美味しいのは最初だけ
先日の一件が嘘だったように、宮崎さんは今日も頼まれた仕事をこなし、皆の相談を受け、部活動に精を出していた。
「大丈夫なのかな」
思わず呟いた僕に、対面の席にいる七海が面倒くさそうに顔を上げる。
授業終わり、僕たちは駅前のカフェへと足を運んで七海が前に言っていた“遺書”の制作に勤しんでいた。
とはいえ、僕の仕事は彼女の書いた遺書の誤字脱字のチェックくらいだ。
正直暇を持て余していると言っていいが、暇になったらなったでどうしても先日の一件について考えてしまう。
「心配してんのか?」
「そりゃあもちろん」
「今日の様子見ただろ。病院に担がれてから一週間は経ったが、ちゃんと元気じゃねえか」
「そうだけど、でも違うんだよ」
確かに宮崎さんはいつも通り元気だった。
クラスの中心で明るい笑顔を振りまいていた。
しかし、それが余計に僕を不安にさせていた。
あんな場面に遭遇してしまったせいだろう。
最近の宮崎さんの笑顔は、どこか無理をしているように見えてしまう。
「そんなに気になるなら聞いてみりゃ良いだろ。まあ、お前みたいな不審者からそんなこと言われたら、すぐに警察に駆け込むだろうけど」
「誰が不審者だ。って、そうじゃなくて……」
「私たちが気にしても仕方ねえよ。どうせあの手の人間は、誰かから心配されたところで大丈夫としか言わねえんだから」
確かに七海の言う通りだ。
宮崎さんはずっと、一人でたくさんの仕事を請け負っていた。
そして、それを手伝うよとこちらが手を上げたところで、「大丈夫だよ」と笑顔で答えるだけだった。
実際、誰かが手伝うよりも宮崎さんが一人で仕事をした方がミスも少なく効率が良かった。
だから僕たちは、何かあるたびに宮崎さんに面倒ごとを任せていた。
「そもそも、何でお前はそんなにアイツを気にするんだよ。いくら部活が一緒だからって、ちょっと意識し過ぎだと思うぞ」
「そうかな……」
「あ、もしかしてお前、あいつのことが好きなのか?」
「え、いや、いやいや!そう言うんじゃなくて、これは何と言うか」
「なんだその反応、気持ち悪っ」
確かに可愛いとは思う。
しかし、これが恋愛感情かと聞かれれば、素直にうなずくことは難しい。
気にかけるなんて言い方をすればおこがましい気もするが、あえてその理由を上げるとすれば……
「あの子だけは、今まで通りだったからかな」
「どういうことだ?」
「大した話じゃないんだ。ほら、僕って足を怪我して部活に参加できてないだろ。そんな僕を見て、ほとんどの連中は態度が変わっていったんだ。でも、そんな中でも宮崎さんだけは依然と変わらず声をかけてくれた。それが、僕にとってすごく嬉しかったんだ」
他の人がどう思おうと、僕にとって変わらずにいてくれた優しさがとてもありがたかった。
とはいえ、言葉にすればあまり大したことではないように思えて、もしかしたら拍子抜けされたかもしれない。
そう思っていたが、七海は僕の話を聞き終えると、小さく頷き、口元を微かに吊り上げて言った。
「そうか、それなら仕方ねえな」
馬鹿にされるかと思っていたが、七海はそれ以上のことは言わなかった。
代わりに、この話はここで終わりだと言わんばかりに机の上に置かれた便箋に視線を向けて、
「それはともかく、遺書って書いてみるとメチャクチャ難しいな」
その言葉と共に、二十五回目の下書きが丸められゴミ箱に放り込まれ、僕たちは席を立つことになった。
時刻は既に夜の七時を過ぎていたので、僕たちはいつもの様に家に帰ろうと駅へと向かった。
しかしその途中、駅前の広場にあるベンチで僕は見つけてしまった。
暗がりの中でもそれが分かったのは、今まで話題にしていたからだろう。
「宮崎さん?」
呼びかけると、彼女は大袈裟に肩を震わせてこちらを振り向いた。
「進藤君と、七海さん?」
「急に声をかけてごめん。元気がないように見えたから……」
「……ちょっと考え事をしてただけなの。心配してくれてありがとう」
そう言って宮崎さんは笑顔を浮かべようとするが、その笑顔にはぬぐい切れない違和感がある。
それを誤魔化す様に、宮崎さんは僕の少し後ろにいた七海を見て、クスクスと肩を揺らして微笑んで、
「やっぱり、二人は仲良しなんだね」
「誰が仲良しだぶっ飛ばすぞ」
宮崎さんの言葉に、七海が眉に皺を寄せて拳を振り上げる。
どうやら以前に「デート」と言って宮崎さんをからかったのを忘れているらしい。
慌てて間に入れば、そんな僕たちのやり取りを見て宮崎さんはさらに笑みを深くする。
「最近よく会うね。二人はこんな時間まで何してたの?」
「お勉強に決まってんだろ。コイツはともかく、私はどこからどう見ても真面目美少女だからな」
