全米はすぐに泣く
放課後、僕は彼女に連れられて高校から少し離れたところにあるショッピングモールへとやってきた。
そこは大型の複合施設で、いつ来ても多くの買い物客で賑わっている。
「買いたいものでもあるの?」
「いや、映画館に行く」
「映画館?」
「ああ。ここの一番上の階にあるんだけど、知らないのか?」
「いや、知ってるけど……」
映画館って死ねる要素あったっけ?
戸惑う僕をよそに、映画館に到着した七海はそのままチケット発券の端末の前へ向かい、何かの映画のチケットを二枚購入して僕の元へと戻ってきた。
「映画見るの?」
「映画館で映画見る以外の用事があるやつっているのか?」
「いや、どうだろう……」
少なくとも、僕の目の前にいる奴はその映画館に“死にに来た”みたいなんだけど。
「バカなこと言ってないで買い物しようぜ。映画と言えば、ポップコーンとコーラだろ?」
弾んだ声で言いながら、彼女は僕の腕を引いて売店へと向かう。
「キャラメル味か塩味、悩みどころだな。これが最後の晩餐になるかもしれないし」
「最後の晩餐がポップコーンって寂しくないか?」
「そうか?じゃあ、お前なら何を食うんだ?」
何だろう?
少し考えてみたけど、ステーキとかありきたりな答えしか思いつかなかった。
「彼女とかお嫁さんがいたら、手料理が食べたいとか言うかもしれない」
「彼女、嫁……。お前に?」
「なんだ、何が言いたい」
「そう言えば、日本人ってスマホやパソコンの見過ぎで年々視力が低下しているらしいな」
「……だから何だ。つまり君は、何が言いたいんだ?」
「……人は、見た目が全てじゃねえし、そもそも目の悪い女の子が全員コンタクトをしてるとも限らないよな」
柔らかな声が、見事なまでに僕の苛立ちを助長させる。
思わず眉間に力が入るのを感じていると、館内のスピーカーから僕たちの観る映画の入場が始まったと言うアナウンスが流れた。
「くだらない話はこれくらいにして、さっさと行こうぜ」
笑いながら、彼女は空いている左手で僕の腕を掴み歩き出す。
色々と言いたいことはあったが、仕方なく僕は彼女に連れられ席へと向かう。
「そう言えば、僕たちが観る映画ってどんな内容なんだ?」
「言ってなかったっけ。こいつだよ」
席に着くと、彼女はポップコーンたちと一緒に買っていたパンフレットを僕に手渡した。
その表紙を見た瞬間、僕は急いで外へ飛び出そうとするが、そうはさせないと彼女が逃げ出そうとする僕の腕を掴む。
「どこに行くんだ?映画始まっちまうぞ」
「……騙したな」
「騙したも何も、私は死にに行こうとしか言ってないだろ」
ここにきて、ようやく僕は彼女の言った死にに行こうぜの意味を理解した。
「ホラー映画って心臓に悪いって言うだろ?だから、メチャクチャ怖い映画を観て驚いて、そのせいで死ねたら面白いんじゃないかって思ったんだ」
「君の最後はそれで良いのか」
「何言ってんだ。これで死ねたらこの映画にとんでもない箔が付くじゃねえか。それこそ“怖すぎて死ねる”って話題になるぞ。映画の売り上げに貢献して死ねるなんて、これ以上ない名誉なことだろ」
逆に客足が遠のくと思うが、まあそこはこの際どうでも良い。
重要なのは、これから始まるのが「全米が失神した」なんて物騒極まりないキャッチフレーズの付けられた映画で、僕の最も嫌いなものがホラー映画だと言う事実だ。
「君はどうか知らないけど、まず間違いなく僕が死ぬ。そして悪いけど、僕はこんな映画を最後に死にたくない」
「へ~、そんなにホラー映画苦手なのか」
「まだ間に合うから他の映画にしよう。ほら、ポケモンとかどうだ?どうせ死ぬなら、手に汗握るワクワクで心臓が高鳴って死ぬ方が幸せじゃないか?」
「……ポケモン?」
ふと、僕の腕を掴んでいた彼女が首を傾げた。
「知らないのか?」
「……あの、黄色いネズミみたいなやつ?」
「そうそれ、ピカチュウだよ」
「へ~、あれがポケモンだったのか」
そう言って僕から手を離すと、七海は席に深くもたれかかって、少しだけ照れくさそうに微笑んで、
「過保護に育てられた弊害だな。ホラー映画がどれくらい怖いのかってのも知らねえし、ましてや映画館で映画を観るなんてのも初めてなんだよ」
彼女がずっと病室にいたことを聞いていた。
だけど、それがどれくらい不自由なのかということまで考えるに至らなかった。
「まあでも、そこまで嫌なら仕方ねえか」
不意に見えた彼女の横顔に、胸の奥から言い知れぬ感情が湧き上がってきた。
気が付けば僕は、立ち上がろうとした彼女の肩を掴み、隣の席に腰を下ろしていた。
「良いのか?ホラー映画苦手なんだろ?」
「最後の晩餐は彼女の手料理が良いんだ。だけど、ホラー映画も見れない男に彼女が出来るわけないだろ?」
本当に、僕は何を言っているんだろう。
素直に彼女の好意に甘えて映画館から出て行けばよかったのに。
そうしたら、怖い思いをすることなんて無かったのに。
「怖かったら手を握ってくれて良いから」
そう言って強がりの笑みを浮かべれば、七海は僕の顔を間の抜けた表情で見つめて、僕の肩を優しく小突いた。
思った通り、映画はメチャクチャ怖かった。
何度も叫んだし何度も泣いた。
僕だけでなく、他の観客たちもハチャメチャに泣き叫んでいた。
「なるほど、これはビビるな!」
「ビビるなんてレベルじゃないって!怖すぎる!」
「あはは!来て良かったな!」
「どこがだ!くそ、やっぱりやめとけば良かった!」
「もう遅えよ!諦めて私と一緒に死にな!」
阿鼻叫喚の地獄の中で笑う彼女は、いつの間にか怯える僕の手を握ってくれていた。
この手は果たして、僕にとって救いの手だったのか、それとも地獄へ引きずり込む悪魔の手だったのか定かではない。
ただ一つ言えるとしたら、七海はこの日も死ぬことは出来ず、対する僕は色々な意味で死にかけたということだけだ。