎夜寂しく過ごしております」


 口元に手をやって、身体ごと視線を逸らし、恥じらいを強調する。十五、もうすぐ十六歳になる少女が、夫との夜の生活がないことを、夫の息子に相談をしているのだ。そこには強烈な羞恥と、それ以外の意図があるに違いない……と、思わせる。


「ルーナマリア妃……」

「ええ、わかっております。慎みのないことだということは。けれど、殿下。私は、皇帝の妻としてこの国に、たったひとりで参りました。昼も夜も放置され……私、寂しくて寂しくて……」


 一度俯き顔を伏せ、それからパッと上げる。目は涙で濡れているとベターだったが、残念ながら私は女優ではない。自由自在に涙を操れる女ではないが、表情筋のコントロールそのものは簡単なので、悲痛な顔というのはできる。


「殿下。私はそんなに、魅力のない女でしょうか? 殿下のお眼鏡には、適っておられますか?」


 とどめの一言に、マクシミリアンの目の色が変わる。人間の目から、獣の目になる。本当に、下種な生き物だ。反吐が出る。


「……そんなことはございません。陛下の妃に対しては不敬でございましょうが、ルーナマリア様は、お美しく、愛らしい。陛下はなぜ、あなたを愛でてさしあげないのか、理解に苦しみます」


 私からしたら、自分の息子よりもずっと幼い小娘に執着しない陛下の方が、あなたよりもずっと理解できるけど。


「マクシミリアン殿下……」


 さあ、私の思い通りに動いてちょうだい。





 頭が痛いと言って、夕食も摂らずに部屋に籠った私を、ヴィオラは手引きした。地味なドレスを着て、頭からマントを被って外へと抜け出す。


 衛兵に見とがめられたが、彼女は「ルーナマリア様に泣かされたのよ。恥ずかしくて顔を上げられないっていうから」と、私のせいにして乗り切った。いつも私の愚痴を言っているのだろう、あっさりと納得され、通された。


 彼女がとってくれた宿は、裕福な商人や豪農が使うような、少々高めの宿である。もちろん、宿泊費は私のポケットから出す。


「ありがとう、ヴィオラ」

「いいえ。ルーナマリア様のお願いですから」


 にっこり笑顔を浮かべた彼女に、恐縮した素振りを見せた私は、頬に手を当てて今度は困った顔を見せる。


「でも、私がいないとばれたらどうしましょう。私が怒られるだけならまだしも、あなたたちにも迷惑をかけたら」


 万が一、陛下のお渡りがあったとしたら、一大事である。皇妃が寝室にいないとなれば、城を上げての大捜索が始まる。女官は全員取り調べられるし、ヴィオラ以外の何も知らない人間も皆、監督不行き届きで厳しい罰を受けることになるだろう。


「どうしましょう」

 今さら大変なことをしてしまったと気がついた、頼りない表情を作って、ヴィオラを見つめる。


 さあ、あなたは馬鹿じゃないでしょう? もうすでに、思いついているはず。計画を話して、私を安心させてちょうだい。ふふ、私は十五歳の子どもだから、あなたの狙いについては、気づかなかったとスルーしてあげる。


 ヴィオラは自身の胸を叩いて請け負った。


「ご安心くださいませ、ルーナマリア様。私が代わりに、ベッドの中に入っていることにします」

「それで、大丈夫かしら?」


 自分の不在が露見することだけに怯え、ヴィオラがベッドにいることによって生じるかもしれない不都合については、気づいていないように演じる。


「ええ。夜の部屋は真っ暗ですもの。ルーナマリア様が初心でいらっしゃるのは、陛下もご存じでしょう? 恥ずかしいと言えば、蝋燭の灯りもともさないでしょう。月の光だけでは、私と皇妃様の判別はできませんよ」


 同じような背格好に、昼の光の中では異なると一目瞭然の髪と目は、暗い場所ならほとんど同じ色に見える。その結論にたどり着いていた彼女に、改めて心の中で拍手喝采を贈る。


「……ええ、そうね。あなたがそう言うのなら、間違いないわ」


 信頼の言葉に、ヴィオラは微笑み、一礼して宿を去っていった。私は彼女が建物から出て行ったのを窓から確認して、思い切りベッドにダイブする。枕に顔を押し当てて、声を出して笑う。あまり大声だと、隣の部屋に聞こえてしまうから、苦しいけれど我慢した。


 これで上手くいくに違いない。マクシミリアンを焚きつけ、私はヴィオラと入れ替わった。あの好色な皇太子は、私に誘われたと勘違いして、お忍びでやってくる。ベッドの上にいるのが、たかが子爵家出身の女官であることも気づかずに、抱く。


「ああ、駄目ね。まだ、喜んじゃいけない」


 あのふたりがセックスをしたところで、私の目的は半分しか達成できない。


 起き上がり、椅子に座って手元の紙に、これからどうすべきかをつらつらと書く。頭の中だけでのシミュレーションよりも、はるかに精度の高い策略を練ることができるから、私はだいたい、紙とペンでいろいろと考える。


 もちろん、最後には全部、細かくちぎって捨ててしまうけれど。


 策略を成功に導くのは、誰にも教えないことだからだ。




 翌朝早くに、ルーナマリアはそっと城に戻ってきた。


 ヴィオラは事前に、衛兵に「ルーナマリア様の女官のひとりが、朝早くに戻ってくるから入れてあげてちょうだい。またあの人に泣かされるのはかわいそうでしょ?」と言ってくれていて(こういうところは本当に、頭のいい女である)、無事に城に入ることができた。


 そっと扉を開けて寝室へ行くと、ヴィオラがしどけない姿でベッドに横たわっていた。私の寝間着を無断で着ているけれど、了承した覚えはないわよ。まあどうでもいいけれど。


「ヴィオラ」


 声をかけると、彼女は目を開けた。


 ところで、寝起きには人間性が出ると思う。大人しい人が、「うっせーな」と舌打ちして、頭をがしがしと掻きながら起きるなど、普段抑圧されている部分が、表に出てきてしまう。


 ヴィオラは私を認めると、笑った。というか、嫌な感じに唇を曲げた。酷薄で、私のことを小馬鹿にした、嫌な笑い方だ。この姿を見ればわかるでしょう、とばかりにシーツから出てきて、はだけた胸のあたりを見せつける。


 派手に残る鬱血の痕に、私はいかにも、「ショック!」という顔を作ってやった。おまけに、ふらふらとよろめく。


「昨夜の陛下は、とても情熱的でしたわ。お年よりもお若くいらっしゃって」

 勝ち誇る女の前で、肩を震わせた。


 ……もちろん、笑いをこらえていたわけだけれど。


 だっておかしくって。ヴィオラを抱いたのは、陛下じゃない。皇太子だ。そのまま彼に責任を取ってもらえればいいけれど、子爵家の令嬢ごときでは、皇太子妃にはなれない。事が露見したところで、捨てられるのがオチだ。本当に相手が皇帝だったとしても、城を追い出されるのが目に見えている。


 なのに、ヴィオラは私に勝ったのだと自慢げなのだ。ああ、おかしい!


 あなたは私の手のひらの上だってこと、気づいていないのね。


 しくしくと泣いているフリをしているうちに、王城の夜は、完全に明けた。


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