堂々と嘘をつき、頑なに自分を美少女だと言い張る。
呆れる僕を横目に、七海は悪びれる様子もなく話を続ける。
「そっちはどうしたんだよ。今日も熱心にマネージャー業か?」
「それと、学級委員のお仕事と、図書委員のお手伝いを少し。流石に今日は疲れちゃった……」
弱気に呟く宮崎さんを見て、七海は考え込むように口元に指先を当てた。
何故か嫌な予感がしたが、僕が何かを言うより早く、七海は宮崎さんの腕を掴んで言った。
「なあ、この後時間あるか?」
「え、うん。少しなら」
戸惑いながら答えた宮崎さんに、七海の口元がニヤリと歪めて言った。
「それなら丁度いい。今から三人で飯食いに行こうぜ」
「……え?」
「私が奢ってやるから金は気にすんな。というわけで行くぞ」
そう言って、七海は僕たちの返事も聞かず、強引に宮崎さんの腕を引いて歩き出した。
七海に連れられてやってきた場所は、誰もが知っている有名チェーンの牛丼屋だった。
店に入ると、七海は席に着くと同時に僕たちに何も聞かず三人分の注文を済ませた。
「ギガ盛三つ」
「ギガ盛?なにそれ?メニュー表にそんなの書いてないけど」
「店舗限定の裏メニューだ。本当はオメガ盛にしたかったけど、今日はあんまりカロリー消費してないから腹八分で我慢しとく」
腹八分の言葉を、彼女は正しく理解しているのだろうか。
スマホで七海の言うギガ盛とやらを調べてみれば、明らかに一食分ではない牛丼の画像が出て来た。
「二人ともサッカー部だから大食らいだろ?足りなかったら追加で注文して良いからな」
「大食らいって言っても限度があるよ。ていうか、僕はともかく君は食べられるのか?」
「食えねえものを頼むほど馬鹿じゃねえよ。ま、どこかの誰かさんは辛いのが無理で運ばれてきた料理も食えなかったみたいだけど」
「あれは食べれた方がおかしいんだよ。それはそうと宮崎さん、本当に来てよかったの?もう時間も遅いけど」
「大丈夫だよ。私の家、両親の帰りが遅いから。心配してくれてありがとう進藤君」
穏やかな笑みと優しい言葉が胸に染みわたる。
見たか、これが彼女にしたい女の子ランキングの第一位だ、ちゃんと目に焼き付けておけ最下位。
などと考えていると、宮崎さんは「そう言えば」と並んで座る僕たちを一瞥して、
「駅で倒れた私を助けてくれたのって、進藤君と七海さんだよね。ずっとお礼を言おうと思ってたんだ」
「別に、お礼を言われるようなことじゃないよ」
「そんなことないよ。おかげで私は今もこうして生きていられるんだから。本当にありがとう」
確かに、あの時僕が助けに入らなければ最悪の事態を招いていたかもしれない。
しかし、同時にふと頭をよぎることがある。
もしかして、僕がしたことは
「余計な真似だったんじゃないか?」
まるで僕の考えを読んだように、七海が言葉を継いだ。
驚いて顔を向けると、いつになく楽しそうに笑う彼女の横顔が見えた。
「余計な真似って、どういうこと?」
「いや、何となくそう思っただけだ、気にすんな。それより、お前はどうだったんだよ」
「え、僕?何が?」
「決まってんだろ。人命救助に理由に、女子に抱き着いた感想だよ」
邪気たっぷりの言葉に、僕と宮崎さんの時が止まる。
頼むから、もう少し言い方ってものを考えて欲しい。
「委員長って服の上からだと分かりにくいけど意外と胸あるだろ?抱き心地良さそうだよな」
「セクハラは止めろ!あの、違うからね宮崎さん。僕はやましい感情なんてこれっぽっちもないから」
慌てて容疑を否認すれば、宮崎さんは「分かってるよ」と真っ赤な顔のまま何度もうなずく。
本当にわかってくれているのだろうか、どう考えても誤解が積み重なっている気がするのは僕だけだろうか。
などと考えていると、幸か不幸か、七海が勝手に注文したギガ盛とやらが僕たちの前に運ばれてきた。
そのボリュームは写真で確認した時よりも大きく見えて、僕たちはそれまでの会話を忘れてその迫力に圧倒された。
これ、本当に食べられるのだろうか。
不安を抱いている僕をよそに、七海は軽々と器を持ち上げ中身を口の中へとかきこんでいく。
「どうしたんだ二人とも、食わねえのか?」
「いや、食べるよ。食べるけど……」
僕は頑張ればギリギリいけるとして、宮崎さんは大丈夫だろうか。
そう思い視線を向けると同時に、宮崎さんは真っ赤な顔のままお箸に手を伸ばし、目の前の牛丼を七海に負けない勢いで口の中へ運び出した。
「宮崎さん?」
声をかけてみるが、どうやら僕の声は彼女の耳に届いていないらしい。
一心不乱に、何かを忘れるように米と肉を口に運んでいく。
「見ろよ進藤、美少女様のやけ食いシーンだ。真面目でおしとやかが売りな委員長が、いきなりどうしたんだろうな?」
