サーランの断罪
神殿に行った日から、二週間が経った。
「それじゃあ、読んでちょうだい」
ソファの上にくつろいだ状態で、私はエミィに命令する。今日のお茶は、柑橘フレーバー。地球でいうところのアールグレイだが、特に名称は決まっていないらしい。これからもたらされるだろう情報を整理するための余裕が生まれる、頭がすっきりする香りだ。
エミィは咳払いをして、手紙を読み始める。
「『愛する妹』」
「そこはいらないわ」
即座に突っ込むと、彼は肩を竦めた。愛するだなんて、虫唾が走る。おお、寒い。温かい紅茶をいただいていて、正解だったわ。
「『お前が陛下に愛されていること、第三皇妃として立派にやっていることを、兄は誇りに思う。そこでだ、ルーナマリア。お前が帝国で上手くやれていることを、兄は実際にこの目で見てみたい。父も、可愛い娘のお前のことが心配で仕方がないようだ……』」
はっ、と鼻で笑ってしまった。「ルナ様」と、エミィが手紙を読むのをやめて、咎めてくる。彼は女神に植えつけられた知識だけで取り繕っている私よりも、はるかに淑女教育が行き届いている。闇ギルドでは、成人男性の体格になり、ごまかしがきかなくなるまでは、女装をして暗殺仕事に励むことが推奨されているそうだ。
暗殺の対象は男であることが圧倒的に多く、えてして彼らは、女に油断をするからだ。そうやって寝室で死んでいった人間たちのことを知っているのに、「まさか自分が」となるから、人間というのは学習能
力がなくて、面白い。
手紙は別途、皇帝にも届けられているらしく、その許可を待って国を発つ。すでに準備は粗方完了しているらしく、GOサインが出たら即日、サーランはこちらに向かってくるだろう。
「ルナ様。いかがなさいますか?」
すっかり人払いをしてある部屋の中には、エミィと私のふたりきりだ。彼の顔は強張っていて、覚悟を決めた、ととらえることもできる。実際、エミィは口の動きだけで、「殺しますか?」と尋ねてきた。
そうねぇ、と私は考えるそぶりを見せる。答えはすでに出ているのだが、少しは彼の提案も考慮に入れてやらなければ、かわいそうだ。唇に指をあて、時間にして数十秒。私は顔を上げ、エミィに微笑みかけた。
「今回は、エミィの手を汚す必要は、ないわ」
「しかし」
それこそが仕事であり、私への忠誠を最も示すことのできる方法であると、彼は言い募る。私はエミィの唇に、先ほどまで自分のに触れさせていた人差し指を押し当てて、制止した。
「駄目よ。すでにひとり、死んでいるもの。私の周りで連続で人が死んだら、不利になる。あなたに行きつく者がいないとも、限らないしね」
わずかに赤い顔をしたエミィは、一歩下がった。
「何か、考えがおありなのですね?」
もちろん、と唇を歪める。想像通りに兄が動いたからには、私の計画の駒になってもらうわよ。そのためには、まず。
「エミィ。新しいドレス、一緒に作ってもらえるかしら?」
ヴァチュリエ王国からグーツァ帝国の都までは、馬車に乗って十日程度である。途中で多く休憩を挟めばもっとかかるが、兄は最短距離を最速で突き進んできた。手紙を受け取ってから、三週間後のことである。
第三皇妃である私の親族だということで、皇帝陛下以下、皇族一同で出迎えた。皇妃になって日が浅く、しかも大した教育もなされていない私に、ホストを務めることはできない。兄と年の近いマクシミリアンが、その任に当たっている。
全員集合ということは、ペネロペやエレーラ、成人していない皇族も参加である。私の近くにいたエレーラは、「マクシミリアン兄上に、似ていないわ」と、呟いた。庭園で話をしたときに、私の兄もマクシミリアン皇太子に似ている、と言ったのを覚えていたらしい。
全然違うふたりだが、ルーナマリアのこの身体は、彼らがある一点においてよく似ているということを知っている。
「!」
エレーラの何気ない一言に、ペネロペはふたりの男を交互に見やり、何かに気がついたらしい。青い顔をして、呼吸が浅い。今にも卒倒しそうになっているのに、彼女は私の方をじっと見つめる。痛ましい、嘆かわしい、悲しい、そんな目で。
「陛下。ペネロペ様の体調が……」
実の母親であるセアラ妃が気づいていないようなので、私から注進した。陛下は娘を一瞥する。ぴくりとも動かない表情筋は、愛情のかけらも感じられない。
