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青夏、五円と花火  作者: 夏草枯々
第二章 波音に叫ぶ
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2

俺はそのまま店の横にある駐車場へ連れて行かれる。そこはさらに暗い。アスファルトに剥げた白い枠組みがうっすら見える。壁から筒の抜けの笑い声が聞こえてきた。複数人の笑い声だ。あぁ、このまま闇に溶けていきそうだ。そうなれればどれだけよかっただろう。


掴まれていた肩を男に引っ張られ俺は駐車場のアスファルトに尻餅をつく。咄嗟にアスファルトへついた手の平の皮が剥けた。


「土下座」


男が目の前に立って見下ろしてくる。途方もないほどデカく聳え立つビルかのように見えた。指は駐車場を差している。ここでしろと言う事だろう。


「なんでそこまでする必要あるんですか」


「教育だって。お前客のこと舐めてんだろ」


「舐めてないです」


俺は手についた小石をズボンで払い落としながら立ち上がる。払う度に傷口から石ころが落ちて痛んだ。

目の前の男は余裕そうな態度を崩さない。相変わらず顔は平静さを装っている。


「じゃあ土下座できるよな。反省の意を見せろ」


「パワハラっすよ」


俺の体はその瞬間くの字に曲がった。一瞬、意識が飛んでいたような気がする。気がつくと地面に膝から崩れ落ちていた。アスファルトの熱が荒い呼吸をしながらえずく俺の顔にかかる。涙で視界が歪み、目を閉じるとアスファルトに黒いシミを作っていた。目が回り吐きそうだ。キツい。


「何がパワハラだ。ボケ」


怒鳴り声が頭上から降り注ぐ。それと同時に横から腹を蹴り上げられ俺は跳ねてアスファルトへ転がった。その瞬間、痛みが俺の中の何かを外した。壊れたのかもしれない。腹の底から湧き出てくる強い感情の波。

俺はそれに流されるまま咄嗟にアスファルトに手をついて男へ飛び掛かっていた。

男が「ゾンビみてぇ」と笑う。それはそれは滑稽な姿だっただろう。人を殴った事どころか人とまともに関わった事も無いのだ。それでも焼けたような頭が前へ進めと叫ぶ。


「あああああああ!!!」


俺は勢いそのままに相手の腹に組みつき全力で押す。男はびくともしない。

首に手が回り締め上げられて頭が下がる。それでもがむしゃらに拳を振って暴れる。がっしりとした肉体はいくら暴れても殴った気がしない。

また、だ。

鳩尾に強い衝撃が走った。蹴り上げられたらしい。力が抜けて咳き込むように息をする。

ーーこいつには勝てない。

首に回されていた手が外れてアスファルトに崩れ落ちる。体が震え出す。無理だ。勝てない。

震える身を捩って道路の方へと這いずり進んだ。


「土下座」


背中を踏まれて焼けたアスファルトに頬がつく。強く打った頬が鈍く痛んだ。

あれだけ沸いていた感情の熱も今は震えるほどに冷めていた。立ち向かう気力も一向に湧かない。どうやらあれは偽物の熱だったらしい。

俺は手をアスファルトへつける。呼吸は荒く視界はぼんやりと歪んでいる。


「ずみまぜんでした」


俺は土下座していた。

店から笑い声がまた聞こえてくる。下唇に歯を突き立てる。身体中に自分の情けなさが滲みて震えた。俺ってこんなに弱くて直情的で考えなしのバカで…


「ダッセェなぁ」


その通りだ。

しばらくして男の気配がなくなり顔を上げる。やはりもうそこにはいなかった。もう少し揺れた胃が治まるまで蹲っていたかったけれど、新たな人の気配が店の方からして立ち上がるしかなかった。


「吐きそう」


蹲った時のアスファルトのじんわりとした温かみを思い出しながら店の外の壁にもたれ掛かる。

ボーッと夜空を見上げている内に先ほどの出来事が再び沸々と思い出してくる。頭に浮かんだことは消えてしまいたいだとか、やり直したいとかではなく、ただこの記憶の忘れ方だった。


