白線の内側までお下がりください
宮崎さんの気まずい現場を目撃してから数日が経った。
聞いた話によると、最近の宮崎さんはこれまでの完璧ぶりが嘘だったかのように失敗を繰り返しているらしい。
例えば、委員会で必要なプリントを用意していなかったり、クラスメイトから頼まれていた何かを忘れていたり、部活で使う備品の申請を忘れてしまったり。
不備を指摘されるそのたびに、宮崎さんは申し訳なさそうに頭を下げていた。
「迷惑かけてごめんなさい」
朝練の後片付けをしている途中、宮崎さんは僕にもそんなことを言い出した。
驚いて顔を向けた僕に、宮崎さんはまた「ごめんなさい」言ってと頭を下げる。
「そんな、迷惑なんて誰も思ってないよ。ていうか、宮崎さんこそ大丈夫?疲れてるんじゃない?」
「気が抜けてるだけだよ。ダメだな~、もっと頑張らないと」
そう言って浮かべる笑顔には、明らかに疲労の色が滲んでいる。
この前もそうだが、最近の宮崎さんは毎日遅くまで学校に残って仕事をしているそうだ。
それだけ皆が宮崎さんに信頼と期待を寄せているのだろうが、だからと言って流石に働かせ過ぎている気がする。
どうしたものかと悩むが、結局僕が何かを手伝うと言ったところで、彼女は「大丈夫だから」と笑って見せるだけだった。
「怪我してるのに手伝わせてごめんね」
「だから、謝らなくて大丈夫だよ。これは僕のリハビリも兼ねてるんだから」
なんて上辺だけの理由付けをしたところで、宮崎さんには僕の魂胆なんて見え見えだろう。
申し訳なさそうにする彼女を見るのは、こちらとしても胸が苦しかった。
「なるほどな。それでお前は、委員長を元気づけようと“女子を喜ばせるプレゼント特集”なんてものを読んでるわけだ」
放課後の図書室に、七海の呆れた声が響く。
「教室の奴らは何て言ってるんだ?」
「特になにも言ってないよ。宮崎さんは教室ではいつも通りだから」
「いつも通りヘラヘラ笑ってると」
「ニコニコ微笑んでいるんだよ」
そう、いつも通り人の良い笑顔を浮かべて、皆のために仕事をこなしている。
確か今日も、委員会の会議で使うプリントの作成を手伝っているはずだ。
最近の様子を考慮して他の人に頼むべきだと思うが、彼女にはこれまで積み上げて来た実績と信頼があるので、最近続いているミス程度は彼女の活動に影響しないらしい。
「まあ何でも良いけど、プレゼントなんてしたところでアイツは絶対に喜ばないと思うし、逆にそんなことをさせたのが申し訳なくて余計に気を落とすんじゃねえか?」
「……」
黙り込んでしまうのは、何となく僕もそんな気がしていたからだ。
七海の言った通り、僕が何かプレゼントをしたところで彼女が喜んでくれる姿なんて想像できない。
それどころか、彼女の性格から考えて何かお返しをしなければと頭を悩ませてしまうのが容易に想像できてしまう。
「ていうか、そもそも元気になってほしいからプレゼントって、お前はアイツの彼氏のつもりかよ気色悪い」
「……やっぱりそう思う?」
「超思う。なんなら、人の弱みに付け込んでワンチャンス狙ってやがるなって思う」
「そう言うつもりはないんだけど……」
「放っておけよ。そもそも、向こうが助けを求めてないのに手出ししようってのは、ただの自己満足だぞ」
見た目は校内で一番ふざけているくせに、随分まともなことを言いやがる。
あれこれ考えてみたものの、結局は七海の言うことが正しいという結論に落ち着き、僕たちは図書館の閉館時間と共に学校を出ることにした。
「遅くまで付き合わせてごめん」
「気にすんな。私も色々と調べ物が出来た」
そう言えば七海は僕の話を聞きながら京都の観光名所の本を読んでいた。
最初は旅行でもするのかと思っていたが、どうやらそうではなかったらしい。
「清水寺の舞台からマジで飛び降りたら面白そうだと思ったんだけどな」
「普通に怖いよ。ただの投身自殺だろ」
「面白く死ぬって案外難しいな」
なんて物騒な話をしながら、並んで駅の改札を抜けた時だった。
不意に、隣を歩いていた七海が何かを見つけて足を止めた。
「どうした?」
足を止めて振り向くと、七海は怪訝な表情をしてホームの奥を指さした。
見てみると、そこには真っ暗なホームに一人で佇む宮崎さんの姿があった。
「あれ、宮崎さんだ。どうしてこんな時間に」
「さあな。部活でなんかあったんじゃねえか?」
だとしても、監督がこんな時間に女の子を一人で帰らせるとは思えない。
仮に遅くなってしまった時は、先日の河野の様に誰か見送りをつけるはずだ。
しかし、今日に限ってそれらしい人影は見えない。
流石におかしい。
ひょっとしたら、この前みたいに何かトラブルがあって落ち込んでいるのかもしれない。
考えていると、不意に駅の構内に取り付けられたスピーカーから電車がホームにやって来ると言うアナウンスが流れた。
そして、そのアナウンスを聞いた瞬間だった。
「おい!!」
七海の叫びに、電車のブレーキ音が重なる。
気が付けば僕は、宮崎さんを抱えてホームに横たわっていた。
ほとんど反射的な行動だった。
ゆっくりと体を起こすと、少し遅れて七海がこちらに駆け寄ってきた。
「大丈夫か!?」
「僕は何とか……」
とは言うものの、心臓が破裂寸前まで高鳴って息が苦しい。
何とか乱れた息を整えると、七海は僕の腕の中で意識を失っている宮崎さんを見つめて、
「誰か呼んでくるから、お前はこいつを見ててくれ」
「そう、だね。分かった」
駅の近くに病院があったのか、七海の連絡から十分もたたないうちに救急車がやってきて、宮崎さんはすぐさま病院へと運ばれていった。
「なあ。さっきのって……」
「……貧血で足がふらついたんだよ」
ぶっきらぼうに言う彼女の表情は、今までに見たことないくらい険しかった。
多分、脳裏によぎった考えは同じだったのだろう。
宮崎さんの乗った救急車を見送ると、僕たちは重苦しい空気のまま電車に乗り込み、いつもの交差点で別れた。
そして次の日。
あんなことがあったにも関わらず、宮崎さんは何事もなかったように学校へとやってきた。
それを見た七海の表情は、苦々しいという言葉がピッタリだった。