「わ、私は大丈夫ですわ……」
「そんな風には見えません。今にも倒れてしまいそうです」
事実、血の気が引いて顔色は白い。皇帝は控えていた女官に命じて、ペネロペを部屋で休ませるように言った。いやいや、と抵抗を示しているペネロペの名前を、私は呼ぶ。ハッとした彼女と見つめ合い、無言で頷くと、ペネロペはおとなしくなった。女官に背中を支えられ、退室する。
「騒がせてすまないな、サーラン殿下」
出迎え側の責任者であるマクシミリアン皇太子が軽く謝罪をすると、サーランは出ていくペネロペの後ろ姿を黙って見送っていた視線を、ようやくこちらに向けた。にこりと微笑んでいるが、笑っているのは口元だけ。目は狡猾な獣のように光っている。獲物を探す、飢えたまなざしだ。こっちがいいか、あっちがいいかと値踏みしているのがまるわかりで、吐きそうだ。
「……」
「ルーナマリア様も、変よ?」
この場で発言を許されているのは皇族だけだ。エミィに至っては、女官ではないからと、この応接の間に入ることすら許されていない。私の心の動きに気がついたのは、エレーラだった。彼女の声に改めて、皆の視線が集まる。
「……申し訳、ありません。国からお兄様がいらっしゃると思うと、昨夜は眠れなくて……それで、なんだ
か気持ちが悪くなってしまって……」
気持ち悪いのは本当。でも、胸を押さえるのは演技。
視界の端で、兄の眉がひくりと動くのを察知する。おそらく、他の人間はそこまで気に留めていないだろう。彼は、私のこの動作を見て、勘違いしている。
私が、皇帝陛下の子を身籠ったに違いない、と。そうするとヴァチュリエ王家の陰謀を達成するのは、難しくなってしまう。
「ルーナマリア様も、お戻りになられた方がよろしいのでは?」
「けれど……」
自分の兄の来訪を、皇族の一員として歓待できないのは情けないと、眉根を寄せて悲しい表情をつくった。マクシミリアンは、こういう顔に弱いということを、数度言葉を交わしただけの間柄だが、よくわかっていた。
「あとで医者から、胃に効く薬を差し入れさせます。無理は禁物ですよ、ルーナマリア妃。明日は晩餐会ですからね。そこで出るごちそうが食べられなくなったら、兄上も遠慮されてしまうのでは?」
さほど面白くないジョークだったが、私は作り笑いを浮かべた。それから兄に向き直って、「お言葉に甘えて、失礼させていただいても?」と、許可を取る。
ここまでのマクシミリアンとのやり取りを見て、サーランは確信したことだろう。
すなわち、ルーナマリアの腹の子について、帝国の連中は一切気がついていないらしい、と。皇子か皇女を妊娠していたとして、それが公になる前に始末できれば、問題がない、と。
「そうだな。ルーナマリア。明日の晩餐会の前に、調子がよくなったら、ふたりで話をしよう」
功を急ぎすぎる男は、必ず失敗する。足元を掬われる。私のような、か弱き女に。
私はふらふらとした足取りで、ゆっくりと退出した。
「ルーナマリア、もう体調は平気なのか?」
翌日の午後。サーランは宣言通り、私の部屋を訪れた。兄妹水入らずで話がしたいと言って、女官については人払いをしているあたり、殺る気も十分だ。
「ええ、お兄様。おかげさまで。帝国の医師は、優秀なのです。すっかりよくなりましたわ」
笑って、私はエミィが用意してくれた紅茶に口をつけた。
――そう、エミィである。私が彼を殊に気に入っているため、どこに行くときもついてきてもらっているが、本来の役職はメイドである。身分の高い人間たちにとっては、道端の石ころ程度の意識すらしない、同じ人間扱いをされない作業者。
だから彼は、この空間にいる。部屋の隅で、殺気を抑えながら、こちらを観察している。
サーランは、エミィこそが、自分たちが依頼をした闇ギルドから派遣された刺客であるということを、知らない。知る必要もないことなのだ。暗殺者が同じ部屋にいることを知らない男は、幸せである。
まぁもっとも、エミィが実力行使をするようなことはないのだが。これは、私の仕掛けた戦争なのだから、誰にも手出しはさせない。
「お兄様もお召し上がりになって?」
兄は私の話を聞いて、肩の力を抜き、紅茶を口にした。私が妊娠に無自覚であると、確信したからだ。
