第八章――炎(ほむら)の子【前編】③――
「ははぁ、なるほど。お前と仲間たちがどこに向かうつもりだったか、わかったぞ」
父親の隣で話を聞いていた叔父が、手を打った。
「ここまでも川を下ってきたと言ってたな。その川下りにはひょっとして、橇から舟になる乗り物を使ったんじゃないか? そんでもって、案内人の顔には翼の刺青があったろう? そら、目尻のところに」
「そうですけどぉ」
エイナルの容貌を思い出してボズゥは答えた。
「やっぱりな。そいつはヨトゥンヘイムの覡巫のせがれ、エイナルだ」
「ああ、あの博識な若造か! となると――目的地はヨトゥンヘイムか!」
「知ってるんですかぁ?」
ボズゥがうろん気に聞き返すと、父親たちは、はずむような調子で語り始めた。
「おう。あそこはすごいぞ。年々人が増えてきてて、妙に暖かくてなぁ。確か神々の遺物である世界の支柱の破片もあると聞く」
「また聞きだが、冬の家畜の減り方が他とは異なるそうだ。農耕にも成功してるらしくてな、寒害に強い作物のほか、大きい麦が採れるようになってるらしい」
「昨今じゃあ、あそこの若者は、狩りの腕より酪農や農耕にあかるくなってきてるとも聞くな。そこについては今後の課題になるんだろうが……」
きょとんとするボズゥに向かって、ふいに父親が励ますように告げた。
「とにかくな、俺たちは何度かそこに訪れたことがある。ボズゥ。おそらくすぐ、仲間と再会できるぞ」
「うえぇ? でも……でもぉ、舟はぁ? それか山越えはぁ?」
ためらいがちに指摘するボズゥを、今度は伯父が笑い飛ばした。
「川下りも山越えもしなくていい。あの山にはな、ヨトゥンヘイムへ続く抜け穴があるのさ。ただしごく一部の限られた者しか、正しい道はわからないようになっている」
「こうなった以上、俺たちとしても集落に戻る前にぜひ立ち寄っておきたいな。ヨトゥンヘイムはそれだけ魅力あるところだ。目的が一致したな、ボズゥ」
「えっ……」
ボズゥは一瞬頭が真っ白になった。
「でっでもぉ……遠回りです、よねぇ。そ、それに……それにぃ」
次にはそれらしい言い訳が口から漏れ始めた。視線がどこへともなく彷徨い、自らの爪をカリカリといじる。
中途半端に刺さって、ぎぃぎぃ音をたてる釘のようなささくれの感触があり、いじくり倒してむしるとツンと痛みが走った。
「お、おれぇ、仲間たちから追い出されたようなもんだしぃ……今さらどのツラ下げて会うんだよって話でぇ……」
「それは初めに聞いた。それでもお前、仲間に会いたいと言ってたじゃないか」
「それはぁ……。そうなんですけどぉ」
「場所も手段もはっきりしてるなら行くべきだ。そうしたいんだろう?」
望みははっきりしている。そこへ向かうだけの手段もある。
なのにボズゥは、彼らの提案と善意が急に煩わしくなっており、ただへらりとゆがんだ苦笑いを頬に浮かべた。
望みがあるとわかったら、途端に恐ろしくなった。
だって会えたからと言って、どうなるだろう。話など聞かれず、またつき放されるだけかもしれないのだ。何度もそれに耐えられるほど、ボズゥは強くない。
怖じ気づいた心は、自分がいかに哀れで、同情されるべき存在かを訴えようとしていた。善意で彼を招いただけの見ず知らずの他人を前に、さらなる同情と、それによって得られる庇護を求めようとしていた。
ボズゥは次から次に思いつく保身の数々を、必死に喉元で抑え込む。それだけが最後に残った意地だった。
情けない。自分に甘くて、打算ばかりで嫌になる。
『ボズゥ、なんで、あんたはそうなの?』
(うるせえなぁ……)
そんなこと、ボズゥが一番知りたい。
あんな時にさえ冷たいことしか言わない、最後まで憎らしい相手だった。なのにそれさえも今は恋しかった。
――どうしてあの時、ヘルガは追いかけてきたりしたのだろう?
「大丈夫だよ」
ボズゥがうつむき、血の玉が浮かんだ指先を見つめていると、そっと誰かが手を重ねてきた。思わず顔をあげると、ボザのはにかんだ笑顔があった。
「離れちゃってさびしかったんだって、思ってること全部話して謝れば仲直りできるよ。だってお友達なんでしょう? ね、とうさま?」
「まぁまずは会ってみてだ」
「そう深刻になりなさんな。喧嘩別れなんざ、若いうちはよくあるこった。再会してみると案外、丸く収まったりするもんだ」
あっけらかんと笑うボザたちを見ているうちに、ボズゥは再び泣きそうになった。
(なんだよ。なんにも知らねぇくせにさぁ。どいつもこいつも、簡単に言いやがってよぉ……)
ボザたちは親切すぎるし気楽に構えすぎている。だけど彼らの率直な善意に慰められたのも確かだった。
やがて観念してかすかに頷くと、父親たちは我を得たりと、これからのことについて熱心に話し始めた。
「ね、みんなで行こう。ボズゥ。顔を合わせづらいんだったら、わたしも一緒についてったげるから。もしダメでもさ、その時はわたしの集落を案内したげる。ね?」
ボザは血の滲んだ指先を優しくさすってくれた。彼女が笑う時に口の端からひょこっと覗く八重歯は、そばかすと相まって愛嬌がある。ボズゥは思わず赤くなりそうな顔を逸らし、目元をこすった。
(……もし会って話せたら。きっと、その時はぁ……)
いじけそうになるボズゥの心に、いつぶりかの期待が灯る。
かなうのなら、今度は間違わないようにしよう。
きっと、今度こそ。




