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7.あなたの隣にいたいだけ

 エデは山を降りると、こっそりと戦場の様子をうかがう。ほんの少し前までは国と国が争っていた戦場はいまや、常識外の例外存在(オルファ)が剣を振るう、おとぎ話の舞台になっていた。


 オルファはザザを敵と定めたようで、斬り伏せられているのはザザの兵ばかり。けれど命は奪わず、手足に的確な傷を負わせて行動不能にしていた。コロシアムでの、殺害を目的にしていた剣筋とは明らかに違うのが見て取れる。

 唐突に現れて、戦局すら変えてしまうほどの混乱をもたらしたオルファ。その姿に恐れおののいているのはむしろ、助けられた王国だった。


「な、なあ……あの女の子、まさか」

「コロシアムの……」


 戦争は始まったばかりだ。徴兵は間に合っていないはず。ここにいるのは大半が正規の軍人だろう。王都にいた人間なら、コロシアムに君臨していた剣奴を知らないはずがない。

 オルファの姿に王国側は戦う手を止めていた。見える範囲のザザの兵は全員が戦闘不能にされているから、戦場は実に奇妙な静寂を迎えていた。


「……オルファ、どうして」


 オルファは戦争を止めると言っていた。エデが笑えるようにするために、戦争を止めるのだと。

 エデの思考はまたも混乱に襲われる。自分のような殺し屋のために、オルファが動いた理由がわからない。何もかもわからない中でも、エデは観察をやめなかった。


 戦争を止める。それはつまり、ザザの侵略を終わらせるということ。普通に考えれば、たった一人の人間が侵略を止めることなど不可能だが、動いたのはオルファ・テレジアだ。かつて身体一つでコロシアムに放り出され、剣を持った歴戦の剣奴をあっさりと屠った少女。そんな存在が戦争を止めるために戦えば、結末はどうなるのか。


「私は、どうすればいいの」


 エデはただ、オルファと一緒にいたいだけだった。オルファが微笑んでいてくれればそれだけでよかった。そんなささやかな願いも、ザザとリタニアが君臨するこの世界では果たせなかったというだけで。


 考える。ずっと停止させていた思考を回して、考える。

 どうすればこの願いは叶うのか。どうすればオルファが戦わなくていい世界になるのか。殺し屋だったとはいえ、エデはまだ子供。オルファのような規格外でもないのだから、できることなんてない。でも、諦めたくない。

 停止する戦場を見ながら考えて、考えて、考え続けて。エデはかつて、考えることをやめていた疑問を思い出した。


「どうして、オルファはリタニアにとって危険なの?」


 枢機卿が言ったことだ。オルファを危険だと感じているのは、リタニア上層部の総意なのだろう。

 いくら異常な強さを見せつけていたとはいえ、コロシアムに幽閉される剣奴を危ぶむ理由がわからない。オルファはただ、政争に巻き込まれて剣奴に貶められただけなのに──。


「……政争?」


 エデが殺すのはいつも、誰かにとっての政敵だった。養父はリタニアとして殺しを請け負って、依頼主は利益の代わりにリタニアへ弱みを握られる。

 何も考えず、言われるがままに殺してきた。だから殺された人たちの共通項など、今更知る方法はない。でもきっと、リタニアにとっても益がある殺人だったはずなのだ。救済を説く大陸随一の宗教国家にとっては殺人の請負業など、暴露されればすべてが揺るぎかねない醜聞なのだから。


 多大なリスクを負ってでも、リタニアが追求している利益。オルファはその中身を知っているのではないか。


「──オルファに、聞かなきゃ」


 このまま戦場に留まっていても、エデにできることは何もない。そう自覚しているから、エデは立ち上がって拠点にしている村に戻った。

 村に戻ると家屋を漁って、リタニアの信者が身につける首飾りを一つ手に入れる。山に戻ると地中を掘って芋虫を探す。せめて、オルファが満足できるだけの量を用意してあげたかった。


 オルファが無事に戻ってくるよう、リタニアの神ではない何かに祈る。オルファが戻ってきたのは深夜になってからだった。


「ただいま──きゃっ!?」

「怪我は!? ねえ、どこか痛いところはある!?」

「……いいえ、私は何ともないわ。いつも通りよ。ただいま、エデ」


 オルファは微笑む。衣服は血や泥で汚れていたが、ほとんどが返り血のようだった。エデは安堵にへたりこんで、次の瞬間にはキッとした鋭い目でオルファを睨みつける。


「このバカ! いきなり飛び出して、私がどれだけ心配したと思っているんですか!」

「う……だ、だってエデも私が強いことは知っているでしょう?」

「それとこれは別! もしあなたに何かあったら、私は……!」

 

