成程物語(短編版)
またもや部活で作品を書くことになったのでそれようです。せっかくなので上げることにしました。諸事情でルビが振れないので気になったら各々調べてください。
大往生であろうと、孤独死であろうと、自害であろうと人がその生を手放すのに必要なものは常に変わらない。それは等しく『納得』なのであるが、『死を受け入れる』納得と『生をあきらめる』納得では確かに然しもにの差異が生じてしまうのだ。ならばヒトは何を以て己が生に納得を示すのか。あなたがもしもこう考える時があるならば、この本の本懐はきっとあなたに読まれることになる。以下に認めるのは物語でも御伽草子でも何でもない、阿漕な反面教師の余生である。
目を覚ました時、天井は俺に『お前は生まれた』と言った。モザイクのなくなった鏡は、俺に『お前は死んだ』と言った。時折来る回覧板は死を囁き、ふらっと立ち寄るレコード屋は讃美歌を歌った。年々歳歳華相似たり、あの日の澄んだ青空も、暮れる紅葉も、いつしかセピア色に染まっていた。
医者に余命1年を申告され早2週間。仕事を辞め何もすることなく今日もまた街を歩いていた。誰が悪いのかと問われれば、その原因は俺の鯨飲馬食でありそうでもしなければやっていけない現代社会が最もなのだと俺は思っている。御歳53歳、子供は一人居るが元妻が親権を持って行ってしまった。『何時でも死んでやる』という気持ちで今まで生きてきたが、ここ最近はどうも本当に自分は生きているのかどうか、死ぬとはどういうことか、それに納得を得なければ心残りが生まれてしまうような気がしてならない。とはいえ自分で言っておいて何だが俺自身も『納得のいく死』が何かはわからない。もしくは俺が欲しているのは『何のために今まで生きてきたのか』という労いに近い納得なのかもしれないが、心の中の何処かで『何かのために生まれてきた』と思いたくないと言う意地が芽生えてしまっている。そうして昨日買った物の隣に置かれた缶ビールをカゴに入れ、今朝買ったレコード片手に泡沫を揺らして、比例する歩数計の帰路を戻るのだった。
次の今朝、ヤニで変色した布団と頭型の凹みの境界が『お前は生まれた』と言った。柔らかくなった歯ブラシの擦れる音が、『お前は死んだ』と囀った。2分半を告げるトースターは骨を残し、豚の胃袋は亀裂の音がした。時刻は8時丁度、俺は昨日の反対方向へ進路を決めた。便利なもんで最近ではテレフォンカードどころか財布すら持たなくていい。利便性が最もだが、どうにもバックや手提げを持って外を歩く気になれないのだ。そうして片道の歩数が昨日の数を一回り上回った頃、なんてことのないショッピングモールを見つけた。何か気を引くものがあるわけでも奇を衒った施設があるわけでもなく、白昼堂々云々の事件が発生したなんてことも無い。どこにでもありここにしか無いもの。徐ろに時計の針が真上で重なって、小烏が親の名前を呼んだ。その時俺は郭公だった。世間の目線の的でもあったのかもしれない。たちまち居た堪れなくて俺は直ぐ様来た道を引き返した。
さらに次の今朝、眠りを妨げた頭の金切り声は『お前は死んだ』と叫び狂った。割れた赤褐色の破片は、『お前は死に続けた』と非難した。逃れることを諦めた小屋の中の闇は、『お前はとっくの昔に死んだ』と言った。街ゆく鬼たちも、明日に腰を据える悪鬼も、俺自身も、『俺は死んだ』と知っていた。俺は死んだ。死んだんだ。とっくの昔にそうなって、そうしてそのまま死に続けた。昨日も死んでいるのにまた死んだ。生まれた思ったら死産だった。空の殻を虚しく産み続けたナニカも、何時しか気付かぬ間に死んでいた。気付けば気分も日も落ちきってしまい、今日は玄関の靴を揃えて夜を越した。
それからいつかの今朝、知らない天井は『お前はもう死ぬ』と言った。点滴で生かされた哀れな丘が『お前にはやるべきことがある』と言った。医者は『今日が峠だ』と言った。だから俺は文字を綴った。自分の強かな生を認めるために只管認めた。震えるエンターキーは『俺が生まれた理由』を話しだした。それに応えるように、いつかになくした焦燥感が『お前は何かのために生まれてきたような大層な人間ではない』と吐き捨てた。沈殿したプライドは『俺は自分のために生きたのだ』と言った。反対に忘却の思い出が『お前は家族のために生きたかったのだ』と言った。筆はそこで止まった。
引き続きの夜、俺は青白く黒黒とした曖昧な文字を眺めていた。『死ぬとはなんだろうか』それは死んだらわかるのかもしれないし、死んだらもうわからないのかもしれない。少なくとも今わかるのは、俺はきっと今生きていない。しかし死んでもいない。ゆっくりと生を消化し、死へと昇華している。同じことを繰り返す傀儡となって、それに拒むように只管違う道を歩き続ける毎日だった。それが体に障って余計に体は精神に追いついていった。夜が更けていく、俺もそうだった。目を細めると換気扇の轟轟とした稼働音がじらすように近づいていた。それらもまた『お前はまだ死んではいけない』と言った。俺も小さく『まだ死にたくない』とつぶやいた。そうして気付いた、俺は死にたかったわけじゃない、生きたくなかっただけだった。それが変わることはなかった。だからこそ俺は死んでいたんだ。
男はここで目を閉じてしまうのだが、あいにく幕はまだ閉じていない。男はこの小説でも日記でもない物を元妻と実の息子に送った。教育方針の違いだなんてバンドマンのような別れをした男は、今際の際で彼らを思い出したのだろう。その文章に『成程物語』という名前を付けて。願わくはこの男の葛藤が誰か大切な人に届くように。英訳が出るまでひそかに願うばかりであります。
成程物語はもしかしたら連載版をだすかもしれないのでこんなタイトルにしましたが、そこまで私の熱意が続くのかはわからない。