何事も初めたばかりが一番楽しい②
「ケーキ屋さん、イチゴのショートケーキとモンブランを下さいな」
「チーズケーキもほしい!」
弾んだその声に、僕はテーブルの上に並んだケーキをお皿の上に乗せていく。
触れてみて驚いたが、最近の玩具の見た目は本物と見分けがつかないほど精巧に作られている。
レストランなどの店頭で見かける見本があるが、あれと比べても、明らかにこちらの方がクオリティが高い。
「はい、ショートケーキとモンブラン、それとチーズケーキ。一番大きいのを用意しましたよ」
「わあ!ありがとうケーキ屋さん!」
お皿を受け取った少女二人が七海のいるテーブルへと駆けていく。
人生で二度目になるおままごとだが、七海から叱咤の声が飛んでこないところを考えるに、今のところは上手くやれているようだ。
ほっと息を吐きだすと、そんな僕を見ていた少年たちが不服そうに僕の背中を叩きだした。
「ねえ~、そろそろ俺たちとも遊ぼうよ~。ケーキ屋さんごっこなんてつまんねえだろ~?今日は魔王じゃなくて流離いの騎士の役だぜ?超カッコいいだろ?」
「いやいや、これからの時代は腕力じゃなくて優しさがものを言うんだよ。ライダーキックをスマートに決めるより、美味しいケーキを焼ける方が好きな子に振り向いてもらえるよ」
「す、好きな子とかいねえし!」
「あ、そうなの?それじゃあ、僕があの子たちにもう少しケーキを多く持って行っても、何の問題もないんだね?」
ニヤリと口元を吊り上げれば、少年たちは悔しそうに表情をしかめ、テーブルに残っていたケーキをお皿に乗せてテーブルへと向かった。
子供と言うのは純粋な生き物で、本人は隠しているつもりでも、視線にその子の本音が現れる。
以前にチャンバラをしていた時も、彼らの視線は常におままごとをしている少女たちの方を向いていた。
一緒に遊びたいが、しかし誘い方が分からないのだろう。
なので、自分が一番輝いていると言うことを見せつけて、向こうから声をかけてくれるのを待っていたみたいだが、もちろんそんなことをしたって彼女たちが声をかけてくれることは無い。
だからこそ、こうして少し感情を揺さぶってやれば、彼らはあっさりと僕の思惑通りケーキをテーブルへ運んでくれるわけだ。
幼気な心を弄ぶようで申し訳ないが、しかしこちらも体力の限界だ。
騒がしいお茶会が始まるのを見届けると、僕は部屋の隅っこに置いてある大きなクッションへと向かった。
勉強会に子供たちの遊び相手、そして、悪友とのいざこざ。
疲労が心身を満たすには十分すぎるイベントの数々だ。
中でも、未だに解決のめどが立っていない悪友との一件は、家に帰ってからも僕の胸の内をかき乱してくる。
中学からの仲だが、河野が誰かと揉めたなんて話を聞いたのは初めてだった。
教室やグラウンドの様子を見る限り大きな問題にはなっていないようだが、それでもやはり気になってしまう。
「どうしたの?」
クッションに持たれながら天井を見つめていると、どこか聞き覚えのある声が耳に届いた。
体を起こすと、そこにはいつか七海の膝で眠っていた女の子の姿があった。
「えっと、美羽ちゃんだったよね?お茶会はどうしたの?」
「……悪い人たちが来たから」
そう言って彼女が指さした先では、先ほど僕がけしかけた少年たちとお姫様たちがおもちゃの剣を手に攻防を繰り広げている。
どうやら、女の子たちだけが本物のお菓子を食べているのが気に入らなかったらしい。
「ああ~……。なんか、ごめん」
「お姉ちゃん取られちゃった」
拗ねたような口調で言い、美羽ちゃんは僕の膝の上に座った。
思っていた以上の軽さに驚きながら、僕たちは戦場と化したテーブルを見つめる。
「いつもこうなの。男の子たちが女の子に意地悪して困らせてばっかり」
「男の子はそう言う生き物なんだよ。不思議なことに、気になる子には特に意地悪したくなるんだ」
「じゃあ、お姉ちゃんはお兄ちゃんのことが好きなの?」
唐突な質問に思わず顔を向ける。
