犯人の証言 1
ー…落ち着いているように見えますね。
私は祈るように結んだ手を机に置いて、顔を上げた。この警官は何を言っているのだろうか。いや、正確に言えば何故そんな質問を今、この状況でしたのだろうか。
私が彼をまっすぐ見つめる。すると彼はバツが悪そうに目を逸らし資料に目を落とした。
ふと、カツカツと硬い面を爪で叩いた音がスチール机を挟んだ先で座る若い彼の後ろから聞こえた。雑談なんかしなくて良いから早く仕事をという催促だろうか。どちらかといえば後ろで私の発言や彼の発言を記録している方の方が気は合いそうだ。この状況では仲良くなっても仕方ないけれど。
ーさんを殺したというのは本当ですか?
疑問系の語尾でこれは私に質問していたのかと彼の発言を思い返す。
彼の後ろの人に気を取られていたせいで、あまり内容は思い出せない。ただまぁ、大体の予想はつく。
「ええ、そう自首した時に言いましたよね?」
「ですが、言わされている可能性もあります。そう言うことで何かしらの利益が発生する可能性も」
「私が嘘をついていると?」
「いえいえ。ただ、どうしてそのような事をしたか伺いたかったんです。こんな状況でも大変落ち着いているようにも見えますし」
「こんな状況になっても慌てている人なんているんですか」
信じられない。誤認逮捕だったとしても、いや誤認逮捕の時こそ冷静に話し合う必要があるのでは無いか。最悪、黙って弁護士を待つとかだろう。慌てたところでどうにもならない。
「えぇ、というか、普通は慌てます。私もそちら側に座ったら生きた心地がしないと思います。ですから何故そんなに落ち着いているのか…例えば、貴方が捕まる事で何か利益が発生するとか、そういうのがあるのでは無いかなと」
そんな彼の荒唐無稽な話に私の中の知的好奇心が顔を上げる。私は頭の中で少し考えを巡らせた後「利益が発生する場合、どうなるんですか」と聞いてみる。法律の分野は専門外で知っている事は殺人は罪が重い、くらいの認識だ。
「その人も状況によっては罪に問われます」
「へぇ…あぁ失礼。さっきのは単なる好奇心での質問です。そんな人はいません」
彼は口をあんぐりと開けたまま私を見た。
私は再び彼に事情聴取を早く進めるように真っ直ぐと目を見つめて催促をかける。彼は再び私に質問する前に一度咳払いを挟んだ。彼の方が動揺しているのかもしれない。
「そうですか…では何故、このような犯行を?」
想定通りの質問だったので私は想定していた通りに答える。
「彼女は魂の殺人者だったからです」
「魂の殺人ですか」
彼は私の言葉理解しようと眉間に皺を寄せて復唱していた。その純粋な反応に私はなんだか少し懐かしい気分になってしまう。
「私はお恥ずかしながら法律の分野はからっきしでして、殺人の罪は重い、くらいの認識しかありません。ですが十人…か、もっとそれ以上の魂を殺した彼女は十分死に値するだろうと結論づけました」
「いえ、それは貴方が決める事ではなかったんじゃ無いですか。警察を頼って下されば」
カツカツとまた彼の背後から音が響く。
彼の目には先ほどまでに無かった恐怖の色が見えた。
私は彼の言い分をしっかりと聞いてから首を横に振った。
「誰かにフラれた事はありますか?」
「はぁ」
彼のそれは肯定とも否定とも取れる返答だった。彼の顔はキョトンとしていてまるで例え話が飲み込めていないように見える。
「彼女と別れた事は?その時、どんな気分だったか思い出してほしい」
「…」
彼は怪訝そうに眉を顰めた。男女の仲など真っ先に思い浮かぶプライベートな事だ。よく知りもしない人に話すものでは無いし、私も彼からそんな話が聞きたいわけじゃ無かった。
私が話そうとするタイミングで再び、カツカツと音がした。私は止まらない。
「私は長い間心が張り裂けてしまいそうなほどに苦しく、まるで背骨が抜かれたように体に力が入らなかった。ひどく落ち込んだ。仕事も手がつかなくなってしまった。誰か助けてくれと願い、過去の私は何を間違えたのだろうか、と疑った」
正面で座る彼は変わらず眉を顰め口を一文字に結んだまま私を見ていた。彼の真っ暗な相貌には私の全身が写っている。焦点はあまり合っていない。話に集中しすぎだろう。
ふと、あれからカタカタと音がずっとしている事に気がついた。奥の彼が貧乏ゆすりでもし出したのだろうか。少し五月蝿い。不愉快だ。
私はあぁいけない、と落ち着くため一息ついてから首を横にゆっくりと振って口を開く。
「でも、違った。私はその時初めて知ったんです。殺人鬼というのは本当に考えがよく分からないものなんだと。殺されるとそこで終わりで、本来知ることも出来なかった事ですけど、魂の殺人だけは別でした。多くの人が彼女の凶刃で苦しんでいるけれど、彼女を裁く法律は無い。警察に頼れない。だが更なる被害者が出そうだった。だから私がやるしか無かった」
ガタンと音がして、若い彼の後ろで座っていた男性が彼の肩を掴んで引っ張り上げる。掴まれた彼は目を白黒させながら掴んだ人を見上げていた。
「盛大に語ってくれている所、申し訳ない。彼はどうやら疲れているらしい。仕事を全う出来ていない。落ち着いて話を聞くべきなのに、非常に…貴方は興奮状態にある」
「私が?」
見た所彼は、スポーツ選手のゾーンのような集中状態にあり、見方を変えれば興奮状態と捉えられてもおかしくは無い。だが私は非常に落ち着いている筈だ、と胸に手を当てる。知らないうちに心臓が強く脈打っていた。どこかで心臓の鼓動を検知するものでもあったのだろうか。ただ、心臓が早く鼓動しているだけで興奮状態と決められるのは納得がいかない。彼はダメだ。きっと人の心などない、機械のような人間なのだろう。
「栄香夏さんの件はまた別の人が付きますんで、ちょっと待っててくださいね」
そう言って彼はどこかに連絡を入れ出した。どうやら素直な彼とはここでお別れなようで、私は少し残念に思った。