「すいません。戻りました」


会計をしながら店長は険しい顔で「まずは退勤」と事務所を指差す。時間を見ればもう十時近い。大分外にいたらしい。


「そのあとここ来て」


「はい」


事務所で退勤して戻ってくるとレジには先輩がいた。

支払いを終えたお客を見送ってから先輩が「ぶん殴られた?」とニヤニヤしながら言った。


「はい。鳩尾ズドンでした」


「馬鹿だねー」


「結局あれどうなったんですか」


「茶碗蒸し新しいの出してそれでもキレてるからコース割引。茶碗蒸しのやつは海老の殻なのに」


そう言った後、先輩はため息をついて「もう言ったもん勝ちだろ」と呆れたように呟く。


「そうですか」


じゃあただの殴られ損だ。


「お前もさ、ああいうのにイキって突っかからずに平謝りにしとけ。めんどいから」


そう言い残し先輩は俺の肩を叩きホールの方へと去っていった。イキって突っかったわけではない。けど、大体似たようなものか、とため息をついた。

先輩と同じような事を事務所で店長にも言われた。

俺がなるべく丁寧に状況を説明しても「変わらないよ」と目を真っ直ぐ見ながら言われた。俺を見る店長の目は叱る時の教師の目だ。


「周りのお客様、怖がってたよ。あの店員さん大丈夫ですか?ってもうご飯手につかないみたいで、全然食べずに帰られたから」


「すいません」


「クレームも入った。非常に店内の雰囲気が悪かった、と全然料理が提供されないって。今日全然お店回ってなかったから。俺も対応に追われて、君はいないし」


「すいません」


「もう二度とこんな事しないで。次ないからね。ほんと勘弁してよ」


店長は眉間に皺を寄せて露骨にイラつきながら頭のてっぺんをガリガリと掻いた。


「帰って良いよ。もう」


邪魔だと言わんばかりに強くそう言って、店長は去って行った。

俺はなんであの時、何のために突っかかったのだろうか。もう思い出せない。


それから電車に揺られ自分の街につく。止めていた自転車に乗って両親に連絡を入れてから神社へと向かった。

住宅街を抜けると一気に暗くなり、まばらにあった電灯も神社のある森のあたりでついに無くなった。仕方なく自転車から降りてスマホのライトで先を照らしながら進む。

神社のあたりは相変わらず人の気配がない。森からは様々な虫や鳥の声が聞こえてくる。


「イッテェ」


夜のジメッとした空気のせいだろうか。擦りむいた手のひらがジクジクと神経に響いて痛む。

自転車を石段の前に置いてスマホで照らしながら石段を上がり、鳥居の先にライトを向ける。

賽銭箱の奥の階段が白く丸い光に照らされる。


「いないか」


こんな時間にいるわけがない。当たり前だった。

ゆっくりと境内の端を歩いて階段に座り空を見上げる。バイト先で見た時よりも星がたくさん見える。


「辞めるかーバイト」


何かが変わってほしいと初めて、今日で何となく続ける理由が無くなった気がした。

強いて辞める理由を探すなら…


「もう良いや、かな」


ふと、この言葉をこの場所、この時間で前、言ったのを思い出した。

あいつが居なくなった翌日の夜だ。

つまらなかった中学から何かが変わって欲しいと願って行った高校はあの日を境に行く理由が無くなった。

今でも思い出す。

高校生になれば何かが変わる、楽しい事が待っていると思いながら開けた教室の扉。

その先に居たのは真新しい黒いブレザーの制服に身を包んで座ったまま、一言も話さず黒板を見つめるクラスメイト達の姿だった。俺はそれを見て「葬式かよ」と呟いて廊下で立っていた。

あいつはそんな教室に遅刻寸前でスライディングをして入ってきた。一眼見た時からこいつとならアニメや映画のような高校生活が送れると思った。

ーーあいつは辞めたけど。

結局、俺は両親に説得されて今もまだ行っている。バイトはどうだろうか。別の所を探すと言えば承諾してくれるだろうか。

俺は階段に横になって寝そべる。屋根の影から星空が見えた。


「これがずっと続くのかぁ」


夜空に独り言が溶ける。

これから大人になっても、同じように「もう良いや」と諦めるのだろうか。なんだかそう思うと人生自体がもう良いやという気になってくる。

俺の人生はずっとつまらないまま続いていくのだろう。

殴られてからずっと腹にある違和感を摩った。あれからずっと圧迫感を感じる。


「結局、受験と一緒だな」


目的なく勉強は出来ない。目的なく人生も走れない。

俺は多分、そういうやつなのだろう。どうしようもないやつだ。


ふと、俺はグルグルと熱く蠢く不快なものをへその下あたりに感じる。ちょうど摩っていたあたりだ。

それは喉に行く感じじゃない。けれどなんとなく吐き気はあった。

将来を考える内にさらに気分は落ち込んでいく。

つい、大きなため息をついていた。


「駄目だ」


このままここにいても寝るまで同じような事を考え続けるだろう。

なんとか体を起こして階段を下っていく。石段を一歩降りるごとに衝撃が体に強く響いた。足音もなんだかボトボトと泥の塊で落ちているような足音をしている。

また、ため息が出ていた。


翌日、俺は朝早くから神社へと向かっていた。日曜日なのに珍しくバイトが無かったのだ。父と兄貴からは「だったら海に出かけないか」と誘われたけれど、今は昨日の出来事を上手く飲み込めないままにしておきたくなかったので断った。勉強なんかせずに静かに神社で丸まっていたい。

そんな気分だったのに…


「おっ青くん!今から一緒に海行かない?」


鳥居を抜けた先で栄香さんが階段に座ったまま俺の方に手を振っていた。

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