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魔法の存在を識ったのは、丁度十歳を迎えた位の頃だったろうか。

夏休みの暮れに、田舎の祖母の屋敷に訪れた時だった。

まじないの類いを嫌う両親が、麓に買い出しに出掛けている間に、祖母が或"儀式"を私に見せてくれたのだ。

儀式と謂っても、血塗れのおどろおどろしいものや、大掛かりなものではない。

それは大体こんな風な儀式だった――――――。

――――――まず、祖母は納屋から腰ほどの長さの注連縄を取り出して来た。

縄は何かに浸けられていたのか、手に取ると湿っぽく質量を増してずっしりとしていた。

鼻を近づけるとわずかに花の茎のような、青い植物の匂いがした。麻できつく編まれた縄は黒く染められており、祖母の左掌のしたにぶら下がって、夕日をぬらぬらと反射していた。良く酒に浸かった蝮のようであったのを覚えている。

さて、その縄を持った祖母は居間の中をぐるぐると円を描いて歩きはじめたかと思うと、いきおい窓の外へ縄を放り投げたのである。

彼女はそれから、懐から小刀を取り出して、自らの指先を軽く傷つけた。掌の皺を伝って血が流れ滴り、畳を赤く汚していた。祖母は窓の外めがけて指の血を振るった。そして私に振り返って云ったのだ。それは、普段は温厚な祖母から聞いたことのない、ゾッとするように低い声色だった。

「耀子ちゃん。《אֱלהִיםיִשַׁי(エロイム・エッサイム)》と三回お唱え」

その言葉を私は認識したのかどうかいまではわからないが、とにかく言われるがまま、目蓋をきつく結んで、祈るようにその言葉を三回唱えたことは記憶にある。

私が呪文を唱え終わる前か、あるいは後か、二の腕辺りに鋭い痛みが走った。

と同時に眩い閃光が窓の外で光った。それは夕暮れには不釣り合いの、真昼の太陽光のような暖かな光だった。

見ると、外の注連縄はあとかたなく姿を消し、入れ替わって真っ赤な蝶と、真っ黒な蝶が二疋、対となって羽を広げていた。

しばしして、蝶は空に向かって飛び立っていった。鱗粉が尾を引いてキラキラ、星のように夕闇に輝いていた。

「耀子ちゃん――――――」

祖母は血を滴らせた指を舐めながらあっけに取られる私に向かって手を差し出して云った。

――――――その言葉を聞かなければ、或いはこの後の悪夢のような運命を知っていたのなら、そんな契約を交わさずに済んだかもしれなかった。

しかし、祖母の話す"魔法"が孤独で惨めな自分に唯一残された才能、生き残る道だと幼い私には思われたのだ。

「貴女は魔法遣いなの。私と一緒に、魔法で世界を助けてみない?」

その瞬間の七十歳はゆうに越えている祖母の瞳の、十代の少女のような無邪気な輝きは今でも鮮明に思い出せる。

そして私は彼女の、――――――「人類最後の魔女」と呼ばれる祖母の手を引いたのだった。




放課後、いつものように寝たふりをして机に突っ伏したまま、クラスメートを見送った後、独り、校舎の屋上へと向かった。ペントハウスの梯子を伝って登ると、街を一望できた。僕はこの場所が好きだった。誰もいない場所、誰からも見られぬ場所、誰にも悟られぬ場所、僕の唯一の居場所、隠れ家だった。

夕陽がきつく照っていた。

コンクリートの床も壁も、アルミの雨樋も、貯水槽も、なべて平等に、夕映えのオレンヂに染められていた。

階下のグラウンドでは、陸上部やらサッカー部やらの部員と思わしき点達が、しきりに野太い声を挙げて動いていた。荒い息づかいまでも伝わってきた。


ほんの少し前まで、僕もあの中に居た。今こうして見ると、随分狭い世界に囚われていたのだなと思う。


僕は昨年の夏、部員同士のトラブルに巻き込まれる形で、退部を余儀なくされたのだった。

何てことはない、思春期特有の行き違いが生んだいざこざである。実に少年期らしい、たわいもないことである。しかし、当時の僕にはその下らなさが理解できなかった。あたかも世界そのものから否定され、居場所を無くしたようにも思っていた。それでこの屋上に流れ着いたワケであるが、してみればこの場所は孤独を受け入れきれなかった僕が、階下に感じる人々の縁にすがった末に選んだ場所なのかもしれなかった。

