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姉妹たちの庭園散歩

「暇ねぇ……」


 私の呟きに、女官たちはぴくりと動きを止める。前にいた年上の女たちと違い、この子たちはまだ、皇族と強固な繋がりがなく、私に媚を売ってくる。まぁ、すればするほど、こちらは興味をなくすのだが。


「ルーナマリア様、刺繍はいかがでしょう?」

「読書は? 我が家秘蔵の本をお持ちいたしますよ」

「商会の人間を呼びつけて、お買い物をなさっては?」


 どれもこれも、部屋の中でできることばかりで、いつやったって構わないことばかりであった。ちらと窓の外を見やれば、いい天気である。


 前世から私は、インドア派に見られがちだった。私の顔立ちから、一番効果的に人々の心に働きかけるのは、「深窓のご令嬢」というイメージを演じることだった。友人と放課後に遊びに行くことすらしないほど、徹底していた。


 ルーナマリアは、日向瑠奈よりもそのイメージに近い。背は低いし、全体的に色素が薄く、不健康だ。私が意識を乗っ取って生活をするようになってからは、きっちりと食事を摂っているけれど、体のあちこちには栄養不足の兆候が見て取れた。


 お姫様なのに、誰からも顧みられることのなかった可哀想なルーナマリア。あまつさえ、私に身体をいいように使われているなんてね。


 頬杖をついて視線を女官たちに戻す。三択か。この中なら読書がよいだろうか。秘蔵ということは、面白いことが書いてあるのかもしれないし。


 口を開きかけた私よりも先に、「今日はお天気もよろしいですし、お散歩に行かれるのはいかがですか? ちょうど、庭園の薔薇も見ごろを迎えておりましょう」と、第四の選択肢を放つ声がした。


 思わず相手の顔を見る。


 微笑みを浮かべた女官は、白にも見える淡い金髪に、赤みが勝つピンク色の目をしていた。


 私は立ち上がり、その子の前に立つ。しゃんと背を伸ばし、皇妃である私と堂々と渡り合う。身長や体つきも、だいたい同じくらいか。


「あなた、名前はなんと言ったかしら?」


 他の女官がざわめく。名を尋ねるのは、彼女が初めてだったからだ。一度自己紹介はしてもらったが、覚える価値はないと捨て置き、呼びかけることはなかった。


 女官は淑女の礼を執り、上目遣いでこちらを見た。唇が少し持ち上がっていて、左右非対称になっている。


「ヴィオラ。ヴィオラ・ミーガンと申します」


 視線が絡みつく。いい度胸をしているヴィオラに、私は微笑みかけた。


「ありがとう。良い提案だわ……エミィ、エミィ」

「はっ」


 ヴィオラの提案を聞くやいなや、エミィは私の次の言葉や行動を直感して、動いていた。外出用の手袋に帽子、それから日傘の用意である。さっと身に着けて、女官たちに向き直る。


「では、ヴィオラ。私たちは庭園へ向かいますから……そうね、給仕長に言って、三十分後にお庭にお茶を用意させておいてくれる?」

「かしこまりました」


 彼女は素直に了承の返事をした。ちょっと予想が外れた。どうして私を連れていかないのですか、と詰問されると思っていたのに、ずいぶんと物分かりのいいこと。何を考えているのか、ピンク色の瞳はわかりづらい。


「行くわよ、エミィ」

「はい」

「いってらっしゃいませ」


 居並んだ女官の中央で、ヴィオラは頭を下げ、私を見送った。



 こんなに天気のいい日に、部屋に閉じこもってばかりいるのもよくない。それに、薔薇はいつまでも美しく咲いているわけではない。


 部屋の中、いつだってできることしか提案してこない他の女官と比べて、ヴィオラは私が窓の外に視線を向けた意図をきちんと汲んだ。頭の回転が速い少女であることが、よくわかった。


 ご機嫌な私を覆う傘の影が、揺れる。


「エミィ。どうしたの」


 いつもは微動だにしないのに、今日は軸がぶれている。振り返ると、彼女の金の瞳がこちらを見下ろしている。唇を引き結んだ顔は、驚くほど無防備だ。手を伸ばして頬に触れると、ぽん、と触れた場所から赤くなっていく。


