2
朝九時。学校も無いのに俺がこんな時間から駅前に立っているのには理由があった。
「おはよ!」
栄香さんの声が聞こえて顔を上げる。トートバッグを肩にかけ黒ぶちメガネをした栄香さんが改札から小走りでやってくる。俺は「おざます」と返す。あのバッグの中身は今日も勉強道具一式だろう。俺も同じような物が背負ったバックの中に入っている。
それから俺たちは駅前を歩きながら目的の場所へと向かう。
「今日から期間限定メニュー始まるらしいよ」
これから行くチェーンのコーヒー店の話だ。
「何味なんですか?」
栄香さんは「えーとね」と言いながらスマホを取り出す。
「パインだって。復活らしいよ」
「美味しそー去年のじゃなくて良かったですね」
「ねー。去年は最悪だったよ。楽しみにしてたのにさー」
俺はそうだろうな、と笑う。去年は確かスイカモチーフのフラペチーノ。栄香さんが苦手な物をピンポイントで選ばれたからだ。
そんな何気ない会話をしながら歩いていると、栄香さんが唐突になんでもない所で立ち止まった。
「どうしたんですか?」
栄香さんの見ている方を見ると制服を着た高校生たちが塾の前に集まっている。夏期講習だろうか。俺のクラスメイトでも塾へ通っている人はかなり多い。
「良いなーって」
「塾ですか?」」
「うーん。そうだね。塾もあるし高校生も羨ましいし夏休みも羨ましい」
「塾なら大人用のやつもありますよ」
栄香さんは「そうじゃなくてー」とどこか不服そうな調子で言って再び歩き出した。
「まぁそれに学生と違って勉強最優先には出来ないからさ。塾は難しいよ。私の調子もあるし」
俺が「そうですね」と頷くと同時に店に着いた。
ドーナツとコーヒーを頼み席について勉強を始める。大体三時間ほど勉強して店内が混み始めたらテイクアウトして神社へ向かう。それが大体いつもの流れだ。
「ここ分かる?」
「あぁはい。それは…」
幸い同じ教材を使っているので分からないところがあれば栄香さんに聞ける。二人とも解き方が分からなければ調べて解き方をメモにして後で教えあったりと色々二人で勉強する。俺の勉強は確かに捗っている。だけど何のために勉強しているかと聞かれるとちゃんと答えられるのかは怪しい。
栄香さんと勉強するのはもちろん楽しい。勉強のやる気もある。でも、それだけを理由に大学に行っていいのかは迷う。大学の費用はほぼ全額両親頼りになる。お金は実際の重さよりもずっと重い。バイトをしてわかった事だ。
「何となく進学でも、もちろん良いんだけどやっぱり明確にやりたい事がある学生は周りの人よりも一つ抜けてたな」
昨日の夜、スイカを食べながら親父はそう言っていた。
ーー大学に行ってやりたい事。
そんなものは俺に無い。
「どうしたの?考え込んで」
街へと戻る電車に揺られている最中、黙ったままの俺の隣からそんな質問が聞こえてきた。
「大学に行く理由を考えてて」
「へー、ご両親の説得?」
俺は「いえ」と言いつつ小さく首を横に振る。
「両親は進学に反対してないです」
どちらかといえば両親は積極的に進学を薦めている側だ。通っている高校も就職を進めるような高校じゃない。進路も圧倒的に進学が多い。
「両親は納得してるなら大丈夫じゃない?」
「それは…そうなんですが」
「青くんは納得してないと」
「栄香さんはどうして大学に行くんですか?」
「まー勉強したいから?あと夜職辞めて普通に戻る為もあるね」
「普通に戻る…ですか」
栄香さんはのんびり、ゆっくりを楽しめる人だ。だから派手な夜職を辞めるというのも何となく分かる。きっと栄香さんならば大学も上手く楽しめるだろう。
