名探偵の証言 1
今回の殺人事件は七年働いて初めてのパターンだ。
エレベーターの扉が開き、マンションの通路に出る。見るともう既にテープが張ってある。事件発覚からかなり早い。
「お疲れ様です」
部屋を外から覗いている坊主頭の先輩刑事へ背後から声をかける。
「おっ影内くん」
振り返りそう言って笑った先輩の顔は今年五十五歳という歳を感じさせない。目が丸く大きいからだろうか。
「どうですか?」
「自首で言った通り殺されてたよ。先生呼んで飛んできたけど遅すぎた。被害者の死因は頸部の圧迫による窒息。中に先生いるから聞きたいなら聞いときな」
先輩は軽く部屋の方へと視線を向ける。見ようと首を伸ばしたもののここからだと部屋は先輩の体でよく見えない。私は諦めて先輩と向き合う。
「絞殺ですか?」
いや、と先輩は首を横に振った。
「扼殺だ」
私は思わず「手、ですか」と呟いていた。突発的な犯行だろうか。やってしまったという自責の念から犯人は自首した。あり得なくないストーリーだ。
「聞いた話だが自首してきた犯人は非常に興奮状態にあり一時取り調べが中断されるほどだったらしい」
「取り調べ中に取り乱した、と言うことですか?まぁありますよね」
「いや、落ち着いて話はしていたけれど、ニヤニヤと笑みを浮かべながら両足は机の下で激しく震えていたらしい」
私は髭の感触が残る顎に手を添える。そうなると何かしらの精神疾患と見做されるかもしれない。
「しかも被害者の女性を魂と殺人者と呼び私がやるしかなかった、と言っている」
「やるしかなかった、なら計画的な犯行。殺人罪ですか?」
「いや、何かしらの強迫観念による傷害致死罪の可能性もある。初犯だから執行猶予つくかもな。自首しているし捜査にも協力的」
私は強く頭の後ろを掻きむしる。自分でやるしか無かったと被害者宅に侵入し、手で締め殺し、自首した相手が執行猶予付きの傷害致死罪。今回の事件に似た判例では私の知る限り一年と少し、精神病院に通い問題なさそうなら日常に戻った犯人がいる。私が被害者側の遺族なら…納得できない。ただし殺人罪で起訴出来ればそうはいかなくなる。それには必ず殺意の証明をしなければならない。
「そう怖い顔すんなよ」
先輩から背中を叩かれる。私はすいません、と小さく頭を下げて部屋へと進んだ。
部屋は綺麗なものだった。争った形跡はほぼない。リビングにある椅子が一つ倒れているだけだ。押し入ったという感じにも、空き巣と具然鉢合わせた、という感じにも見えない。
どうやって犯人は部屋に入ったのだろうか。
「お疲れ様です」
「うん?あぁ影内くんか。お疲れ様」
近くの医大の教授をしている先生はしゃがんだまま顔だけを私の方に向けて言って、すぐに亡くなった女性の方へと視線を戻した。
私も先生と同じように視線を被害者の方へと向け、口も目も限界まで開いた顔にすぐに視線を外した。
ここまでの道中無線で聞いた話だと亡くなった女性は私の婚約者と同い年くらいらしい。
首には青黒くなった指の跡と強く爪で引っ掻いた痛々しい傷が残っている。
ーー被害者は夜越夏、二十五歳。会社員。
無線で聞いた情報を思い返し立ち上がった。
被害者の部屋を眺めていると胸を強く締め付けられるような気持ちになってくる。
タンスの上に飾られた写真立て、思い出の品々。並んだ二人の写真に移る背後の景色は私達も行った事のある場所だった。
ーーどうやって犯人が部屋に入ったか。
「知り合い…同僚」
あり得なくはないストーリーだ。
「…いや違う」
犯人は現在無職の男、と自首してきた時に聞いた。同僚の線はない。元同僚の可能性はあるか。
あとは不倫。考えたくはないがそういう線もある。元彼がしつこく言い寄ってきて…という事件の前例もある。
「被害者女性の婚約者の方がいらっしゃいました」
扉の方から声がかかる。
振り返って見ると若い男性とスーツ姿の男性がいた。
「大丈夫か青」
と、まだ春なのによく焼けた肌をしたスーツ姿の男性が若い男性の肩を支えている。
若い男性の方は血色が悪い。よく見ると腕が震えている。歩くのもままならないように見える。足も震えているのかもしれない。見るにこっちが婚約者の方だろう。
大の大人が大の大人に寄りかかっている様子を見ても馬鹿に出来なかった。正直、こんな仕事をしていれば大人なのになんと幼稚な、と思う事が多々ある。
今回の件で言えば、仮に今、彼にかかってきたであろう訃報と同じような事を私が言われたら、同じように先輩の肩を借りてヨロヨロと下まで歩くだろうという漠然とした予想があった。
だから
「青ッ!青ッ!」
と、彼の横にいた男性が慌てて崩れ落ちていく彼を抱える。
そんな姿に私は思わず走りだしていた。彼の肩を支えそれからゆっくりと床へ下ろしながら隣に座り込んだ。
「大丈夫ですか。気をしっかりと」
俯いたままの彼の顔を覗き込んだ私は目を疑った。一瞬彼は死んでいるように見えた。
わずかに彼の体は動いている。けれど、心臓の鼓動が伽藍堂の体に響いているだけように、私には見えた。
「しっかりしろ!」
結局、彼はしばらく動けない、と先輩が判断して下で待ってもらう事になった。
代わりに彼のお兄さんが現場に残るそうだ。
