コラって怒る時より恫喝の時の方が聞いたことある
最悪の誤解を受けてからも、僕と七海の妙な関係は続いていた。
彼女は死にに行くこと以外の連絡を寄こすことは無いが、教室では席が隣同士と言うこともあり、顔を合わせればそれなりに話をする。
「遺書とか書いてみてえ」
「急にどうしたの」
「昨日読んだ小説でメチャクチャ感動したんだよ。意味不明なタイトルなくせして、最後まで読んでみたら……」
そこで言葉を止めると、彼女はその時の感情を思い出したのか、大きく息を吐いて机に突っ伏した。
「あれは反則だろ。タイトルの意味に涙するって、そりゃあ泣くだろ」
「え、君って物語に感動とかするの?」
「お前、私のことなんだと思ってんだ」
クラスメイトを卑劣な罠に嵌める悪魔……なんて口にはしないが、しかしこれは意外な一面を知ってしまった。
「どっちかと言えばバトル系の漫画が好きかと思ってた」
「漫画も好きだけど、漫画って絵面を自由に想像できないから、読んだ数は小説の方が数は多いな」
「想像?」
「漫画は絵が決まってるから、そいつの顔や表情が気に入らなくても受け入れないといけない。でも、小説は文字だけだから、そのシーンで一番ふさわしい表情とかキャラクターの姿を自分の中で想像して楽しめる」
なるほど、何となく彼女らしい意見だと思った。
あまり小説を読まないが、そう言う楽しみ方もあると知ったら何かを読んでみたいという衝動が湧き上がってくる。
今日の帰りに本屋にでも寄ろうか、などと思っていると、唐突に七海は声を落として僕に言った。
「それよりさ、お前ってなんか悪いことしたのか?さっきからすげえ見られてるぞ」
そう言って、彼女は目だけを動かして僕たちを遠巻きから観察していたクラスメイト達を一瞥した。
怯えと好奇心の混ざった彼らの表情に、僕はすぐさま事態を把握した。
「僕じゃない、君を見てるんだよ」
「え、何で?」
「なんでって、君が朝から教室にいるのが珍しいからだよ」
「なるほど、目も眩むような美少女がいることに驚いていると」
「……美少女?」
首をかしげた瞬間、彼女の手のひらが僕の額を撃ち抜いた。
痛みに額を押さえると、彼女はケラケラと満足そうに笑い声をあげて、クラス中から向けられる視線をものともせず教室から出て行ってしまった。
それと同時に教室の中はいつもの騒がしさを取り戻し、教室から出て行った彼女と入れ替わるように河野が僕の前の席に腰を下ろした。
「何を喋ってたんだ?」
「何って、ただの世間話だよ」
「へ~、世間話ねぇ。あの子って普通に話とかするんだ」
不思議そうに首をかしげる河野。
派手な見た目のせいで色々と誤解を受けているらしい。
実際、僕も話をするまでは彼女が笑う姿なんて想像できなかったし、泣いている姿なんてもっと想像できなかった。
「イジメられてるわけじゃねえんだよな」
「う~ん、一応?」
罠には嵌められてるし、色んな意味で殺されそうになってるけど。
そんな意味も込めて曖昧に笑みを返せば、河野はふと表情を緩めて、
「まあ、なんにしても良かったよ。お前が楽しそうで」
「楽しそう?」
いきなり何を言ってるんだこの男、さっき額を抉られたのを見てなかったのか?
怪訝な顔をしているであろう僕に、河野は穏やかな笑顔のまま僕の肩を叩いて、「面白いことがあったら教えろよ」と言い残し自分の席へと戻って行った。
面白いことと言われても、一緒にいる理由が理由なので、そんな未来がやって来ることがイマイチ想像できない。
だけど、もしも僕と彼女の関係に何か変があった時は……。
「……やめよう」
ゆっくりと首を振り、机に突っ伏す。
脳裏をよぎった光景は、思ったより早くやってくるかもしれない。
その時、僕はどうするのだろうか。
この呼び方すら分からない関係が終わるとき、僕は何を感じるのだろう。
考えると、少しだけ息が苦しくなった。
<明日 十一時 校門前>
七海から何かの検索ワードの様なメッセージが送られてきたのは、中間テストの日が近づいてきた金曜日の夜のことだった。
恐らくだが、明日の午前十一時に校門前に来いと言っているのだろう。
相変わらずこっちの都合を考えない彼女だが、それに早くも慣れている自分がいるのもまた事実なわけで。
結局、僕はやろうとしていたテスト勉強を放り投げて、彼女のメッセージ通り午前十一時に校門前で彼女の到着を待つことにした。
待ち合わせ場所にやって来た彼女は、休日にもかかわらず学校の制服に身を包んでいた。
「おい、三十分も遅刻だぞ」
「何のことだ?私は十一時って言っただけで、十一時に集合とは言ってねえ」
