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青夏、五円と花火  作者: 夏草枯々
第五章 青い夏
26/27

2.3

「俺は帰りませんよ」


一度栄香さんの方を見てから手を広げ二人の間に割り込んだ。伸ばした手は相変わらずみっともなく震えている。怖い。怖い。死ぬのは間違いなく怖い!刺されたら痛いだろう。多分のたうち回るだろう。


「青くん」


と、栄香さんの呟きが背中から聞こえてくる。

真っ直ぐ俺は担任を見返す。冷たい目をしていた。こうやって担任を真っ直ぐ見返したのは初めてだ。目の前に座っている事も立っている事も何度もあったのに。

何かに巻かれた白い布が落ちていく。やはり包まれていたのは包丁だった。自販機の灯りに照らされ刃が光る。


「動物でももう少し聞き分けがいいと思いますが」


「そうですか」


「IQに激しい差があると本当に会話が成立しない物なんですね。初めて知りました」


俺は言われれば言われるほどに頭が冴えていった。ここで叫びながら突撃して刺されでもしたら栄香さんはどうなるのだろう。もし刺されでもしたら、怪我でもしたら。そんな理由が俺をここに止め続ける。


「仕方ないですね」


目を見開いて鼻っ柱を真っ直ぐ殴られた。鼻が詰まる感覚の後、鼻からぬるりと熱い液体が滴り落ちる。血だ。

だからなんだ、と鼻を手で擦り顔を上げる。担任はもう一度手を振り翳している。

その時、後ろから肩を掴まれてバランスを崩す。


「え?」


尻餅をついて顔を上げると栄香さんが颯爽と歩いて担任に近づき手を振り翳していた。

パチーン!と鋭い音が響く。衝撃で倒れた担任が「え?」と呟いていた。頬は真っ赤に腫れている。


「NG入れとくので、もうお店に来ないで下さい。さようなら」


言われた担任は目を白黒させながら頬を摩っている。


「え、どうしたの!?」


道の方から男の人の声が聞こえて見る。

光る緑色の襷をつけランニングウェアを着た女性が悲鳴をあげていた。ちょうどうちの両親くらいの年齢に見える。ご夫婦で散歩でもしていたのだろう。


「包丁!」


男性の方がすぐに包丁へ走って取る。それを担任は抵抗せずに眺めていた。

諦めたのだろうか。


「大丈夫!?」


突然、鼻のあたりに布が当てられ視線を担任から外す。

栄香さんが側でしゃがんでハンカチを当てている。


「大丈夫ですよ」


俺はハンカチを受け取り自分の鼻に当てる。見ると服も赤く汚れている。お気に入りだったので残念だ。

栄香さんはギュッと目を瞑り「ほんとっ良かった」と()に力を込めて言った。


「俺もあそこで動けて良かったです」


俺は少し自分を見直して笑った。この熱は偽物じゃない。

しばらくハンカチで拭いているとご夫婦がポケットティッシュをくれた。


「何から何まですいません」


栄香さんがお辞儀をして俺もそれに続く。


「大丈夫よーあとは任せて。警察呼んだしあの人が今不審者見てるから」


警察を呼んだらしい。それはそうか、と鼻にティッシュを詰めながら頷く。

それからあっち一緒に見てるから、と女性は離れて行った。


「危なくなったらぶん殴るから大丈夫だったのに」


栄香さんは冗談っぽく笑いながら言った。

俺は小さく横に首を振りながら「栄香さんの大丈夫ってあんまり大丈夫じゃないですから」と答える。経験上特にお酒が入ると一瞬で大丈夫じゃなくなる。

栄香さんは自分で気付いていなかったのか意外そうな顔をした後、俯いて薄く笑い「そうかも」と頷いた。

その後は警察の方が来てそれぞれ事情聴取を受ける為栄香さんと別れた。俺は事情聴取を受けながら時間も遅いので迎えと事情説明のために両親を呼ばれる事になった。

俺の事情聴取はしばらくして終わり、警察の方も離れて暇になったので辺りを見渡した。助けてくれた夫妻の方も同じように事情聴取を受けている。こんな事でも野次馬は見にくるらしく俺たちから少し離れた所からこちらの様子を窺っている。

その後、しばらく迎えを待っていると見慣れた車がすぐ側で止まり、その中から両親が飛び出てきた。


「「青!」」


その後ろからムスッとした顔の兄貴がゆっくりとこちらへやってくる。

俺が両親へ事情を説明している最中に栄香さんがやってきて両親へ深く頭を下げた。初めは険しい顔をしていた両親だったけれど、最後の方はなんとか納得してくれた様子に見える。