「ふふ。言ってくれなきゃ、わからないわよ」

「……嘘ですね」


 この子は私をなんだと思っているのだろう……まぁ、確かにエミィの考えていることは、わかっているけれど。


 女官のいる場所で、エミィは不用意に口を開かない。私が話しかけたときだけ、端的に返事をする。皇妃の庇護を一身に受けるメイドのことを、女官たちは嫌っている。発言は揚げ足を取られ、批難の対象となる。自分だけが叩かれるのならいいが、それが私にまで波及することを恐れている。


 本当はエミィこそが庭園での散歩という選択肢を私に与えてくれるはずだったのだ。尋ねる前に正解が出てしまったことを、悔しいと思っている。


「ルナ様。あのヴィオラとかいう女官……野心家の目をしていました」


 あまり信用し、重用しない方がいいと忠告してくるエミィの心に、嫉妬がないとは言わない。個人的に気に入らないから陥れようとしているのだとしても一向にかまわなかったけれど、私のヴィオラに対する印象も、まったく同じだった。


 エミィはヴィオラを遠ざけてほしいのだろうが、私がこれからやろうとしているのは、真逆のことだ。重く用いて、利用する。向こうは私の皇妃という立場を利用して、自分の、ひいては実家の力を増そうと画策するだろうけれども、私はルーナマリアと違って、操り人形ではない。


「あの子が野心家なら、あなたは何かしら、エミィ」


 瞳を揺らして絶句する彼女に、微笑んだ。


 行きましょうと促して、庭園への道のりを、ゆっくりと進む。途中ですれ違う面々は、私に小さく会釈をし、後ろにいるのが貴族の娘ではなく、メイド服を着たしもべであることを確認して、ぎょっとする。その目に侮りの色が浮かぶのを、彼らは隠せない。


 振り返らずに、言った。


「エミィ。堂々としていなさい。あなたは私の、腹心の部下でしょう」


 瞬時に、彼女の纏う気配が変わる。ぼんやりとしていたのが、冴え渡る冷たさすら感じさせるものに。


 さながらエミィは、夜の化身である。昼間であっても、暗闇の底知れなさを、彼女は持つ。





「まぁ……本当に、美しいわ」


 お世辞でもなんでもなかった。薔薇の庭は、赤や白、黄色と様々な色と形、それから甘い香りで私たちを出迎えてくれた。


「薔薇庭園は、先々代の皇帝が、皇妃様のためにおつくりになったそうです」


 自分だってこの城に来てから日が浅いはずで、私が嫁いできた翌日に至っては、私の部屋に迷い込んできたくせに、エミィは完璧な解説をした。


 歴史的なことには興味がないから、「ふーん」で済ませる。例えばここが血に染まるような事件が起きたとかなら、話は別だが。


「そういう話はないの?」


 問えば、「……残念ながら」と、エミィはこめかみをひくつかせながら、答えた。本当に残念だわ。


 ま、いいわ。もしかしたら、これから凄惨な事件が起きるかもしれない。国を壊すのに、流血沙汰はつきものだ。


 物騒な妄想をしながら、私は庭園を見て回る。植物園とは異なるからか、品種名について示すものはなにもない。あちらの世界でも、薔薇は様々な種類が品種改良によって作られていた。こちらでも愛されている花なのであろう。


 ふと思い立って、


「青い薔薇はあるのかしら?」


 と、エミィに聞いてみた。地球上には、青い薔薇は自然界に存在しなかった。ブルーローズ。科学技術の粋を集めて作られた花はしかし、「青」と万人が認める色になるまでには至っていなかったはず。


 不可能という花言葉を持っていた花は、もしかしたらこの世界にはあるんだろうか。あいにく、女神様からもらった記憶の中にはなかった。


「ございますよ……創世女神の薔薇のことでしょう?」

「創世女神の薔薇……」


 あのひとの名前がついているのか。なんだかそれだけで、マイナスポイントかもしれない。ゴージャス美女っぷりは、薔薇の花にたとえるのにふさわしいが、引き算の美学というものを彼女は知らない。


「でも、ここに植わっているかどうかは……」

「あら、見られないの? 残念ね」


 どれだけ青いのか、見てみたかった。


「探してみましょうか? それとも私が、聞いてきましょうか?」

「そうねぇ……」


 ひとりになるのも、退屈だわ。今の私の立場では、自由に出歩けるわけもなし。


 ふむ、と考え始めたとき、茂みからがさごそと音がした。一気に警戒心を強めたエミィが、私の前に出る。


 結局、刺客だのなんだのという物騒な話にはならなかった。姿を現したのは、紅茶色の髪をした女の子だった。少し離れたところからは、「エレーラ!」と、焦った様子の呼び声がする。


 エレーラ、エレーラ姫か!