・・・・・・もっとも、今ではそんな理由も無く、ただ単純に居心地が良くなってしまっただけなのだが。


しばらく、物思いに耽っていると、屋上の扉が開く音がした。

先生だろう。一度、注意されたことがある僕は、恐る恐る身体を伏せて、階下を覗いて確かめてみた。

かくして思い詰めた様子の女学生が居た。

胸のリボンの色から、恐らく三年生だろう。

彼女は覚束ない足取りで屋上の端まで歩いて行った。端にたどり着いた彼女は、暫し逡巡した後、細く青白い両手で欄干を掴み、柵の向こう側に乗り越えた。


「・・・・・・自殺か」


仕様がない。と声をかけようとしたその時、


「――――――全治五ヶ月」


丁度ペントハウスの真下に置かれたベンチから少女の声が聞こえた。

いつの間にそこに居たのだろうか、声の主は立ち上がって女学生に近づいて行った。

女学生は絶望の滲む表情を浮かべて振り向いた。目元は涙に赤く擦れ、頬は痩せて血の気が失せている。

少女は気にする様子もなく続けた。


「全治五ヶ月。君がそこから落ちた先に待つ未來だ。・・・・・・うん、実に悲惨だね」


恐ろしくも可憐な響きの声だった。しかし、情の欠片もない酷薄な口調である。

少女はニタリと笑ってなおも続けた。


「然し、自死とは何と詰まらない。君を観察していた私としては、彼らに復讐の一つでも計画すると思っていたよ」


・・・・・・何と悪趣味なのだろう。これから死のうという人間に追い討ちをかけるような事を云うとは、人の心がないのだろうか。


「・・・・・・貴女は、私を止めないのですか」


女学生が云った。


「いいや・・・・・・?」


少女は不思議そうに小首を傾げて云った。


「なら、私に死ね、と?」

「何もそうは云わんよ。私もそこまで人は捨てていないつもりなんだ。もし君が、今からでも――――――」


そこまで云って、少女は彼女にくるっと背を向けて歩き出した。思わず少女と眼があった。真っ白な肢体を包む改造制服、身に纏う全てが学校指定の色と丁度反対の真っ黒なセーラー服、西洋人形のような顔立ちに、猫のように開かれた瞳、薄紅の唇には、嘲るような微笑が浮かんでいた。彼女の眼の妖しい光に、僕をその場に釘付けになった。

芝居がかったような口調で彼女は告げた。


「――――――君が復讐したいと願うなら、私は喜んで手を貸そう」

「手伝う?・・・どうやって?貴女みたいな小さな子に何ができるというのよ!?」


無理もない。僕はあの女学生に同情した。

しかし彼女は飄々と悪びれる様子もなく続けた、「私はね。魔法遣いなんだ」

何を云い出すかと思えば、魔法遣いときた。

頭のおかしい娘だと思った。真面目に取り合っていたこちらが馬鹿に思えてきた。僕は居眠りをしようと、元の位置に戻った。


あの女学生には気の毒だが、さりとてあの娘も飛び降りを止めようとしたのも事実だ。

魔法使いというのも方便で、彼女の気を引いて何とか自殺を回避しようとしているに違いない。

もし再び飛び降りようとしたのなら、今度は全力で止めようとするに違いない。

心根こそ優しいが、機転の効かせられぬ娘なのだろう。

そこまで考えて、しかし背中に寒気が走った。であれば、あの酷薄な笑みに説明がつかない。どちらかと謂えば、この状況を楽しんでいるような様子だったではないか。

僕は再び身を乗り出して階下の様子を伺った。


「・・・・・・ああそうなの。そうやって、私を馬鹿にするのね。・・・・・・皆、皆、皆、消えて無くなればいいんだ・・・・・・」

「消えることはない」


無遠慮に、少女は女学生に現実を叩きつけた。


「君の認識が世界を捉え続ける限り、君を害する全ては存在を続けるのさ。厭だと云うのなら、そう、君のように死ぬしかない。まあ、尤も――――――」


彼女は諭すように続けた。


「―――――――この高さから落ちたとて、君の世界は消えやしない。君は全治五ヶ月の重傷で病院に担ぎ込まれる。医師の懸命な治療の介あって、君のひしゃげた脚はもとの綺麗な脚に戻る。が、一生車椅子の上で過ごすこととなる。そして自室の窓から見える、自らを虐げた者達が幸せに暮らす様を、延いては健常な人々の日常を生涯呪って暮らすことになるのさ。・・・・・・私にはわかる。どうしてだと思う?」