こちらを見上げる美羽ちゃんの目には、緊張に似た何かがあった。
もしかすると、大好きなお姉ちゃんを独り占めされると思っているのだろうか。
「違うよ。あれは意地悪じゃなくて、ただの暴力だから」
「どう違うの?」
「優しさがあるかどうかだね」
「ん~、良く分かんない」
「もう少し大きくなれば分かるようになるよ」
「むぅ~、子供扱いしないでよね」
実に子供らしい発言に笑みが零れる。
拗ねた彼女は、小さな頬を膨らませながら僕の膝を叩く。
それを甘んじて受け止めていると、ふと美羽ちゃんは叩いていた手を止めて、
「お兄ちゃん、どこか痛いの?」
「え?」
「お兄ちゃんが皆と遊んでた時、お姉ちゃんが心配そうにお兄ちゃんのことを見てたの」
言いながら、美羽ちゃんは僕の手をそっと握りしめた。
何と答えるのが正解なのだろう。
素直にありのままを言うのも気が引けて、なので僕は
「ここが、少しだけ痛いかな」
そう言って、おどけながら胸を指した。
すると、美羽ちゃんは微かに目を見開いて、それから僕の胸に額を押し付けてきた。
「美羽ちゃん、何してるの?」
「お姉ちゃんが教えてくれたの。こうやって痛いところにおでこをくっつけてあげれば、どんな怪我も病気も治っちゃうんだよ」
「お姉ちゃんって、あの金髪のお姉ちゃん?」
「うん。私がお熱を出した時にしてくれたんだけど、すごく辛かったのがすぐに良くなったの」
柔らかい声が胸の中に溶けていく。
戸惑いと、思わぬ優しさに触れた喜びがこみ上げて来て、ついつい僕は押し付けられていた少女の頭を撫でた。
「ありがとう美羽ちゃん」
素直に感謝を口にすれば、美羽ちゃんはくすぐったそうに顔を上げて、
「良いの。お兄ちゃんが笑ってくれたら、お姉ちゃんも笑ってくれるから」
その言葉を聞いた瞬間、ふと胸の中に光が差した気がした。
「美羽ちゃんは優しいね」
頭を撫でたまま口にした言葉に、美羽ちゃんはハッと我に返り体を起こした。
そして、先ほど見せた拗ねた表情を浮かべて、
「こ、子供扱いしないでよね!」
悔しそうに言って、僕のもとから離れてしまった。
別に子ども扱いをしたつもりは無かったのだが、どうにも乙女心は難しい。
そんなことを思いながら美羽ちゃんの背を見つめていると、今度は七海が僕の元へとやってきた。
「よおロリコン、元気してるか?」
「誰がロリコンだ。テーブルの方は放っておいて良いの?」
「橘さんが来たから大丈夫だよ。それより、私も少し休みたいから場所空けてくれ」
「他のクッションを使えよ」
言ってみたところで、七海は割り込むように僕の隣に腰を下ろしクッションに体を預けた。
「おでこをくっつけてあげれば良いんだって?」
「……なんのことだ?」
「美羽ちゃんが言ってたよ。熱を出した時にしてくれたって」
「知らねえな。熱で幻覚でも見てたんだろ」
乱暴な口調で言いながら僕の肩を小突く。
別に照れなくても良いのに。
「そんなくだらない話より、これから屋上で遊ぶんだが、お前も来ねえか?」
「何するの?」
「お前の大好きなサッカーだよ。ここの連中は基本的に運動が不足しちまうから、偶に思いっきりスポーツをしてそれを解消するんだ」
「なるほどね。そう言うことなら、僕もご一緒させてもらおうかな」
話が纏まると、僕たちは早速屋上へと向かった。
高いフェンスで囲まれた屋上にはボール遊びなどに適した広場があり、そこから見える青空はいつもより澄んで見える。
柄にもなく空を見つめていると、僕の足元にサッカーボールと似た大きさのゴムボールが転がってきた。
「サッカー部の本領発揮だな。子供たち全員泣かしてやれ」
「君もやるのか?」
「軽くな。うっかり子供たちを蹴飛ばしたらシャレにならねえから」
冗談っぽく言うが、七海ならばありえない話ではないと思ってしまうから困る。
そうして、僕たちは屋上へやってきた子供たちと一緒にサッカーを楽しんだ。
「どうしてボールが取れないんだ!お兄ちゃん、ズルしてるな!」