 先日の第一皇妃たちとのお茶会で、唯一姿を現さなかった末の王女様。人見知りという話だったが、私たちをじっと見つめる目は、そんなこともなさそうだ。単に気分が載らなくて我儘を言っただけだったのを、いいように言ったのだろう。


 確か年は十歳、向こうの世界だとギャングエイジの入り口で、難しい年ごろに差し掛かったところだ。


 そりゃ、父親の新しい奥さんになんか、会いたくないわよね。


 きょとんとしてこちらを見つめてくる。ルーナマリアは十五にしては小柄な体格だから、エレーラとは十センチくらいしか違わない。この人は誰だろう、と思っているのがありありと伝わってくる。


「エレーラ、だめでしょう。あなた、急に走ったりしたら……」


 後ろから、女官たちとともに追いついた少女は、ルーナマリアと同じくらいの年齢だ。彼女は私を見ると、ハッとして、頭を下げる。後ろにいる女官もそれに倣った。


「ご、ご機嫌うるわしゅう、第三皇妃殿下」


 エレーラとは違い、さすがに私の顔は知っているか。


 頭を上げるように言えば、少々青い顔をしている。エレーラが何か失礼なことをしでかさなかったか、不安なのだろう。私は笑って、


「大丈夫ですよ。ペネロペ姫。エレーラ姫は、そうね、かくれんぼをしていらした。私はたまたま、その現場に居合わせた。それだけですから」


 第二皇妃・セアラの二人目の子どもであるペネロペは、顔を合わせたことのない私が自分の名前を憶えていることに、驚いている。あまりにも素直で、腹芸ができないタイプである。善良で、支配者にはまるで向いていない人間。これは、皇族として生きるのがつらかろう。


 同情を禁じ得ないでいると、ペネロペがまっすぐに私を見ていた。彼女の方が背が高いので、自然と見上げる形になり、「何か?」と問う。


 あわあわし始めた少女は、「あ、あの、あの……嬉しくて。占いが当たったから」と言った。


「占い?」


 私の疑問に答えたのは、エレーラである。あのね、と耳打ちをしたいらしい彼女に合わせて腰を折ると、


「ペネロペ姉様、占いで、薔薇が出会いを運んでくれるって出たんですって」


 と、可愛らしい秘密を暴露した。エレーラ! と、ペネロペが恥ずかしがっている。


 私はペネロペに向き直ると、微笑みかけた。この容姿が最も効果を発揮するのは、甘く可愛らしく微笑むときである。


「あら、いいの? もっと他の、素敵な男性との出会いを期待していたんじゃなくて?」


 嬉しそうだったペネロペの表情が、しおれていく。何か気に障ることを言っただろうか。図星を突かれて黙ったわけではなさそうだ。ペネロペは男好きなマリアナとは違う人格であるということが、はっきりした。


「ごめんなさいね。悪いことを言ったみたい」


 首を横に振るペネロペのドレスに、エレーラはしがみつく。姉を守ろうとしているのだ。血は半分しか繋がっていないが、彼女たちは大層仲がいいらしい。


 麗しい姉妹愛に、気分がよくなった。ふっと笑って、私はふたりに、「この庭園には、女神様の青い薔薇はあるかしら?」と尋ねた。




 青い薔薇は、特等席にあった。私たちはお茶をいただくためのガゼポをゴールに設定した道のりでゆっくりと歩いていたのである。そちらに向かうと、給仕長がすでに着いていた。


「よかったら、おふたりもどうかしら? エレーラ様は先日のお茶会にいらっしゃらなかったですし、私、おふたりとお喋りしたいわ」


 皇妃様やふたりの兄・姉とのお茶会は、年が離れすぎているせいで面白くなかったのだと言外に匂わせると、聡いペネロペは、クスクスと笑って誘いを受けてくれた。


 エミィに給仕長の手伝いを命じると、渋々彼女は炊事場へと向かう。ちらちらと振り返るので、手を振ってやった。まったく、見張りの兵士がそこかしこに立っているのだから、あまり心配しないでちょうだい。ねぇ?