 涙は流さない。それでも言葉はつっかえる。初めて見るエデの激情に、オルファは所在なさげに身体を小さくしていた。

 エデは気づかないうちに荒れていた息を整えると、戦場でたどり着いた疑問をオルファへ問いかける。


「ねえ、オルファ。あなたはもしかして、リタニアの秘密を知っているんじゃないですか?」

「秘密?」

「私があなたを……殺すように命じられたとき、お父さまが言いました。あなたはリタニアにとっても危険なのだと」


 お父さまと、ごく自然に口から出ていたことがエデには少しだけ不愉快だった。エデが犯した殺人を利用して、殺し屋に仕立て上げた枢機卿。親子という関係はカモフラージュに過ぎないのに、意識のどこかに刷り込まれてしまったみたいで。

 とはいえ、今はそんなことに気を払う余裕はない。まっすぐオルファに目を向ければ、オルファはどこか躊躇いがちに話を始めた。


「……ええ、心当たりはあるわ。リタニアが私のことを警戒しているのならなおさらに」

「それは?」

「リタニアとザザは繋がっているかもしれない」


 その言葉は、エデの脳をショックで痺れさせた。脳みそがビリビリとする感覚があって、まだ心のどこかではリタニアを信頼していたことを実感する。


「父は昔からザザとの開戦派だったの。けれど大多数の貴族たちは国をザザに売って、安寧を得ようとしていた。結局、父は政争に負けてしまったのだけれど……」


 オルファは家族の末路を、少しだけ言い淀む。けれどそれも一瞬のことで、オルファはすぐに話を再開した。


「父はずっとリタニアを警戒していたの。だから何度か、慈善事業を装ってリタニアの内部を見に行っていた」

「……お父さまの結論は?」

「わからない、と言っていたわ。後ろ暗い何かは感じるけれど、決定的な証拠がないからどうにもならなかった」

「そう、だったの」


 エデは思い出す。自分を育てた孤児院が、子供を出荷するためのものだったことを。自分を最初に引き取った司祭が襲いかかってきた日のことを。枢機卿の下で人を殺していた日々を。


 子供だったとはいえ、理不尽が降りかかってくるまではエデもリタニアがまっとうな宗教国家だと思っていた。どころか、人々を救おうとする信仰を尊いものだと信じていた。あくまで外部の者だったオルファの父が証拠を掴めなかったのも当然だろう。むしろ、暗部を悟っていたことが驚嘆に値する。


「コロシアムであなたと会ったとき、とても驚いたと言ったでしょう? 昔のあなたはひたむきに神を信じる目をしていたのに、その面影はどこにもなかった。だから、あのときね、父の直感は正しかったんだってわかったの」


 オルファはきゅっと、エデの両手を取って包み込む。剣を握り続けて硬くなった手は温かかった。


「エデみたいな子を、暗い奈落に突き落とす国がまともなものであるはずがない。それに、エデがやってくる少し前から、やけに私を殺そうとする意思が強くなっていて、リタニアからの刺客までやってきた。だからきっと、あの国もリタニアも、テレジア公の考えを知っている私を殺したがっているんでしょうね」


 オルファの証言は逆説的に、テレジア公爵の思考と直感の正しさを裏付けるもの。

 エデはごくりと生唾を飲んで、震える脳が出した考えを告げた。


「……ねえ、オルファ」

「なあに?」

「あなたならもしかしたら、ザザを止められるかもしれない。だから──」


 エデの視線は、戦場から戻ってきて真っ先に手に入れたリタニア信者の首飾りに。

 三年間、枢機卿の下にいたせいだろうか。薄暗い政治の手法はいつの間にか思考の中に住んでいて、敵対者にダメージを与える方法も思いつく。

 オルファと初めて言葉を交わしたあのときとはかけ離れた自分を自嘲したくなって、オルファの温度にその思考を切り捨てた。今はオルファと共にいる未来を考えるときなのだから。


 エデの視線はまっすぐオルファに。のちの聖女は、決意を口にする。


「私が、リタニアの罪を暴きます」


 断罪の聖女。その始まりは、オルファの隣にいたいという、たったそれだけのささやかな望みだった。

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