「サッカーでどうやってズルするんだよ。それよりほら、油断してると……」
向かって来た子供を躱し、ゴール付近で待機していた子へとパスをつなぐ。
すると、僕のパスを受け取った子は無人になっていたゴールへ転がす様にボールを蹴る。
「はい、一点ゲット~」
「うがあああ!ずりいよ兄ちゃん!大人げねえぞ!」
「僕もまだ子供だから知りませ~ん。ほらほら、僕にばっかり構ってると、またゴールを決められちゃうぞ~」
襲い掛かってくる子供たちからボールを守り、フリーになった子へパスを出す。
それを見た子供たちは、一斉にボールの方へと駆けだす。
そこには役割分担なんて言葉は存在せず、キーパーだろうと一心不乱にボールを追いかける。
真剣で、だけどとても楽しそうな彼らは、とても病気をしているとは思えないほど明るい笑顔を振りまいている。
そんな彼らを、僕と七海はゴール前で静かに見守っていた。
「流石、腐ってもサッカー部ってわけだな」
「小学校からずっと続けてるからね。簡単に負けるわけにはいかないよ」
「でも、自分ではゴールを決めに行かないんだな。どうせキーパーいねえんだから、シュートまで決めちまえば良いのに」
「さ、流石にそこまでは……。それに、僕は見ているだけでも十分楽しいし」
その言葉に嘘はなかった。
彼らの無邪気にボールを蹴る姿は、幼いころの自分を想起させた。
しかし、
「でも、物足りないんだろ」
胸の内を見透かしたように、七海が言葉を継いだ。
こういう時、とっさに誤魔化せないのが僕の悪い癖かもしれない。
「物足りないってわけじゃないんだ。ただ……」
「ただ?」
「……早く怪我を治したいって思っただけだよ」
「……ふ~ん、そうか」
つまらなさそうに言うと、七海は子供たちにボールをくれと手を振り、ちょうどそれを見た一人が七海に向かってパスを出した。
「サッカー経験は?」
「ない、今日が初めてだ」
定かではないが、七海は相変わらず初心者とは思えないボールさばきを見せてくれる。
驚くほど上手だが、しかしいくら相手が七海とはいえ経験者の僕が負ける道理はない。
フェイントを仕掛けて来た彼女の先を読み、ちょうどボールを蹴りだそうとした瞬間を狙ってボールを奪いに行ったのだが、
「あっ」
声を上げたのはどちらだったか。
ボールが彼女の足元を離れると同時に、僕の伸ばした足に七海が躓いた。
同時に、彼女の体が傾いていくのに合わせて僕の体も地面と平行になって行き、ほとんど同時に、僕たちは地面に転んでしまった。
「だ、大丈夫?」
「……不覚だ。お前に助けられるなんて」
悔しそうに立ち上がる七海。
素直にお礼の一言でもくれれば可愛かったのだが、まあそこは相手が悪かったと諦めるしかない。
何とか七海に手を借りて立ち上がると、僕たちは無邪気に駆けまわる子供たちをよそに隅っこに置かれているベンチへと移動することにした。
「怪我はない?」
「ああ、助けてくれてありがとよクソが」
「本当にそう思ってるなら、吐き捨てるように酷い語尾をつけないで」
「サッカーって結構いい運動になるんだな」
「楽しんでもらえた?」
「何度か見たことはあったけど、実際にやってみると想像以上に面白いな」
話していると、嬉しそうな声が屋上に響いた。
どうやら、子供たちの誰かがシュートを決めたらしい。
「自分が活躍しても、味方が活躍しても嬉しい。なんて言うか、たくさん喜べるタイミングがあるのが良いな」
穏やかな声が耳に触れる。
そうだねと頷けば、七海は足元に視線を向けて、
「でも、皆と一緒に戦えるからこそ感じる辛さもあるんだろうな」
続けられた言葉は、緩やかに僕の胸の奥へと突き刺さった。
水が布に染み込むように広がっていく痛みに目を閉じれば、苦い記憶が鮮明に浮かび上がった。
「なあ、一つ聞いても良いか?」
「……なに?」
まっすぐな視線に、少しだけ声が震えた。
怯える僕に、七海は一つの問いを投げかけた。
その問いに答えると、彼女は少しだけ苦しそうに表情を歪めた。




