プロローグ
お盆の休みを使い帰省した実家。俺は縁側に座って暇つぶしにスマホのメッセージアプリを開いた。
社会人になると途端に遊ぶ友人がいなくなる。それを寂しいと思う間も無く仕事に励んでいるうちに連絡も来なくなった。機種変更をしてからはメッセージ欄からもいなくなり過去にメッセージを送り合う友達だったらしいという事だけが残っていた。
(やめた)
スマホをポケットにしまう。頭上から風鈴の穏やかな音色が聞こえて、涼しい山からの風が頬を撫で部屋へと流れていった。
ここに居ると息が詰まるような熱波も汗と制汗剤の匂いがする雑踏も忘れてしまう。祖父母の家が暇すぎて久々に友達へ連絡しようかと思ったけど悩んでいるうちにもう家を出ないといけない時間だ。
「青ーもう出るぞー」
兄貴の声が玄関の方から聞こえてくる。
「あらー春ちゃんどうしたのー」
廊下で兄貴の娘さんにデレデレの母の横を通り過ぎる。兄貴から娘さんに『春』という名前をつけると言われた時、俺は思わず笑ってしまった。
ーーナッちゃんよりも長く生きられそう。
と、言ったら兄貴に顔を顰められた。
玄関で靴を履きながら赤べこの頭を叩いて揺らす。
ふと、その横にあるきゅうりの馬と茄子の牛を眺める。精霊馬と呼ばれるそれは外を見ていた。と言うことはもうお盆も終わりだ。
「もうお盆も終わりだな」
親父の運転する車に乗り込むと兄貴が話しかけてきた。
「玄関で全く同じことを考えたよ」
「えーきも」
無視して車のドアを閉める。まだ祖父母と母が来ていない。
「兄貴はもう帰るんだっけ」
「おう。灯籠流し見たらここから高速乗って帰りまーす」
「気をつけて」
明日も休みにしていた俺と違い兄貴の方は朝から仕事らしい。
俺たちの両親とお嫁さんも娘さんも一緒に乗って帰る。寝ぼけて事故なんて事だけは勘弁してほしい。
「わかってる。にしても今年はだいぶゆっくり出来たな」
「去年は俺も明日仕事だったし、春ちゃんも小さかったから」
「まぁそうか。あー羨ましい」
「有給が余ってるだけだよ」
そうこう話しているうちに母と抱っこされた春ちゃんと祖父母がやってくる。
ーー確かに、今年はゆっくり出来た。
ナッちゃんのご両親と相談して俺の家の墓に入る事になったお陰でこうやってゆっくり墓参りが出来る。それに今年はどこにも行かずお盆を通して家でゴロゴロしていたのもあるだろう。
それから車はしばらく進み公園へとやってきた。
「どこに行っても外国人ばっかりだな」
兄貴が突然、俺に話しかけてきたのかと思い顔を上げる。隣で兄貴のお嫁さんが小さく頷いていた。子供が出来たら女性は変わると聞いていた事があるけれど兄貴のお嫁さんは何一つとして変わったようには思えない。相変わらず嫌われてるのかも、と思うような距離感をしているし、兄貴以外の家族とも一線引いた所にいる。ただ春ちゃんの名前は二人で決めたらしい。そこで二人がナッちゃんを思いだしてくれたということが少し嬉しかった。
公園をしばらく進むと川が見える所にたどり着く。もう既に灯籠流しは始まっていた。小さな灯籠が黄色の淡い光を灯して暗闇の中を流れていく。お祭り騒ぎというほどでも無いけれど、それなりの騒めきの中、俺たちは並んでゆっくりと眺めた。見るたび想像以上に遅い灯籠だ。
「のんびりもいいものだな」
誰に話しかけるでもなく呟く。
一人暮らしを長くしていると独り言が増えてしまう。そういえばもう一人暮らしを始めて五年になるのか。いや、実際は大学一年の頃があるからもっと長い…のか。
でも、あの頃は一人という気はしていなかった。
ーーどれもこれも先輩のおかげですよ。
俺は顔を伏せ小さく笑う。
その時、どこからかお金とお金のぶつかる高いが聞こえた。
誰かが小銭を落としたのだろうか、俺は顔を上げて当たりを見回す。
「青?」
隣にいた祖父が眉を上げて俺の顔をまじまじと見ながら言った。
「なに?」
「泣いとるんかお前?」
「泣いてる?」
目頭の当たりに指を伸ばす。何故か濡れている。
「…なんでやろ」
何故だか胸が苦しくなった。忘れていた、いつか感じたことがある苦しさだ。
「青」
兄貴が駆け寄って来て俺を抱きしめた。
その後に心配そうに眉を八の字にしたお嫁さんが続く。ハンカチを差し出され受け取れずにいる俺の目元へ当てる。
「大丈夫ですよ」
優しく囁くような声が聞こえ背中をゆっくりさすられる。
涙で歪んだ視界に映る淡い光の灯籠達。
川をゆっくりと流れていくそれは弔いの光でお別れを告げる光だ。
鼻を啜り上げ、ハンカチを受け取り止まらない涙を押さえつける。どうして涙が出るのだろう。不思議だ。
俺はこんなにも救われている気がしているのに。