それから警察の方が両親へ今回の件の説明を初め、栄香さんは引き続き事情聴取らしく去ってしまった。手持ち無沙汰になり何気なく後ろへ振り返ると兄貴が腕を組んで立っていた。


「巻き込まれさえしなければ大丈夫って巻き込まれたら何しても良いって意味じゃないぞ」


わざとらしい大きなため息をつく。


俺は「巻き込まれたわけじゃない」と答えた。


「警察の人からは噂の美女を庇って巻き込まれたって聞いたぞ」


「それは俺が選んだ結果の行動だよ」


兄貴は実に興味なさげに「そ」とだけ言う。


「兄貴、悪いんだけど神社に付き合ってくれない?」


「いいけど、なんで」


「お礼がしたくてさ」


それから俺たちは石段を上がった。星見には進学を目指すことを伝えとかないといけない。スマホからメッセージアプリを開いて通話をかける。メッセージは出なかったらしよう。


「おう。突然何?」


呼び出し音が止まってダルそうな声が聞こえた。


「やっぱり進学する事にしたから起業は一緒に出来ない。悪いな」


「あっそう。まっ良いよ」


「その代わりと言ったらなんだけどテキ屋の話は乗らせてよ」


「あー本当、了解。また日時確認して送っとく」


俺は「はいはい」と返事をしながら星見の起業の話の時、思っていたことを口にするか迷った。結局、そんな事で喧嘩になるような人じゃないと俺は知っていたので言う事にする。


「星見にその仕事は人に感謝ができるか聞いた時、感謝出来るって言ったよな」


「おう」


「その感謝っていただきます、と同じ意味だろ」


「バレた?」


悪びれもせず、おどけた口調であいつは言う。

俺はそれに鼻で笑って「そんな顔をしてたから」と答えた。

星見という人間はこういう奴だ。俺は通話を切ってスマホをしまう。それから十円玉を握り、手紙に記されていた通り鳥居の下で立つ。

「青?」と先に進んだ兄貴が振り返り鳥居で立ったままの俺を不思議そうに見ていた。

そういえば手紙は元の所に返しとかないといけないな。


「俺はちゃんと自分を救えたから」


二拝二拍手一拝をする。次、手紙を見た人に願う。


「救う理由を知らないとしても…必ず」


貴方の大切な人を救ってあげてください。

投げた十円玉が弧を描いて賽銭箱の中へと吸い込まれて行く。

月の光に照らされた寂しい境内にお金とお金のぶつかった高い音が響いて… 高校二年生の自分に戻る。


「青!?」


俺はがむしゃらに勢いよく階段を駆け下りて栄香さんの元へと走った。


『3』

花火大会から二週間経ち高校がまた始まった。毎日朝七時に起きるのはやっぱり辛く、昼頃まで寝ている兄貴が羨ましい。

久々に登校した日、クラスの様子は夏休み前と一変していた。

まず担任が変わっていた。担任は傷害事件として逮捕され、地域の新聞に載っていたらしい。俺は新聞を読まないし両親共にあの事件についてあの日以来触れてこないので知らなかった。

じゃあ誰から聞いたかというとクラスメイト達からだ。

「あの後ってことだよな」「待ち伏せされてたって」「あの女の人だよな」「蜂出ストーカーって事?キモ」

聞かれる事に答えるうちに周りが熱くなっていく。それぞれが好きなように話す。その中の一人に俺がいる。


「そうなんだ。全然知らなかった。ありがとう」


俺は素直にそう言った。

ーークラスメイトともう少し話してみようと思いました。

二学期に入ってからあの日の誓いを俺は律儀に守っている。

昔、予想した通りクラスメイトと話すと失敗する事もうまく出来ない事も確かにあった。一人で話しすぎたり、つまらなそうにしてしまったり、人とズレている所を感じたり。それで落ち込む事もあった。


「星見とまだ遊んでんだな」


「あいつヤクザになったんじゃないの?」


昼休み共に食堂で昼食を食べているとそう聞かれたので俺は首を横に振って「いや、なってないよ。相変わらずフラフラしてる」と答えた。あいつとはあれ以来もたまに連絡を取り合っているし、夏休み中夏祭りのテキ屋で一緒に働いたりもした。当たり前のようにお酒を飲んだりと頭を抱える事も多かったけれど楽しかった。


「屋台ってどうだった?面白かった?俺も一回やってみたい」


「あーじゃあ支度とか分かるし冬の文化祭で屋台出来ないかクラスで案を決める時に聞いてみようか」


「「いーね」」と友達同士ハモって笑う。


「焼き芋は火を使うし無理かも。ホットプレートくらいなら迷惑をかけないし出来るかもね」


「じゃあクレープがやれるか。ありだな」


「うわっ楽しそー!」


俺は良かった、と頷く。クラスメイトに必要とされているのは気分が良い。

昔の予想以上にみんなは俺を受け入れてくれた。たまに変な事を言うのもそういう奴だ、と納得してくれているような感じがする。

体育祭が近づき関わる事が増えた体育科の先生から「クラスに馴染めるようになったな」と最近言われた。多分、あの頃一番クラスメイトを受け入れていなかったのは俺だったようだ。


