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チェスガルテン創世記  作者: ノミ丸
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第七章――ヨトゥンヘイム④――

 それからすぐにフェンリルは、ブラギの提示した五日後の意味を、身をもって知ることとなった。大人たちの話し合いが終わったあと彼一人が、仲間たちと離れることになったのだ。 

 フェンリルとしては儀式ごとに必要性は感じていないし、断っても良かったのだが――よっぽどそうしてやろうと思ったのだが――頭まで下げたカザドの思いを無下にしてまで押し通す我ではなかった。 

 案内役のエイナルはこれまでもそうだったように、覡巫(ヴォルヴァ)のもとへと向かう道中、聞いてもいないことを語り続けた。


「成人の儀を受けることになる若者は、覡巫(ヴォルヴァ)のもとで過ごすんだ。君の場合はこれより五日間。覡巫(ヴォルヴァ)以外の人と触れ合わず剣舞を学び、心身を清める。天王に魂をよせる覡巫(ヴォルヴァ)のもと、俗世より隔たれた若者は成人の儀を通じて再び、この世に出で立つこととなる」

「ふうん」

「……と、信じられている。ようはもう、儀式は始まっているということだよ」


 つまりは茶番だなと思ったフェンリルの心を読んだかのように、エイナルが言った。


「まあそう難しく考えず、老い先短い老人の道楽につき合ってあげようという心構えでいるといい。皆儀式にかこつけて、大騒ぎしたいだけだから」

「……あんた、何げに口が悪いよな」

「そうかい?」


 そうしてエイナルがフェンリルを連れていったのは、開けてはいるが人の気配のほとんどない山の中腹だった。 

 そこには小ぶりな風車がいくつも建ち並ぶ、芝土で固めた長屋がひとつだけ、ぽつんと建っていた――芝土の家は珍しかった。ブラギの家のまわりにも風車はあったが、そこですら天幕ばかりだったのだ。 

 エイナルに続いて入ると、中はひんやりと冷たくわずかな陽光しかささず、薄暗かった。


「おや」


 中にはわずかばかりの生活品があるだけで、どこにも人の気配がなかった。掘られた炉端は冷え切っており、何かを煮炊きした様子もない。

 物が少なく片付いているだけに、もうずっと、誰も帰っていないような雰囲気さえあった。


「まだ戻られていないようだね。このまま待っていればじき戻るだろうが……」


 少々考え込んだ後、エイナルはにっこりした。舟を組んだ時、市に訪れる際にも見た企むような笑顔だった。


「せっかくだ、むかえに行こうか。見せたいものもある」


 エイナルは覡巫(ヴォルヴァ)の家よりさらに西の奥地へと歩を進めた。 

 日はもう傾き始めていた。ヨトゥンヘイムに辿りついた頃にはすでに、昼を半ば過ぎていたので当然ではある。なのに空気はまだ冴え渡らなかった。 

 むしろ逆に纏わりついてくるようであり、一歩踏み出すごとに沈みこむような心地がする。


(あつい……)


 次第にフェンリルは、外套が煩わしく感じられるようになってきた。吸い込む空気が、身の内から吐き出される吐息のように生暖かく重い。夜の気配が近づいているのに、これはどうしたことだろう。 

 足元を見ていると次第に踏みしめる地面が剥き出しで、苔生していることに気づいた。積雪はどこにもない。ふり返った先、ここまで来た道のりのどこかにいじけたように崩れたものがあるばかりだ。


「着いたよ」


 言われて顔を上げた先に、それは巨大な琥珀の塊がどっしりと座していた。さらにその根元では、頭が真っ白で小柄な老人がこぢんまりと腰かけている。 

 呪い文字(ルーン)の刺青が彫られた、骨と皮が張り付くばかりの手をもったその老人はカザドよりもはるかに年老いていた。百年生きてると言われても、信じてしまいそうな容貌である。