ポットはひとつしかない。先に私が飲んでいるから、彼は疑う余地もないが、実のところこの飲み物は、ただの茶ではない。
エミィはごにょごにょと口を濁していたが、現代で女子高生をしていたし、この世界ではすでに初体験も済ませている。子ども扱いはやめなさいよ、とかなりきつく注意をして、彼がようやく明かしたのは、精力剤と幻覚作用のある毒物を、少しずつ混ぜたとのこと。私のカップにはあらかじめ、解毒剤が入っているから、効果はない。
あとは効果が出るまで待てばいいのだが、大人しくしていることは性に合わなかった。ここにはエミィという証人もいることだし、しかけてもよいだろう。
「ねぇ、お兄様。お尋ねしたいことがあるのですが」
私の言葉に、茶菓子に舌鼓を打っている男は、機嫌よく頷いた。
そうよね、ヴァチュリエ王国は一応、女神に奉仕するという体裁を保たなければならない。具体的には、食事の制限が少々厳しかったりする。肉は野生の害獣を駆除したときにしか食べられず、基本は野菜と魚と豆がメインの食生活だ。甘いものなんて、もってのほか。
私は微笑みを崩さなかった。貼りついた笑顔は、無表情による威圧と同じくらいの効果がある。唇をお茶で湿らせると、すぐにカップを置いた。
「ルーナマリアの純潔を奪ったのは、お兄様ですか? それとも、お父様?」
息を飲んだのは、サーランだけではない。詳しいことは何も話していなかった、エミィも両手で口を覆い、私を見て凍りついている。その目は「ルナ様、嘘ですよね?」と、雄弁に語っている。残念ながら、すべて事実だ。
……きっと、そのときの記憶が私の中に残っていなかったのは、本物のルーナマリアが、決して誰にも知られたくなかったからだろう。
初夜、皇帝は私を抱いた。王族の女として、処女であることが当然であるとされている価値観の世界だ。けれど皇帝は、新たな妻となった私が初めてではないことを知った。だから彼は、それ以降私のもとには通ってこず、そっけない態度を崩さなかったのだ。
彼にしてみれば、「騙された」というところなのだろうか。どこの馬の骨ともわからぬ男に、妻の初めてを先に奪われて。こういうところは、結婚の前にセックスをするのが当たり前になってしまった時代を生きた私には、理解できない。
さて、それではルーナマリアの処女を奪ったのは誰か、ということになる。
意志薄弱なこの女は、祭事のとき以外は、基本的に自室でぼんやりするばかりだった。世話をするのも、出家した女性たちしかいなかったため、男と接触する機会はない。そう、ふたりを除いて。
父と兄は身内である。ルーナマリアの元に現れ、人払いをしたとしても、それほど不自然ではない。勝手知ったる城であるから、寝室まで誰にも目撃されることなく移動できる道を知っていた。
ルーナマリアが厳重に閉めていた記憶の蓋が開いたのは、マクシミリアンのせいだった。彼が私と同じ年頃のペネロペや、まだずっと幼い、初潮も来ていない(来ていたら、さすがにもっと性知識がある)エレーラに向ける、気持ちの悪い目。あの視線を、彼はルーナマリアの肉体にも向けた。小さく、細く、凹凸のない幼い身体。
世の中には、幼い少女にしか欲情できない人間がいる。マクシミリアンしかり、サーランしかり。彼らはそういえば、いい年をして結婚をしていないのも共通点であった。のらりくらりと縁談を交わしているのは、性癖のせいだ。見合いの際によかれと思って用意されるのは、肉体的に成熟した美女である。彼らは心惹かれないのだ。まったく、嘆かわしい。
「先日私、帝都のはずれにある神殿に行きましたの。そこで、ヴァーチェ女神を祀る宗教の、戒律なるものを拝見いたしました」
親兄弟によって蹂躙された記憶が、そこで完璧に蘇ったのは、ルーナマリアの「復讐しろ」という怨嗟の声によるものであったのかもしれない。
「ヴァーチェ女神の教えによれば、近親相姦は言語道断、即座に処刑されるような重罪である、と」
子ども向けの絵本には、そこまでのことは書いていなかった。私はその後、自分で調べた。罪の大きさを知るうちに、記憶のタガが外れていった。