一つ「俺は…ですけど」と前置きを入れてから話し出す。
「栄香さんと一緒にいて普通も、のんびりも、ゆっくりも良いなと思えました。でも…花火みたいな爆発の日々が忘れられない」
二人で叫びながら下った坂道も飛び込んだプールの煌めきも本来授業中の時間に食べたファーストフードの味も。まだ頭の中で鮮明に残っている。それを思い出に昇華してしまうには少し若い気がする。
栄香さんは「んー」と考えるような間を取ってから
「何を言っているか分からないけど私も好きだよ。爆発するみたいな日々」
「そうなんですか?」
それは意外に思えた。俺とは程遠い大人な感性をしている栄香さんから見れば俺の幼稚な楽しみ方は鼻で笑われて注意されても仕方ないと思っていた。
「あれでしょ?多分、爆発って前話してた友達と俺昔ワルやってーっていう」
そう冷静な調子で言われると途端に恥ずかしくなって俺は「まぁ」と呟くように答え小さく頷く。
「たまにハメ外すよ、私も。旅行先とかテーマパークとか。いっつも騒いでたら流石にちょっと常識を疑うけど、それくらいはみんなするんじゃない?青くんも普通くらいだと思うし」
「そう…ですかね?」
確かに。俺たちはいつも騒いでいたわけではない。度が過ぎれば注意されたけれど普段から怒られるような事はなかった。
ただ栄香さんがハメを外す姿をあまり想像できない。どちらかといえば後ろから騒ぐ俺を微笑みながら見守っている方がしっくりくる。それはクラスメイトと同じみたいできっと俺は少し寂しい思いをするだろう。
「それに花火みたいな一瞬の爆発も海のゆっくりとした波音も神社の静けさも、全部好きだから」
「好きなもの多いですね」
相変わらず嫌いなものばかりの俺とは正反対だ。
栄香さんは「そーね」と頷く。
「人相手だと苦手なタイプ結構多いけど、花粉症でも無いから景色とかは全般好きだな〜私」
「へー俺は花粉症なので取り敢えず見えた森、全部燃やしたいですね」
「えーやめてー」
と、言いながら栄香さんは小さく笑う。そんな話をしているうちに電車が最寄りの駅に停まった。
電車を降りながら栄香さんが突然「そうだ」と言った。
「花火大会来週あるからさ、行かない?その日、空いてる青くん?」
「行きます」
即答する。誘われては仕方ない。実家に帰るのは来年に先送りしよう。クラスメイトも来るけど、どうせ人混みで顔を合わす事はないだろう。
それから神社に着いてキッシュを食べながら、今日の勉強の話をしていたら栄香さんのスマホが鳴った。栄香さんは一瞬で仕事モードに入ったので俺は暇つぶしにSNSを開いた。
毎日のようにクラスメイト達の誰かしらが夏らしい事をSNSへ投稿している。県外の花火大会だったり海だったり川でBBQだったりだ。
適当に見ていると暗がりで赤く燃えるBBQコンロと片手にトングを持ったままピースするクラスメイトの写真が目に止まる。後ろには大型のテント、バッテリーまで持ってきているのか灯りがついていて本格的だ。
羨ましい、なんて思っていると横から「えー良いなBBQ」と言いながら栄香さんがスマホを覗き込んできた。淡い香水の匂いがする。俺は「見ます?」と栄香さんにスマホを渡して距離を取った。こんな何でもないような事で意識してしまう自分の耐性の無さが情けない。
「うちにBBQセットありますよ」
昔は俺も家族でよく山に行ってBBQだったりスキーだったりをしていた。その名残でうちに一式BBQセットがある。
ーーあれ、いつから山に行ってないんだっけ?