「父上、エイナルただいま戻りました」

「ん」


 エイナルの声に反応を示して顔を向けながらも、そのまなざしはどこか夢見心地だ――ルクーと同じく瞳孔が白く濁っていた。


「フェンリル。この人がヨトゥンヘイムの覡巫(ヴォルヴァ)だよ。そして私の父だ」

「じゃああんた、覡巫(ヴォルヴァ)の家の者だったのか」


 エイナルは頷いた。


「いずれは私が父の立場になる。だがまだ先だろうね。枯れ木のようだが、これでもおつむはしっかりしているから」

「まだまだ現役さねぇ」


 エイナルの皮肉をものともせず、覡巫(ヴォルヴァ)は顔をくしゃりとゆがめてかっかっと笑い声をたてた。しゃがれた声は意外とよく響いた。


「お客人が来るのはわかっておったよ。今日は風もうるさくて、光も突き刺すようでなぁ。老いた身には少々堪える」


 そう言って覡巫(ヴォルヴァ)は腰かけたそのままの姿勢で空をあおいだ。つられてフェンリルもそうした。 

 見上げた先の、琥珀の塊とはじめに思ったそれは、向こう側が見えるほどに恐ろしく澄みきっている。そして淡く灯るように、表面が発光していた。 

 光はそこだけではなく、溶けたようになだらかな登頂からも伸びていた。うっすらとほの青い糸状の光の束が上空へと伸び、揺らめき、放射状に広がり、空を覆っている。 

 伸びた光の先は徐々に細く、淡くなり、ある一定のところより先からは空に溶けて見えなくなった。光は木の枝のように風に揺れて、時に霧散した。だが風がおさまれば、再び揺らめきながら光の束となって放射状に伸び広がっていく。 

 そしてその内側では気泡が上下に行き来していた。溶けた水を抱く薄氷のように、琥珀の中で湧きたち逆巻き、とめどなく流れているものがある――


「お若いの、触れてごらんな」


 覡巫(ヴォルヴァ)が顎で促がした。どうしようか考えたのは一瞬で、フェンリルは恐る恐る、その奇妙な代物に指を這わせた。 

 流麗たるその表面は、見た目通りつるりとなめらかだった。フェンリルが好奇心にまかせて指を滑らせ、手のひらを押し当てるとほのかな熱が伝わってくる。しばらくすると、琥珀は内側から発光し始めた。 

 時に細かな雪が六花の結晶になって見えることがあるが、琥珀の中の水流にもそれと同じようなことが起こっていた。フェンリルの触れる場所へと、白く光る結晶が舞い踊りながら集まっていく。 

 凍りつく様が目視できる霜のようだった。だが手のひらに伝わるのは見た目どうりの氷の冷たさではなく、人肌を通り越した熱である。 

 このまま光が広がるなら、いつかは巨大な光源となりそうだった。しかしちょうど円盾のような大きさになった頃、光はそれ以上広がるのをやめた。


「誰が触れてもそれくらいでおさまる」


 そう言うエイナルの方に視線を向けると、光を見つめすぎて焼かれた視界に、白い影が生じていた。 

 手を放すと集まり結びついていた結晶がほどけて、あっという間に光は散り散りになった。もとの上下に気泡が行き交うばかりの水に戻り、淡い燐光を放つ。


「これがなんだかわかるかい?」


 エイナルがたずねた。フェンリルはまぶしさに滲んだ目元をこすり、もう一度それを見上げた。 

 フェンリルはこれが何かを知っていた。


「――多分、世界の支柱(ユグドラシル)


 エイナルが頷いた。


「そう。これは創世の時代に天王ヴィセーレンと地帝アマナが、天と地が揺らがぬように建てた柱、世界の支柱(ユグドラシル)の一部だ」

「さわったのは初めてだ。暖かいものだとは知らなかった」


 エイナルはフェンリルと同じように世界の支柱(ユグドラシル)に触れた。やはり内側から輝きだした。


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