亡くなった女性を見てお兄さんは「はい。間違い無いです。栄香さん…じゃねぇや。えーと夏さんです」と頷く。
「まだ式も上げて無かったんですよ」
「そうだったんですか」
私は「お気の毒です」と言いながら彼の指で光る指輪を見て胸の辺りがチクリと痛むのを感じた。
私も彼女が行事を好む人でせっかくならとジューンブライドを選んだのでまだ式を上げられていない。嫉妬しているのかもな、と思う。
「犯人は自首したんですよね」
「はい。気になる点などはありますか?」
彼は首を横に振る。
「人付き合いは上手い方だったと思います。少なくとも殺されるような人じゃ無い」
床を睨みながら彼は言った。納得が言っていない様子。今回の件で言えば私もそうだ。
私が頷くと同時に「影内」と先輩が呼んでいた。別の人に変わります、とだけ言って私はその場を去る。
「マンションの防犯カメラには彼が正面の扉を抜けて入っていく姿が目撃されている」
先輩は廊下に立って腕を組んだまま淡々と言った。
このマンションはオートロック式。入った時に見ている。
「鍵を持っていたという事ですか。なら」
計画的な犯行、明確な殺意を立証できる可能性がある。
「落ち着けって。下のインターホンを押して普通に開けてもらって入ってったよ」
「それは…」
私は顔を上げて先輩の顔を見る。
先輩は目を伏せゆっくりと首を横に振った。私情を持ち込むな、と諭しているように見える。
「被害者女性とはなんらかの繋がりがあった。それも部屋に入れるほどだ。親しい間柄、不倫相手の可能性もある」
「…」
「五年前に夜の店で働いてたのがオーナーから確認取れた。まだ客と繋がりがあったという事じゃないか。まぁ、もっと調べないと分からないけど。あと彼女の方の両親はどちらも電話に出ないそうだ」
「そう、ですか」
私は顔を歪め俯いたまま部屋と戻った。
部屋でお兄さんが立ったままジッと被害者女性の顔を眺めていた。別れを心の中で伝えているのかもしれない。
心が湿っぽく重たくなっていくのを感じる。
私もお兄さんの隣に立ち、被害者女性の顔を見た。苦痛に歪んだ表情をしている。
ーーん?
ふと、生え際のあたりに傷を見つけた。机の角か何かでぶつけたような傷で僅かな出血がある。
「先生のそこのおでこのあたりの傷は」
「あぁ、これは何か硬いものがぶつかった時にできた傷だね。犯人の付けていた指輪や腕時計、倒れた時に机か何かにぶつかったものだと思うけど、一応ぶつけた所探しとく?」
私は「いえ」と首を横に振ってその場を去った。お兄さんはまだ彼女と何か話しているようだ。
そのまま歩いてリビングの方へと進む。大きな机に四人掛けの椅子。椅子は一つ引かれて一つが倒れている。ここも鑑識が調査している。もう既に犯人の頭髪や指紋が部屋から確認されている、と連絡を受けていた。
「茶が二つ」
片方のコップにはまだ少し麦茶だろうか、底の方に残っている。もう片方はほとんどないものの底は乾いておらず同じようなものを飲んだとわかる。
本当に犯人と仲が良かった…のか。
そこで犯人がやるしかない、と思ってしまう何かがあって…彼は善意と思いながら行動した。
「本当に彼女が魂の殺人者だったら」
それを頑なに認めないのは犯人が悪者だと決めつけたい私の私情なのだろう。
多分、先ほど泣き崩れた彼に自分を重ねてしまっている。
つい、ため息が出てしまいフローリングの床へ視線を向けた。
「それは?」
床に腕時計が転がっている。オレンジのバンドにシルバーの小さめな四角くのケース。女性用の物な気がする。
一瞬、私が去年彼女の誕生日に渡したピンクブロンドの腕時計を思い出した。「あなたと同じ時間を過ごしたい」時計のプレゼントにはそんな意味を持つ。彼もそんな気持ちで渡したのだろうか。
ーーまぁ全然彼女が自分で買った可能性もあるけれど。
だがなぜ、こんな所に転がっているのか。被害者の女性の頭が机に当たり、その拍子に何故か外していた腕時計が床へと落ちる…
ーーそれか彼女が床に倒れた衝撃で外れた。
いや、そっちは無いだろう、と私は手袋をしながら慎重に腕時計を確認する。留め具が折れていたりしたのだろうか。
「え」
ケースの角に血が付いていた。
私は腕時計を持ち上げたまま固まり自身の目を疑った。
「どういう事だ」
付着している血は十中八九、被害者女性のものだろう。
偶然、床に落ちていた腕時計に頭をぶつける可能性はほぼ無い。であれば、他の可能性としては…犯人に投げつけられた。
ーーどうして。
おそらくこの腕時計は彼女の物。わざわざ犯人が被害者女性の腕時計を外して投げつけた…わけないか。それをする理由が分からない。
ーーこれが全く事件と関連のない可能性もある。
だけど…私は信じたいのだ。
ーー私は今、私のために捜査しているらしい。
なんだかそう思うと俄然この事件にやる気が湧いてきた。
「先輩ー!ちょっと!」
扉の所で私を眺めるだけの先輩を呼ぶ。先輩は「はいよ、名探偵」とニヤリと笑いながらこちらへとやってきた。
「蜂出卓郎を殺人罪で起訴できる物は見つかったかい?」
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