第八章――炎(ほむら)の子【前編】⑥――
「ロッタほら。いいかげん出てこいよ。トルヴァを呼んできたから」
「やっ! ぜったいいや!」
「ルクーもすぐ来るぞ。なのにそんなところにいたら、犬と間違われちゃうぞ。いいのかよ」
小屋の周囲には、木彫りのおもちゃや綺麗な色紐といった、ダインの努力の残骸が散らばっていた。小屋の本来の主であるハティは、その周囲で所在無げにうろうろしている。
何故かと言えば、ロッタが小屋に入り込み、入口を大鍋でぴっちりと塞いでしまっていたからだった。
「ルクーはまちがわないもん。ロッタはこれから、ここにすむの」
「ばか言うなよ、ここは犬小屋だぞ。人間はすめないの!」
「じゃあロッタはわんちゃんになる!」
「オレやだからな、妹が犬なんて! あたりも暗くなってきてるし、とにかく帰ろうってば。腹へったしさあ。このままだと、おばちゃんにもおっちゃんにも怒られるって」
「ロッタはおなかすいてないもん。おばちゃんもおじちゃんもしらないもん。おにいちゃまだけかえればいい。ロッタはかえりません!」
「ロッタぁ」
頑なな妹との言い合いの末、ダインは呻いた。
「なるほどな。確かにこれは、ルクー案件だわ」
感情の赴くまま発散するロッタが、これほど内にこもってへそを曲げるのはよっぽどだった。困り果てた顔で、ダインがトルヴァを見上げて言った。
「昼すぎくらいからさ、ずっとこうなんだよ。何があったか教えてくんないし。叱られたんだかなんだか知んないけどさ、とにかく、おばちゃんとおっちゃんのいる家には帰らないって。そればっかでさ」
「どっちにしろこのままじゃあ、探しにくるぞ」
「だから困ってんだって。絶対もめるし。無理矢理ひっぱり出したら、こいつ、目がとけるまで泣きわめくに決まってる」
確かにこうなった主な原因があの気の良い夫婦にあるのなら、ロッタの引きこもりは、より強固になりかねない。ダインが接触を避けたがるのもわかるが、所詮は時間の問題だった。
トルヴァはその場にかがみこむと、小屋の入口を塞ぐ鍋をコンコンと叩いた。
「ロッタ、お前本当にここに住むつもりか?」
「すむ」
「そうか。なぁロッタ。本気だってんなら、オレは止めないけどさ」
「えっ!」
ぎょっとして渋面を作るダインを、人差し指で制してトルヴァは続けた。
「でもここは、狩りをする猟犬たちのための小屋で、人間が寝泊まりするようにはできてない。本気なら、色々と必要になるぞ。それに犬たちは新参者に厳しいからな。いじめられないように、うまく立ち回らないといけない」
「ハティがいるからへいきだもん」
「そうかもな。ならオレも、ここに住もうかな」
トルヴァはほとんど本気で言った。ロッタは最初よりも勢いを弱めた調子で、確かめるようにたずねてきた。
「……トルヴァだっていじめられちゃうよ?」
「お前をひとりにするよか良いよ。犬の中に人間ひとりじゃあ、心配だしな」
「……ひとりでもへいきだもん」
「そっか。でもオレは一緒が良いな」
トルヴァは根気強く続けた。
「本当に一番良いのはさ、ロッタが出てきてくれることなんだ。でも帰りたくないんだよな? ならそれで良いよ。でもさ、せめて理由を教えてくれよ。オレたちと一緒がいるのが嫌になったのか?」
「……ちがう」
「良かった。じゃあ帰りたくないのは、グズリさんたちに会いたくないからか? ひどく叱られたのか?」
「……」
それきりロッタは沈黙した。やはり無理だったかと、トルヴァが諦めかけた頃だった。
不動の鍋がずりずりと横に滑り、中からロッタが、地面に手をついて這い出てきた。
「おこってるのは、ロッタだもん」
そう言って顔をあげたロッタは、吠える手前の子犬のようだった。
沈みかけの夕陽に赤く照らされたその顔は、ぎゅっと眉間にしわを寄せ、くちをひん曲げてぶうたれている。
普段の天真爛漫な可愛らしさとは程遠く、本人は真剣に怒っているに違いないのだが――ぼさぼさの巻き毛といい、汚れて犬の毛だらけの格好といい、誰がどう見ても、悪さをしでかした側の有り様だった。
「ロッタは、わるくないんだから……」
気持ちが昂りすぎたのか、トルヴァの顔を見て我慢の糸が切れたのか。そこから先は言葉にならず、涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。
「ああ、ああ、もう」
あふれ出る涙を拭い去ろうと顔をこするロッタへ、トルヴァが両腕を広げた。ロッタは逆らわずそのまま、トルヴァの腕の中におさまった。
「泣くくらいならやんなよ! わけわっかんねえなあ、もう」
「我慢してたんだよな? ほら。大丈夫、大丈夫……」
トルヴァはそのまま、ロッタを抱きかかえて立ち上がった。
揺すりながら背中を撫でているところにちょうど良く、フェンリルとルクーがやってきた。
「ごめんね、遅くなって。ロッタは?」
「いまトルヴァが抱きあげてる」
フェンリルが、短く現状を説明した。
ルクーの手を、トルヴァの腕の中ですすり泣くロッタに導き触れさせる。手のひらから伝わる気配に、ルクーが眉根を寄せた。
「ロッタ泣いてるの? どうして?」
「……だって、いじわるいうんだもん……」
トルヴァの胸元にぐしぐしと顔を押しつけてから、ロッタは言った。
そして下ろしてもらうと、こすって赤くなった顔で、胸元のかくしから紐状の何かを取り出した。
「これ……」
ロッタが差し出したそれは、どう見ても子供のおもちゃにしか見えなかった。