「どう考えても君のセクハラのせいだろ」
「照れてないよ!」
何も聞いてないのに、自らそんなことを言い出し食べるスピードを上げていく。
「明日宮崎さんが腹を壊して学校を休んだら、君のせいだからな」
「半分はお前に抱き着かれたことが原因だよ。一緒にクラスの皆から恨まれようぜ」
「照れてないよ!そして、ごちそうさま!」
「え?」
時間にして、僅か五分足らず。
山の様に盛られていた牛丼は、いつの間にか跡形もなく消え去っていた。
「た、食べれたの?」
「平気だよ。私、食べるの好きだから」
「そ、そうなんだ」
小柄な体のどこに、あの山の様な牛丼を収納するスペースがあったのだろうか。
空になった器を見つめていると、何故か宮崎さんはクスクスと肩を揺らして笑い出した。
「どうしたの?」
「だって、進藤君がそんなにビックリすると思わなかったから。でも、そうだよね。学校だとこんなにたくさん食べる機会ってあんまりないし、それに……」
「それに?」
「……いや、お腹いっぱい食べられて幸せだな~って思っただけ」
そう言って、宮崎さんは思い切り伸びをして、飼い主に甘えるネコの様にテーブルに突っ伏した。
これまた珍しくて可愛らしい姿に思わず見つめていると、不意に顔を上げた宮崎さんが僕の顔を見つめて言った。
「進藤君って優しいよね」
「な、なんのこと?」
「進藤君だけだったから。私たちマネージャーのお仕事を手伝おうかって言ってくれるの」
「それは、偶然だよ。他の連中だって気が付けば声をかけてくれるよ」
「でも、私は嬉しかったよ」
まっすぐな言葉に頬が熱くなる。
嬉しさと照れくささが混じり合い、それを誤魔化す様に視線を逸らすが、宮崎さんは優しい笑顔のまま言葉を続ける。
「今日は二人と会えてよかった。おかげで少し楽になったよ」
「……そう言えば、考え事してたって言ってたね」
「うん。でも、もう大丈夫だから」
ハッキリとそう言われては、これ以上追及することは出来ない。
少し心配だが、今は彼女の笑顔を信じよう。
そう思いながら、テーブルに置いてある水の入ったグラスに手を伸ばしたその時だった。
「キメ顔しているところ申し訳ないけどさ、後はお前だけだぞ」
「……ん?」
七海の呆れた声に、ふと我に返る。
隣に顔を向けると、七海の前にあった牛丼も、いつの間にか跡形もなく姿を消していた。
「いつの間に……」
「いや、なんか急に興味ない話が始まって、二人だけの世界に入ったから、食うなら今かな~って思って」
「人の話を堂々と興味ないって言うな。僕の良いところが感じられそうな話だったろ」
「お前が善人だろうが悪人だろうが知らねえよ。今の私には、目の前の女子の胸を盗み見ながら鼻の下伸ばして飯食ってるエロガキにしか見えねえから」
「なっ」
「食い終わったら教えてくれ。私、ちょっと外で一服……じゃなくて、夜風にあたって涼んでくるわ」
不穏な何かを言いかけ、七海は慌てて店の外へと出て行った。
残された僕たちの間には、奴の残していった気まずい空気が渦巻きだす。
「……あの、宮崎さん?」
「……大丈夫、照れてないよ」
あ、ダメだ聞いてない。
真っ赤な顔のまま、宮崎さんはカバンを持ち上げ、それに隠れるように顔を伏せてしまった。
積みあがっていく誤解に、軽く眩暈を覚える。
先日のデート云々の件も合わせて、どうやって誤解を解いていけばいいんだろう。
考えてみるが、良いアイデアなんてものは出てこない。
今の僕に出来ることと言えば、この気まずい空気から逃げ出すために山盛りの牛丼を胃の中に詰め込むことだけだった。
牛丼を食べ終えると、ちょうどそのタイミングを見計らったように七海が僕たちの席へと戻ってきて、それをキッカケに僕たちは三人だけの食事会を終えることになった。
「また誘ってね」
そう言い残して、宮崎さんは僕たちとは反対側へと続く階段を昇って行った。
それを見送ると、僕はずっと気になっていた疑問を七海に投げかけた。
「なんで宮崎さんを誘ったの?」
「何でって、腹が減ってたからだよ」
「本当に?」
「他意はねえよ。でも良かったろ、お前もアイツと話が出来たんだから」
確かにそうかもしれない。
ほんの少しだけだが、彼女から「大丈夫」の言葉を聞けて安心している自分がいる。
しかし、そんな僕とは対照的に、七海はずっと何かが腑に落ちていないような顔をしている。
「何か気になることがあるの?」
尋ねた僕に、七海は小さくうなずいて、
「やっぱり、ギガ盛程度じゃ足りなかったなって……」
「……」
深刻そうな顔して、何言ってんだコイツ。
呆れる僕のため息は、静かな夜空に溶けていく。
僕が七海の表情の本当の意味を知るのは、この日から少し経った日のことだった。