言い訳の数だけ男が下がる
この世の終わりとも思える映画鑑賞が終わり、叫び過ぎと泣き過ぎで疲労困憊になった僕は、七海の肩を借りて駅までの道を歩いていた。
「ここまで怖がりだと思わなかったな」
「怖がりじゃない、あれは驚いてただけだ」
「どっちも一緒だろ」
「違う。僕はビビりじゃない、ホラー映画が苦手なだけなんだよ」
「何言ってるのかわからねえけど、そう言うことにしといてやるよ。だからもう睨むな」
睨むだけで済んでいることを有難く思え、とは流石に口にはしないが、それでも恨みを視線に込めることだけは忘れない。
そうして震える足で歩き続け、ようやく僕たちはいつも利用している駅へとたどり着いた。
時間が遅いこともあり、構内には他の利用者の姿はなく、これ幸いと僕たちは待合室のベンチに腰掛け電車を待つことにした。
「もうこんな時間だけど、ご両親には連絡しているの?」
「ん?ああ、それなら大丈夫だ。一人暮らしさせてもらってるから」
話によると、彼女の祖父母は五年ほど前に他界して、その時に空いてしまった家を使わせてもらっているらしい。
そして奇遇なことに、その家は僕の家から歩いて十五分ほどのところにある。
「元々は家から通う予定だったんだ。だけど、私は余命僅かだから、せめてこれから皆が経験するだろう一人暮らしを自分もしたいって嘘泣きしたら、二人も涙ぐんで受け入れてくれた」
「余命を盾に両親を泣かすなよ」
「まあでも、一人暮らしがしたかったのは本当だったんだ」
「そんなに憧れてたの?」
「憧れっつうか、私が家にいたら、父さんも母さんも疲れるからな」
静かな声に、一瞬息が止まる。
盗み見るように視線を向けるが、本人はまるで気にせず、待合室の外に見える電光板を見つめている。
今の言葉は、何かの経験から得たものなのだろうか。
気になったが、それを口にする勇気はなかった。
そうして言葉が途切れ、静寂の中で電車が来るのを待っていた時だった。
ふと、僕の肩に暖かな重みがのしかかって来た。
驚いて振り返ると、夢の世界へ旅立った七海の顔が目の前にあった。
「もしもし?」
「………」
呼びかけても、頬を指先で突いてみても反応はない。
元気そうに見えていたが、どうやら初めて映画館ではしゃぎ過ぎたらしい。
静かに寝息を立てる横顔は、普段の彼女から想像できないほど穏やかなものだった。
電車が来るまでもう少し時間がある。
仕方ないが、このまま寝かせておいてやろう。
そう思い、体が冷えない様にと着ていた上着をかけてやったその時だった。
「進藤君?」
恐らく、この状況で一番聞きたくなかったはずの声が聞こえた。
どうか聞き間違えであってくれと願いながら振り返れば、そこには目を丸くして僕たちを見つめる宮崎さん姿があった。
「み、宮崎さん。えっと、お疲れ様、で良いのかな?今から帰るの?」
「うん。部活の後片付けと部室の施錠、それから他にも色々と頼まれていたお仕事をしてたらこんな時間になっちゃった」
「そうなんだ。……一人?」
「ううん、河野君が一緒」
そう言って、宮崎さんは構内にある自販機で飲み物を選んでいる河野に視線を向けた。
「河野君には悪いことしちゃった。練習で疲れてるのに、私の仕事が遅くなるからって監督に見送りを言いつけられちゃって」
「気にしなくて良いよ。アイツは宮崎さんといれるだけでご褒美だから」
「また変なこと言って」
などと彼女は笑うが、しかし僕は何も噓を言っていない。
あの男は、宮崎さんと同じ空気を吸うためなら、たとえそこが煮えたぎった油の中だって躊躇いなく飛び込むだろうが、今は河野のことなんてどうでも良い。
今この瞬間に置いて最も注力すべきことは、この誤解しか生まない光景に対する言い訳を述べることだ。
「……宮崎さん、あのね」
「うん、任せて。河野君がこっちに来ないようにする」
「いや、そうじゃなくて、これは誤解なんだよ。僕たちはそういう関係じゃないんだ」
「大丈夫、何も言わなくても分かってるから。このことは二人だけの秘密だから」
「何にも分かってないよ宮崎さん。お願いだから話を聞いて」
「それじゃあ進藤君、また明日」
早口でそう言い残し、顔を赤くしながら河野の元へと向かってしまう宮崎さん。
「違うんだ、これは誤解なんだよぉ……」
僕の声は、虚しく待合室の壁に吸い込まれていく。
映画館に引き続き、僕はこの日、色んな意味でもう一度死ぬことになった。