思い出せないほど昔ではないはずなのに…記憶がごちゃごちゃだ。
「それって青くんの家族と一緒って事?」
俺は顔を手で擦り思考を切り替える。
「いや俺、準備出来るんで後はバスで行けますよ」
「えー…それは不味いんじゃないかな〜青くーん」
栄香さんは苦笑いを浮かべている。
眉間に皺を寄せる。何が不味いのだろうか、と首を傾げた。
「泊まりでしょ?」
「いえ、近くのキャンプ場で日帰りですよ。昼にBBQして…え?」
もしかしてテントを張って泊まる気でいたのだろうか。BBQセットとテントで潰れるのが目に見えている。それに家にキャンプ道具があるのに借りる意味は無いし、俺一人でなんとか準備は出来るだろうが絶対キツい。楽しむ余裕はないだろう。
「それってBBQじゃなくてキャンプじゃないですか?」
聞いてみると、栄香さんは顔を背けた。
「確かにそうだね!」
頷きながら少し上擦ったような声が聞こえる。焦っているのだろうか。珍しい。
「…キャンプしたいならもう少し待って下さい。車の免許はなるべく早く取るつもりなので」
しばらく栄香さんから返答は無かった。
俺は不味い事言ったかも、と頬を掻く。
やがて、栄香さんはゆっくりと振り向いて、その顔は小さく笑っていた。
「真面目だね」
俺もそれにつられて笑う。
「なんですかそれ」
ふと、栄香さんに渡していた俺のスマホが震える。
「みんなで勉強会するんだけど青来ない?だって、女の子からかな?やるねー青くん」
栄香さんは揶揄うように言って俺にスマホを差し出した。
勉強会の誘いなんて珍しい、というか初めてだ。誰からだろう?
「多分、行かないです。めんどくさいし」
画面を見て、後で返信しておこうと電源を切る。
「そういえば今の子って、出会いがゲームとかなんでしょ?お店の子が言ってたんだよね」
「あーいますね。クラスにもSNSで知り合った人と今度オフで会うんだよねーとか言ってました」
「ネットの人でしょ。怖くないのかな?」
「さぁ。大丈夫だと思う何かがあったんですよ。きっと」
「まぁ確かに。じゃないと会わないよね」
沈黙が訪れそうになる。でも、ずっと頭の片隅で気になっていた事が聞けるせっかくの機会を逃したくなかった。
「あの!栄香さんは…いるんでしょうか」
「…私?私はーいません!好きな人もいません。高校は途絶え無かったのに、今では全然ダメだよ」
小さく首を横に振りながら苦笑いを浮かべて言った。でも、全然悲観的ではなさそうだ。
俺は「そうなんですね」と頷いて小さく息をつく。どこかにあった後ろめたさが少し薄らいだ。
それからは何でもないような話をして勉強をした。やがて栄香さんが仕事の時間になったので神社で別れて、俺は真っ直ぐ家に帰った。
家に帰るとリビングに兄貴がいて「そういえばまだ会ってるの?神社の美女と」と聞いてきた。
「会ってるよ」
「うわっ青春してんなー!」
浮かれた調子で兄貴が言った。どうなんだろう。俺は青春をしているのだろうか。
そんな事を真面目に考えていると
「でも、気をつけろよ。追いかけてられている自分に酔ってるタイプもいるからさ。まぁその美女を知らないからなんとも言えないけど」
栄香さんはそんなタイプには思えなかったので「あぁはい」と聞き流す。
「あのっ俺って青春してるの?青春ドラマや映画みたいな大それた事を。自分じゃ分からなくて」
俺はしていないような気がしている。だけど自分を客観的に観れている自信も無い。
兄貴が答えを出すまで少し間があった。
「大それた事って言うか現実的な青春はしてるんじゃないか?青は好きなんだろ?その人の事」
好きなのだろうか。分からない。栄香さんと居て何かに突き動かされるような強い感情というものは未だ感じたことがない。ずっと平穏な日々だ。
だけど、一つだけ俺にしては珍しくはっきりと言えることがあった。
「分からないけど、少なくとも絶対嫌いじゃない」
兄貴は目を丸くした後、小さく笑いながら「それは好きで良いじゃん」と言ってリビングから出て行った。




