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チェスガルテン創世記  作者: ノミ丸
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番外編――まなざし【前編】――

noteの楽しげ企画に参加した際の短い話です。

 熊のような男とはじめは思った。

 または鷹や(わし)(ふくろう)のような、狩りを生業とする空の王者のようだ。なんにせよ、おおよそ人間らしい気配ではなかった。

 狩りの最中、突如森の奥から響いた馬のいななきに誘われて来てみた先で、その男を発見した。吹雪く視界で雪庇(せっぴ)に気づけず、滑落したのだろう。馬が馬車の下敷きになり、泡を吹いてもがいている。


「――なんだ。何見てる」


 男がわたしを見るなり言った。刺すように鋭い眼光と気配だった。睨まれたのがわたしでなければ、たちまち逃げだしたに違いない。

 雪やら枯れ枝やらをあちこちくっつけた、見るも無残な状態で、男は威嚇した。


「お前にくれてやるものなんざ無いぞ。よそをあたれ」

「――ごあいさつね。お前たちのような(やから)を襲うほど、こちらは困っちゃいないわよ」


 男はわたしを警戒していた。

 互いに見ず知らずの相手だ。こんな人気のない雪深い谷間で、獲物以外と出くわすなんて、お互い、思ってもみなかったに違いない。


「困っているのはお前の方でしょう。頭を下げて頼みこむのであれば、手を貸してやらないでもないわよ」

「よそをあたれと言っただろう」


 男は憮然とそっぽをむいて、あちこちに飛び散った荷物を集め始めた。完全に無視を決めこんだのではなく、こちらに意識を向けているのがわかる。

 ほとんど皮肉だったのだが男が困っているのは見ての通りだったし、ここで会ったのも何かの縁だ。手助けしてやろうという気持ちはあった。

 しかし――どうにもこの男からは、沁みついた血の臭いがする。獣同然の臭いがするのだ。経験上、この手の臭いを纏うのは悪党と呼ばれる類の人間だ。

 関わって良いことは何ひとつない。

 ここはわたしの里から、そう離れていない。なりばかり大きくなったのんきな息子がいて、仲間に手厚く葬られたかつての連れ合いが眠っている。

 仮宿にすぎないが、息子はあの里を気にいっているし、里の人々は良くしてくれている。それを思えば、あまり悪いものは連れていきたくないのだけれど……。

 男からは血の臭いと同じくらいに沁みついた、もっと別の気配を感じた。その奇妙さが、わたしをこの場に留まらせ考えさせる要因となった。


(さて、どうしたものか)


 *   *   *


 しばらく様子を見ていたが、男はまったく無駄なことに力を注いでいた。横倒しになった馬車を起こそうというのだ。いくら熊のような体格と腕力があったとて、場所が悪い。力を込めようと足が沈むばかりだ。


「――がんばれ。もう少しなんだ。がんばってくれ」


 呆れた。なんとまあこの男ときたら、下敷きになった馬が、まだ馬車を引けるつもりでいるのだ。


(まぁ、人が一人で持ち運びできる物なんて、限られているものね……)


 馬車は男が一人で使うには大きな代物だった。さぞ大事な積み荷をわんさか載せているに違いない。やはり男の目的は、わたしの里だろうか? 

 (いち)という、それぞれの種族が交流し合う場所がある。そこからやってきた行商人なのかもしれない。それを考えると馬車を失うのは確かに痛手だ。しかし日も傾き始めている。そろそろ別の方法を模索すべきだ。

 だが男は無意味な努力を続けた。どうあっても馬車は持ちあがりそうになく、馬の鳴き声が、どんどん弱り苦しくなっていくばかりだというのに。

 小一時間ほど眺めていたが、さすがにじれてきた。わたしは男たちに近づくと、さっと、馬の首にとどめを差した。


「何しやがる! この畜生め!」


 男が吠えた。馬車を支えていたその手が腰の得物に添えられるのを見て、わたしは怒りで全身を逆立てた。


「――哀れな者に引導を渡したこのわたしに、刃を向けようというの? 無粋な男」


 ものの道理がわかっちゃいない奴に、誰が怯むものか。


「お前は無駄なことをやっているわ。この馬はもう脚どころか、はらわたの深いところから出血している。引きずり出したところで二度と走れはしないわ。苦しみが長引くばかりよ。必要だったのは励ましではなく、楽にしてやることだわ。そんなことすらわからないの? それとも自分の利益がそんなに大事? ――とっととその(なまく)らから、手をお放し!」