「まぁ、本当に青い色をしているのね……」


 ガゼポの目の前に、創世女神の薔薇は植えられていた。


 日本で見たら、造花としか思えないほどの目の覚める青さである。空の青さとも海の青さとも違う、やっぱりどこか人工的なブルーであった。女神様の目の色のことを指しているに違いない。


 そういえば、どこか無機質であった気がする。彼女と同じ目をしている、いわゆるヴァーチェの寵愛を受けている皇太子も。


「ルーナマリア様は、何色の薔薇がお好きですか?」


 ここまで私の手を引いて案内してくれたエレーラは、すっかり懐いていた。頬を上気させた彼女の問いに、ふむ、と私は真剣に考える。


 赤、黄、ピンク、白、紫。どれも違ってどれも美しい。けれどひとつだけ、と言われたらそれは……。


「赤……かしらね。ううん、普通の赤じゃないわ。血のように赤く、赤く、赤く……赤を突き詰めていった先にある、黒に近い真紅の薔薇が最も美しいと思うわ」

「えー? 黒? 趣味が悪いです」


 たった五つしか変わらないが、エレーラの言葉はやや幼い。上のきょうだいたちとは、だいぶ年が離れていることの弊害であろう。ペネロペが「失礼ですよ」と咎めるが、私は気にならない。


「黒はこの世で最も高貴な色だと、私は思っているの」


 それ以上、何にも染まろうとしない純粋さの極みだ。裁判官の衣服が黒いのも、同じ理由だったはず。逆に花嫁の婚礼衣装が白いのは、あなたの色に染まりますという気持ちの悪い、男に都合のいい理由。


「エレーラ様は、どのお色が好き?」

「私は……」


 一生懸命に考えているところに、人影が戻ってくる。てっきりエミィたちだと思ったのだが、そうではなかった。


「ルーナマリア妃。それに、ペネロペとエレーラも」


 皇太子・マクシミリアンである。日の高い時間、次期皇帝として彼は今も政務に励み、父親や臣下たちと激論を交わしたり、訓練と称して馬を駆ったりしている時間帯のはずで、庭園にふらりと現れるほど暇なはずがない。


「皇太子殿下、ご機嫌うるわしゅう」


 私が淑女の礼を執ったのに倣い、ふたりも「お兄様、ごきげんよう」と、挨拶をする。エレーラは特に変わりなかったが、ペネロペの声は若干硬く、震えているように感じた。見れば、ドレスを摘まみ上げる手に力が入りすぎている。


 楽にしていいと妹ふたりに告げて、マクシミリアンは顎に手をやり、私たち三人の顔をじっと見やる。


 その目が気に入らなかった。私に向けるのは、まだいい。父親の手つきの女に対する好奇の混じった雄の目だ。私を雌として評価しているのを隠そうともしない。茶会のときと同じだ。


 だが、これは妹たちに向けていいものではない。ペネロペは半分、エレーラに至っては完全に血が繋がっている。


「こうしていると、ルーナマリア様とは、三姉妹のようだ」


 ペネロペが、隣にいるエレーラをぎゅっと抱きしめたのをきっかけに、私は一歩前へ出た。微笑み、意味ありげな視線をマクシミリアンに送る。これで彼の視線は、背後のふたりには向かず、私に釘付けだ。


「ええ、そうですの。私、ペネロペ様とエレーラ様とは、仲良くしたくって。ですからこうして、女三人でヒミツのお茶会の準備をしておりますのよ」


 一歩近づき、彼の唇に人差し指を、触れるか触れないかのところまで突き出す。「ヒミツ」を象徴するジェスチャーに、マクシミリアンはぎょっとして、後退する。よろめく彼を笑ってやって、


「ですから殿下。ここは退いてくださらないかしら? また今度、お会いしましょう。ゆっくり、内密に……ね?」


 声に、吐息に誘惑を纏わせる。その気にさせるのは、簡単だった。何しろこの男は、最初から私に性欲を向けているのだから。「ヒミツ」のニュアンスを、勝手に推測して受け取り、にたりとだらしない笑みを一瞬浮かべるも、皇太子としての外面をすぐに取り繕った。