「ねぇ、夏祭りの時に一緒にいた女の人って彼女さん?」


授業中、隣の咲から突然話しかけられた。珍しい。夏休みが終わっても変わらず咲とはあまり話していない。中途半端な事をした事を謝る機会があれば、と思っていたけれどズルズル引き伸ばすうちに謝るのもなんだか失礼な気がして来てうやむやになっていた。


「いや」


俺は首を横に振った。


「でも、好きな人」


俺ははっきりとそう言い切った。

もうどちらかといえば好きとか、曖昧に濁したりしない。栄香さんは好きな人だ。

咲は「そうなんだ」と呟き頷きながら視線を落とす。それから顔を上げて俺を見る。


「じゃあ付き合えると良いね」


俺はそう言える彼女を人として強いなと思った。なんだか昔見た栄香さんの力強さを思い出す。


「ありがとう。何というか…優しいな咲は、すごいよ」


絞り出すように拙いお礼を口にする。


「ありがとう。君もね」


俺は首を傾げて「俺?」と聞く。優しいだろうか。栄香さんにも言われた事があるけれど未だに自分では分からない。


「あーあ。それを知ってのは私だけだと思ったんだけどな。このアオハル野郎め」


俺は肩を真っ直ぐ殴られた。痛くなかった。見ると殴った方の彼女が痛そうに顔を歪めていた。

俺の眉尻が下がっていく。こういう時どうすればいいのだろうか。

学校を飛び出す。海にいく。どこかで叫ぶ。どれも彼女が選びそうにない事だ。


「…後で色々なお詫びを含めてジュース奢るよ」


「え?」


彼女は小声でそう言う。驚いたような顔をしていた。

ジュースを奢る、奢られる。俺の知っている仲良くなる方法の一つだ。


「じゃあクーで」


「はいはい」


俺も同じ物にしよう。

やがて今日の授業が終わり、俺は学校近くの図書館へと向かう。

ガラス扉の向こうでいつもの場所に黒縁メガネをかけた栄香さんが座っている。長い髪を耳にかけノートにペンを走らす姿が見える。


「お疲れ様です」


と、扉を押して小声で駆け寄り横の椅子に座り鞄から俺も勉強道具を並べていく。


「お疲れ。待ってたよ」


栄香さんは淡々とそう言って広げていた勉強道具を少し横にずらす。

俺はそれに「お待たせました」とはにかみながら答えた。栄香さんといると自然と口角が上がってしまう。反対に栄香さんはそういう線引きをしっかりしていた。俺も見習うべきだろう。

隣から栄香さんが俺の顔を覗き込むように見てくる。俺は首を傾げた。


「学校で良い事でもあったの?」


「え?」


「何か嬉しそうだから」


俺はしばらく今日のことを思い出してみた。

特別嬉しい事があったかといえば違う気がする。確かに何も嫌な事は無かった。思い返してみればあれだけ嫌がっていた学校が嘘のような日々を送れている。そういえば最近はサボっていない。まだ二学期、始まったばかりだけど。

特別な事は何もない、ただの良い一日。だったらその中で一番嬉しい事はなんだっただろう、と考える。


「今日は栄香さんに会えましたから」


「大体毎日会ってるのに」


あっさりと言われた。

俺は「まっまぁそうですね」と力なく笑う。確かに、夏休みが終わってからも会う頻度はそこまで減っていない。


「嘘。ちゃんと嬉しいよ」


栄香さんはそう言った後「ここなんだけどさ」と参考書を指差した。

一瞬、思考が止まったけれど、なんとか参考書に目を落とし「あぁここは」と返事をする。

栄香さんが椅子を近づけ一つの参考書を二人で眺める。お互い肩が触れ合う距離にいる。

始まりはただ隣に座っただけだった二人。そんななんでもないご縁が今日へと続いた。

小さな満足感、小さな嬉しさ、小さな幸せが俺の中で弾ける。

あの日見た空を埋め尽くす光の粒。その前にあった小さな花火のような日々を俺たちは積み重ねていく。やがて小さな花火たちの間を大きな昇り竜が上がっていくだろう。

最後の一発。それが予定通りなのか、サプライズにするのか、なんでもない日なのかは分からない。

一度そこで青い夏は終わりを迎える。

でも、そこからまた僕らはフィナーレに向けて小さな幸せを空に打ち上げる。その日々をつまらない、と俺はもう思わなかった。

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