「屁理屈こねやがって……。まあいいや、それより、今日はどこに行くんだ?」
「よくぞ聞いてくれた。今日は……」
そこまで言うと、七海は何かを見つけ言葉を止めた。
釣られるようにその視線の先を追えば、そこには学校指定のジャージに身を包み、先生たちに頭を下げている女の子の姿があった。
何となく見つめていると、やがて先生たちは彼女の元から離れていき、残された女の子は先生たちの姿が見えなくなると同時にその場にしゃがみ込んでしまった。
何と言うか、気まずい場面に遭遇してしまった。
とはいえ、別にそれを見たからと言って僕が何かできるわけもない。
精々、胸の内で間が悪いときに居てしまってごめんねと謝ることくらいだ。
もしかしたら、多くの人も同じ様に思い、そのまま見て見ぬフリをするかもしれない。
しかし、
「あ、ちょっと」
「無視したら寝覚めが悪いだろ」
呼び止める僕の声を振り払い、七海はしゃがみ込んだ女の子に声をかけた。
「おい、何してんだよ委員長」
「……っ!」
七海の声に、女の子は驚きながら顔を上げ、僕もまたその子の顔を見て驚きの声を漏らしてしまう。
「宮崎さん?」
思わず口にすれば、宮崎さんは慌てた様子でその場に立ち上がった。
「七海さんと進藤君?こんなところで何してるの?」
「そりゃあこっちのセリフだっつうの。貧血か?それとも腹でも壊してんのか?野グソがしてえならチリ紙か新聞紙持ってきてやるけど」
「おい、宮崎さんに変なことを言うな」
慌てて口をふさぐが、そんな僕たちのやり取りを見て宮崎さんはクスクスと肩を揺らして微笑んだ。
「心配してくれてありがとう。先生に注意されちゃって、ちょっと落ち込んでただけなの」
「注意?」
「マネージャーのお仕事で不手際があって、それを先生が気付いてくれたの」
相当厳しいことを言われたのか、笑顔にいつもの元気がない。
「ごめんね、変な話をして」
「いや、そんなこと」
「本当だよ、こっちはこれからデートを楽しむところだったのに」
瞬間、空気が凍り付き、僕と宮崎さんは同時に七海へ視線を向けた。
「デートって、七海さんと進藤君が?」
「ああ、美女と野獣って感じだろ」
「誰が野獣だ。いや、そうじゃなくて、いきなり何を言ってるんだ」
「そう言うわけだから、私たちはもう行くわ」
勝手に話を切上げ、ひらひらと手を振り僕たちに背を向けて学校の外へ向かう七海。
その背を見送り、ようやく我に返った僕は慌てて宮崎さんに訂正を入れる。
「デートって言うのはアイツの冗談だからね」
「そ、そうなんだ。この前も仲が良さそうだったから、てっきり……」
砂場に水が染み込むように、宮崎さんの頬がゆっくりと赤く染まってゆく。
今こそ弁明すべきタイミングだが、先日の一件も合わせ、全ての誤解を解ける魔法の様な言い訳など持ち合わせていない。
「……それじゃあ、私、もう行くね」
「う、うん」
結局、あの日のことも含めて誤解を解くことは出来なかった。
仕方なく胸中で肩を落としながら彼女を見送ると、僕は改めて七海の後を追いかけた。
彼女はずいぶんとのんびりした歩幅で歩いていて、校門を出てすぐのところで捕まえることが出来た。
「妙な冗談を言うのは止めろよ。宮崎さん、すごくビックリしてたぞ」
「あはは、そりゃあ良かった。私、アイツ嫌いだからな」
唐突な告白に一瞬言葉を失う。
気が合わなそうなのは確かだが、しかし僕の周りで宮崎さんのことを“嫌い”と言い切ったのは七海が初めてだった。
「女子はみんな宮崎さんみたいになりたいって言ってるぞ」
「えぇ~嘘だろ?私だったら死んでもなりたくねえ」
「そ、そこまで言うか」
戸惑う僕に、七海はハッキリとうなずく。
どうやら、僻みとかそう言う感情で言っているわけではないらしい。
もう一度「嫌いだな」と呟いた七海の横顔は、軽い恐怖を覚えるほど冷たいものだった。
しかし、七海はすぐさまその表情をどこかへ放り投げ、いつもの意地悪そうな笑顔を浮かべなおして、
「悪いが、今日は無しにしよう」
「……え?」
間の抜けた声を上げる僕に、「詫びに飯を奢る」と言って僕の腕を掴み歩き出した。
「良いのか?」
「なんだ、腹減ってんのか?それなら今日は食べ放題の店でも行くか」
「いや、ご飯のことじゃなくて……その……」
どうして君は、宮崎さんに声をかけたんだ?
嫌いだと、死んでもなりたくないとまで言った相手を、どうして無視しなかったんだ?
それらを言葉にできなかったのは、多分、不意に見えた彼女の横顔が、あまりにも寂しそうだったせいだ。