彼女の瞳が夕日を反射して妖しく輝いた。

美しく冷酷な顔はなおも微笑を浮かべていた

た。


「君みたいな人間の結末は厭と言う程観てきたからさ」


カラスの羽ばたきが聴こえた。

気がつけば、下校時刻になっていた。

グラウンドからは人気が失せて、辺りは夜に近づき、刻々と薄暗くなっていた。


「もし、貴女が本当に魔法遣いだと云うのなら証拠をみせなさいよ・・・・・・!?」


彼女の言を待たずして、夥しい量の蝶がどこからか突如現れ、少女の廻りを囲んで飛びはじめた。


赤と黒の美しくも毒々しい色合いの蝶が、彼女の指の動きに合わせて、羽音もなくひらひらと空を舞っていた。

蝶の群れの中から、少女は女学生に手を差し出した。


絶望にうちひしがれた様子の学生は、彼女の手を取り地上に帰った。


「《θνητός(トゥネートイ)》・・・・・・ああ、このやりとりも、いい加減厭きたよ。さぁ、私は誰に、どのように報復すれば良いのかね」


僕は彼女の"魔法"を前にして、いつかの記憶の断片を思い出した。それは不愉快な感覚だった。忘れていたものを、無理やり呼び起こされた感覚、瘡蓋を無理やり引き剥がす感覚のようで、頭がひどく傷んだ。


「――――――なるほど。君も随分悪趣味だね。・・・・・・おい、そこのお前!」


少女はこちらに向かって叫んだ。

僕のことだろうか。痛む頭を抑えながら彼女の姿を見た。「そこで呆けている貴様の事だたわけ」少女は僕を指して云った。


「盗み見していたのだ。お前にはその罪を購う必要があるだろう。よもや、見捨てるわけでもあるまい」

「・・・・・・俺は無関係だよ。俺としても、そこから人が飛び降りるのも珍しいことじゃない。俺には彼女を止める善意こそあれ、彼女を助ける義理はないね」

「ほほう―――」


少女は僕の真下まで来て悪戯っぽく言った。


「しかし君には私の秘密を識られて了った。この上はどうしてくれようか」

「脅迫のつもりか?」

「いかにも」


彼女は胸の前で腕を組み、ふんぞり返って得意そうに私を見上げている。

彼女に引く様子はない。


「・・・・・・わかった。しかし、どう協力しろと言うんだ。俺には彼女を助けられるような力はないぞ」

「おや」


少女は驚いたように声を挙げた。


「君ぐらいの年齢の男子にしては、分相応を弁えているね。・・・・・・いやなに、こちらとしても変な正義感を掲げられても不愉快だったので助かるよ」

「その見透かしたような口調は止せ。土台、君と俺じゃ歳もそんなに変わらないじゃないか」

「ああ、しかし場数が違う。君と私を隔てているものは経験の差だ。歳は馬鹿でも取れるが、経験を蓄積できるのは賢者だけの特権なのさ」

「あのう」


学生はおずおずといった様子で、僕と彼女のやりとりに割って入ってきた。


「私はこれからどうしたら・・・?」


ああ忘れていたよ。彼女は言った。


「君の髪か血を私にくれたまえ。多ければ多いほど良い。それで万事解決だ」ただし経血は勘弁願いたいね。穢れが頂けないのさ。

あっけらかんと彼女は云った。


「それだけ・・・?」

「何かね、もっとと云うのなら、この場で眼球をくりぬいて私に渡してくれれば良い」


スプーンで目を抉る仕草で、彼女はおどけて見せた。学生の顔はひきつったまま動かなくなった。悪趣味の上、モラルのない奴だと思った。

しばしして、彼女はハサミで髪を一房切って、彼女に手渡すと、逃げるように屋上を去って行った。

あとには、黒いセーラー服の自称魔法使いの少女と、僕だけが残された。


「――――――さて」


黒衣の少女は柏手を打って、僕に尋ねた。


「君は誰から魔法を教わったんだい?」


僕の頭痛は、それを皮切りに否応なく強さを増していった。

馬鹿げた話には違いないのに、なぜだか魔法という単語に引き付けられ始めている自分が居た。


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