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6.また笑顔が見たいから

 オルファとエデの脱走から間を置かず、侵略戦争の火種は広がった。エデは山の向こうから聞こえる砲撃音を聞きながら、この二週間ですっかり癖になってしまったため息をつく。

 コロシアムがある王都から逃げて国境近くにやってきたはいいものの、そのときにはすでにザザの部隊が展開されていて身動きが取れなくなってしまったのだ。それ以来、エデとオルファは住民が避難して空っぽになった村に滞在している。


 エデは火にかけた鍋の様子を見ながら、束ねた髪の先端をくるくるともてあそぶ。考えるのは、山へ食べ物を探しに行ったオルファのこと。


「……わからない」


 吐息を落とす。何がわからないのか、考え始めればキリがない。

 オルファはコロシアムに幽閉されていたのに、どうして開戦時期を言い当てられたのか。どうして自分のことをリタニアから送られた刺客だとすぐに理解したのか。理解していたのに、どうして殺さずに所有物として求めたのか。


 わからない。尋ねてもオルファははぐらかしてくるから、エデの脳みそは暇があればオルファのことを考えていて、時には鈍い頭痛すら感じる。殺し屋になってからの三年間、思考をやめていた代償は大きかった。

 そして、エデが何よりも理解できないのは、自分自身の心だった。


「私は、どうしたいの?」

 

 いずれこの村もザザに飲み込まれる。その前に出発しなければならないが、オルファにもエデにも行き場はない。

 

 リタニアはオルファの殺害依頼を請け負った側だ。その上、枢機卿はオルファを警戒していた。リタニアの影響が強い地域に行くべきではないだろう、とエデは判断していた。

 けれど今の時代に、戦火もリタニアも遠い土地など存在するのか。あるとしても、子供二人でたどり着けるとは思えない。

 

 ──そう、二人で。

 二人でどこかに逃げる。オルファと一緒に動くことを当たり前のように考えていた自分の心がわからない。

 

 オルファの所有物だから。それは理由にならない。コロシアムから脱走した今は、逃げ出せば終わるような契約なのだから。

 オルファを殺さないといけないから。そんな言い訳が使えないことはわかっている。リタニアから離れた今、エデが枢機卿の命令に従う理由はないし、オルファを殺すつもりもない。

 

 どうして。

 どうして私は無意識に、オルファとの未来を考えているんだろう。

 エデが思考にふけっていると、外から軽やかな足音が聞こえてきた。

 

「エデ、芋虫がいっぱいいたの!」

「焼くからそこに置いておいて。あなたは身体を洗ってきてください」


 全身を泥まみれにしたオルファは、カゴいっぱいの芋虫を調理台に置くと、促しに従って外の井戸へ向かう。

 エデは新しい鍋で芋虫を炒めていく。自分から喜んで芋虫を採りにいく令嬢がオルファの他にいるのだろうかと、役体もないことを考えているうちに、すっかり綺麗になったオルファが戻ってきた。

 

「ねえ、エデ。そろそろここを離れた方が良さそうよ」

「もう、ですか。思ったより保ちませんね」

 

 オルファが端的に伝えてきたのは、山向こうの戦況。エデも、いくつもの侵略戦争に勝ってきたザザを相手にしているこの国に勝ち目があるとは思っていないから、驚きはない。問題はこの村を出て、どこに逃げればいいのか、まったく検討がついていない今のことだ。

 

「ええ。だからその芋虫、全部焼いてもいいんじゃないかしら」

「焼いたら全部食べちゃうでしょう。朝ごはんにするんだから我慢してください」

 

 オルファはむうと頬を膨らませるものの、エデは返答の代わりに芋虫の炒め物とスープを皿によそう。この健啖家が望む量を与えようとするなら、二人がかりで山にこもらないといけないのは理解できていた。

 まだそこまで気を抜けない。軍人が――オルファの顔を知る人間がこの村にやってくる可能性は時間が経つごとに高まっていく。そうなれば、オルファはまた血みどろの世界へ逆戻りだ。


 エデもオルファの実力を体感しているのだ。軍人だって歯牙にもかけないことは知っている。それなのに、どうしてだろうか。オルファがまた剣を手にする光景を想像すると、エデの心はざわめきを訴える。


「エデ、どうしたの? 私の顔に何かついてる?」


 きょとんと、オルファが首を傾げた。オルファの気質は貴族令嬢からかけ離れているのに、所作はまさに令嬢そのものなものだから、もちろん口元には汚れ一つついていない。

 けれどエデは誤魔化しがてら、向かいに座るオルファの口元を指で拭った、


 柔らかな唇に触れる。柔らかくて温かな唇はごく普通のもので、だからこそオルファに降りかかった理不尽を思わずにはいられない。オルファに何があったかも知らないのに、エデの思考の片隅にはいつの間にか、オルファを見せ物にした人間たちへの怒りが住み着いていた。


「もしも、戦争がなかったら逃げられるのかしら」

「……私の隣はいや?」

「そんなこと言ってません。ザザもリタニアもいないところに行きたいのは、このままあなたと一緒にいたいからってだけ」


 エデ自身も驚くほどに、望みはすっと口に出た。相変わらず、自分がそんなことを考えている理由はわからないままでも、無意識のうちにオルファとの未来を求めていることは把握している。

 エデが目線を落としているうちに、オルファは食事の手を止めて目を丸くしていた。常にたおやかな微笑みを浮かべているオルファには珍しい表情だった。


「エデ。私ね、あなたに聞きたいことがあるの」

「なんですか?」


 エデは声に応えて顔を上げる。目の前には、オルファの真剣な顔があった。


「戦争が終われば、あなたは笑える?」

「……笑う?」

「コロシアムであなたに会ったときね、本当に驚いたの。あなたの眼がとても(くら)くなっていたから」


 暗い、昏い、澱のような瞳。

 エデにも自覚はある。鏡に映る自分が、神を信じていたころの自分とは別人に見えるときがあるから。


 オルファは真剣な表情と声で、エデを見つめて語りかける。


「私、またあなたの笑顔が見たい。……ええ。外に出てきて、どこにでも行けるようになったんだもの。せっかくだし、あなたが笑えるように頑張ってみるわ」

「――オルファ?」


 オルファが何を決意したのか、エデにはいまいち掴めなかった。

 ただ、なんとなくの予感に突き動かされて、オルファに手を伸ばす。けれどそのときにはもう、オルファは外へ飛び出していた。


「なっ……どこに行くんですか、オルファ!」

「戦場!」


 オルファはそれだけを言い残して、圧倒的な速度で山の中に消えてしまった。エデも身体能力には優れているが、素手で鉄格子を破壊できるような人間ではない。オルファの全力に追いつけるはずもなく、エデが山の頂上に着いたときにはすでに、戦場には混乱が巻き起こっていた。


「なんでっ、あの、バカ……!」


 エデの笑顔を取り戻したい。のちの英雄が戦った理由は、たったそれだけだった。

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