 しばらく男との睨みあいが続いた。いつでも飛びかかれるよう、わたしは姿勢を低くして全身に力を巡らせる。

 ――長く生きたとはいえ、衰えたつもりはない。だがこんな大柄な相手は久しぶりだ。果たしてわたしの牙は、爪は、届くだろうか。

 ふと、風の匂いが変わり始めた。天を仰ぐと、男もつられて同じように首をのけぞらせた。はらりと、雪がひとひら舞い落ちてきた。



 男は横倒しになった馬車を、解体し始めた。

 馬が息をしていた頃はまだ、踏ん切りがつかなったのだろうが、たとえ無事だったとしても、馬車は二度と動かせなかったろう。車軸がぼっきりと折れてしまっている。

 男はこれ以上の移動を諦め、ここで野営することに決めた様子だった。馬車の中に入り、馬を下敷きにしている板をべきべきと剥がし始めた。

 男を見張るつもりで、わたしは馬車を覗きこんだ。積み荷だらけと予想していた馬車の中には、ほとんど荷物がなかったので驚いた。

 天幕を張る道具と、男の寝袋。何日分かの食糧に、硬貨のはいった袋。弓に矢筒。わずかな毛皮。意外なほど、必要最低限の物しか積まれていない

 同時に、男からただよう奇妙な気配の理由に気がついた。


「お前、子持ちだったの?」


 男はちらりとこちらを見ただけで何も答えない。

 小さな子供が、六、七人はいたのではないだろうか。残り香とほのかな気配がする。だが今は誰もいない。連れ合いがいるようにも見えない。


「お前の子供はどうしたの? どこにいるの?」


 人買いにしては、何十人もひしめき合っていたような汚れ方や傷み方ではない。どうしたら、そんな剣呑な気配を持ったまま、たった一人で人の親になれたというのだろう。そして子供たちは、どこへ行ってしまったのだ。

 奇妙だ。変だ。不思議な男だ。


(――なるほど、変わり者か)


 わたしは馬車に乗りこんで、男がそうするように板を剥がし始めた。


「お前怪我をしているわね」


 協力的になったわたしに、男は怪訝な表情を浮かべた。


「それくらいわかるわよ。そして木を砕くくらい、わたしにもできるのよ。そら、急いで火をおこしましょう。さもなければお前、凍りついてしまうわ」


 板を薪にして小さな天幕を張る頃には、夜の帳が降りていた。

 雪ははらはらと軽やかだが、このまま降り続けられれば厄介だ。溶けずに積り、無慈悲に生き物の熱を奪うだろう。


「お前、今夜は眠れそうにないわね。火を絶やす訳にはいかないもの」


 剥がされて細かく砕かれた板きれを見て、わたしは笑った。


「幸い、薪には困らないでしょう」


 男は足の傷を雪で拭って、革袋の中の液体をかけ始めた。むっと立ち昇る独特の臭気は、強い酒が放つものだ。酒はあまり好きじゃない。


「――縫うほどではなさそう。でももう、今夜は歩かない方がいいでしょう」


 怪我した足で馬車を起こそうとしていたなんて、痛みに鈍いのか、愚かなのか。どちらだろう。男は足の傷を布でしっかり覆って縛ると、再び腰をあげた。


(歩かない方がいいと言っているのに)


 男は絶命した馬の側に行くと、すっかり冷えて硬くなった身体に手を這わせた。そして、手の届く範囲で解体を始めた。


「そいつとは長いつきあいだったの?」


 男は答えない。だが惚れぼれする手捌きで、あっという間に肉を作り、近くの白樺の枝に差して火で炙り始めた。

 そして、わたしに削った(ひづめ)を投げてよこした。


「くれるの?」


 男はやはり黙ったまま、こちらを見つめていた。

 厚意に甘えることにして、投げられた蹄を拾って齧りついた。何を隠そう、蹄は好物だ。


「お前の手の方が、お前の口より饒舌ね」


 長く生きると、こんな不思議な夜を向かえることもあるものだ。

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