この身は、兄と父に汚された。ルーナマリアは意志薄弱だが、決して意識がないわけではない。実際、食事や排泄などの基本的な生命活動は、自分自身で行うことができていた。そんな状態の女を犯した男たちは、卑怯者だ。
「貴様……ッ」
エミィが今にも殴りかかり、殺すのも厭わないという視線でサーランを睨みつける。私は腕を広げて彼の暴挙を制止し、冷ややかな目を向けた。言い訳はあるのか、という態度を崩さずにいると、サーランは渋々、「父上が、最初だった……」と、罪を告発した。
「お兄様。ヴァーチェ女神の教えを一番守らなければならない、ヴァチュリエ王家の次期国王としての自覚がおありですか? 父の暴挙を止め、告発するのが、あなたのすべきことだったのでは?」
一緒になって、妹の肉体を弄んで、何が神を頂く国の王か。
腐っている。腐りきっている。女神は帝国だけをターゲットとしたけれど、この世界はきっとすべてが、腐敗しきっていて、彼女の手には負えないところまで来ている。
どうして女神は、気がつかないのだろう? ルーナマリアの身体を借りて、年に数回はヴァチュリエ王国を実際にその目で見ているはずなのに。ああ、でも彼女の目は、最初から節穴であったか。正義感ではなく、好奇心や欲望を行動の根本に置いている私なんかを使者として選んだくらいだもの。
教室ひとつを壊すことは容易だったけれど、学校全部となると、そうもいかなかった。まして日本を壊そうとしても、いち女子高生の私には、できなかった。
けれど、私はルーナマリアという、極上の立場を手に入れた。世界で一番大きな帝国の第三皇妃。ヴァーチェ女神の依り代であった少女。そこに、女神自身が選んだ魂が、私だ。大義名分も、それを行うことのできる実力も、実行したところで咎められない世界観も、すべてそろっている。
ねぇ、だから壊そう。手始めに、ルーナマリアの生まれた国を。
サーランは、私たちの糾弾に耐え切れなくなった。頭を掻きむしり、顔を上げた。目は血走り、汗がひどい。口の端からは涎がぽたぽたと落ちてきて、床を汚す。
「うるさいうるさいうるさい! 黙れ! お前は私たちの人形であればよかったのだ! それが、どうしてこんなことに……!」
幻覚剤の効果も表れている。そんな顔をするな! と彼は叫んだが、私は表情ひとつ変えていない。冷笑を浮かべるというエネルギーの消費すら、この男にはもったいない。
テーブルの上のものを薙ぎ払う。ガチャン、と食器が割れる音。男の雄たけび。人払いをしたとはいえ、異変があれば護衛はすぐに駆けつけられる。
サーランが襲い掛かってくるのを、私は待ち構えた。
「ルナ様!」
エミィが間に入る。だが、いまだ完成していない少年の身体に、動きにくいロングスカートのメイド服では、彼に勝ち目はない。特に、相手は理性を失いかけている。人間ではなくケダモノを相手にしていると自覚して対処しなければならないが、エミィは狩人でもないし、対人戦闘について学んだわけではない。暗殺者とは常に、相手の油断を誘い、騙し、そして命をひっそりと刈り取るものである。
タイミングを見計らい、私はドレスの胸のあたりを思いきり左右に引っ張った。非力な女でも、簡単に布が裂け、下着が露になる。エミィに手伝ってもらって作り上げたのは、すぐに破くことのできるドレスだった。それもこれも、サーランを陥れるため。
「お兄様! おやめください! きゃああああああ!」
突進してくるサーランは、私を押し倒した。すでに、ルーナマリアであることすらわかっていないかもしれない。少々、とエミィは言っていたけれど、効果はばつぐんみたいだった。
「皇妃様!」
扉が開いて、続々と警備の騎士たちが入ってくる。一瞬、何が起きているのかわからずに立ち止まった彼らだったが、さすがにプロである。すぐに気を取り直すと、皇妃に乱暴しようとしている狼藉者を排除する。
「何をしている!」
たとえ、それが皇妃の実兄であっても関係ない。いや、実兄であればこそ、より一層質が悪い。
サーランは幾人もの男たちによって、取り押さえられた。
「ルナ様……」
起き上がるも、立ち上がれないでいる私を、エミィが気遣って支えてくれる。彼の胸に縋りついて泣くフリをして、私は笑っていた。
ルーナマリアの命を使ってやろうとしていたこと、そっくりそのままお返ししてさしあげるわ。