「さようですか。それでは私はこれで。妹たちを頼みます」


 美しい庭園から、異物が去っていく。なんだか空気が淀み、悪臭すらしていたような気がしたが、ようやく薔薇の芳しい匂いが戻ってきた。深呼吸、深呼吸。


「ルナ様!」


 お茶会の準備を整えて戻ってきたエミィは、マクシミリアンと途中ですれ違い、嫌な予感がしたのだろう。慌てて私の元に駆け寄った。


「エミィ。大丈夫よ。何もないわ。……ペネロペ様、エレーラ様。大丈夫ですか?」


 青い顔をしていたペネロペは、私のことをぽーっとした顔で見つめてくる。あら、とっても覚えのある表情ね。クラスの目立たない女の子のことをちょっと褒めたら、みんなこんな顔になって、私の取り合いをするようになったのは確か、小学校の三年生のときだったかしら?


「私は大丈夫です。お姉様は……」


 小さな胸を張るエレーラに、ペネロペは我に返り、「わ、私も……大丈夫ですわ」と、応えてくれた。





 ガゼポに用意された略式の茶会セットは、じゅうぶんに贅を尽くしたものだった。焼き菓子こそ既製品だが、最高級の茶葉と美しい器が、庭園と調和していて、心地がよい。


 給仕長のセンスを褒めると、彼は微笑み、一礼した。


 お茶会が始まってからも、ペネロペはそわそわと落ち着かない。私はできる限り、エレーラの方に話を振った。


「エレーラ様は、お兄様方のことをどう思っているのかしら?」


 ここで「お兄様」ではなく複数形にしたのは、クッションとして第二皇子の存在を使いたかったからだ。


 ふたりがマクシミリアンのことを好いていないのは明白で、直接「お兄様」と言えば、長兄のことを思い出すに違いない。そうすると、何も話してはくれないだろう。次男のことについても聞きたいのだと思わせることで、多少口も滑らかになる。


 エレーラにとって、両親をともにするのはマクシミリアンの方だが、彼女は第二皇子派であるらしい。


「ツァーリ兄様は、今はいらっしゃらないけれど、とても優しい方です。私が読めるように、いつもお手紙をくれるんです」

「あら、よいわね。ちゃんと読める字で書かれているんでしょう?」


 うちのお兄様と違って。


 もちろん、とエレーラは請け負った。それからもうひとり、実兄についての話になると、眉をぎゅっと寄せた。


「……マクシミリアン兄様は、ちょっと怖い、です」


 十歳の女の子なら、そんなものだろう。その恐怖を具体的に知っているのは、おそらく。


 カップの中身をじいっと見つめているペネロペを見る。マクシミリアンよりも全体的に薄い色をした金髪碧眼は、紛れもなく彼女も女神の寵愛の一端を受けている者のはずなのに、そうは見えない。


「そう、ね……わかるわ。私のお兄様も、皇太子殿下とよーく似ているもの」

「ヴァーチェ女神に愛されているの?」


 エレーラの問いには、笑って答えなかった。


 私の兄は、平凡な栗色の髪に黒い瞳を持つ、美しさとはかけ離れた武骨な男だ。創世の女神・ヴァーチェを祀るのがヴァチュリエ国王の役割だというのに、彼はちっとも祭祀について覚えないし、父王もそれを咎めたりしない。


 何もかもが、潮時なのよね。


 私はペネロペを見つめた。エレーラとのやり取りを耳にして、彼女は私のことをハッとした表情で見つめてくる。私は彼女の目をのぞき込む。薄いガラス玉みたいに、きれいな目をしている。


「ルーナマリア様、もしかして……」


 ペネロペに続きの言葉を言わせなかった。


 以降、私は当り障りのない話をエレーラに振って、姉妹とのお茶会を終えた。すっかり私のことを気に入ってくれた末姫は、「今度お姉様と神殿に行くときに、お誘いしてもいいですか?」と、言ってくれた。


「その神殿っていうのは、ヴァーチェ女神の神殿かしら?」

「そうです! ルーナマリア様は、巫女様だと聞きました。ぜひ!」


 ペネロペを伺うと、苦笑しながら頷いてくれたので、私は誘いを受けた。もしかしたらそこで、女神と交信する手段を得ることができるかもしれない。




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