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チェスガルテン創世記  作者: ノミ丸
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第六章――鷹と狼⑩――

「もぉ、じいさんの言いつけばっかさぁ、守んなくても良いんじゃねぇ? だいたいじいさんさぁ、ひでえよぉ。おれたちをあちこち連れ回したり、かと思えば放置してみたりさぁ。しかも急に集落暮らしだとかさぁ。いくら恩人でもさぁ……つきあいきれねぇってぇ」


 カザドとフェンリルの間に強いなにかがあることは、早いうちから気づいていた。養い親と養い子、恩人……そんな単純な名前では片付けられない結びつきだ。

 誰も立ちいることのできないそれは、うかつに覗き見た者を絶望で凍らせる、底知れぬ絶壁に似ていた。

 たとえ古いつきあいのトルヴァであっても、そこを越えていくことはできない。似た悲しみ、似た苦しみを知っている者同士でなければ、立つことのできない遠い場所だった。

 だが今やその結びつきは、緩んでほどけかかっていた。あろうことかカザドがそうした。きっとフェンリルの叫びの意味を、真に受け止めることができたであろうに、どういう訳か理解を示さなかった。

 それどころかがっかりだなどとのたまい、フェンリルをつき放したのだ。

 カザドはなんて馬鹿なんだろうと思った。


(おれだったら、あんなこと言わないのにさぁ。おれだったら……)


 あの場にいたのがボズゥだったなら、きっとフェンリルの叫びを受けとめた。ボズゥなら、フェンリルの隣に立って同じ望みを持ち、同じ景色を見ることができるだろう。ボズゥだったなら……。


「――おい、構うなって」


 トルヴァが警告をする。

 いつもこうだ。いつもこうやって、いざという時にトルヴァは邪魔をする。普段ならば引き下がるところだが、今回は違う。

 トルヴァはあの叫びを聞いていない。あの場面を見ていない。それがボズゥに力を与えていた。

 ボズゥは内心でトルヴァに舌を出して、ぼそぼそと続けた。


「……しかもこんなところに連れてきてさぁ……勝手に期待しといてがっかりとか、そりゃあねぇよぉ。地の民(アマリ)と仲良くとか、冗談じゃねえってのなぁ。……なぁフェンリルぅ。フェンリルはさぁ、嫌だよなぁこんなとこぉ?」


 フェンリルは答えなかった。


(結局じいさんには、覚悟がなかったんだぁ……フェンリルが望むことを、一緒にやる覚悟。よりそう覚悟。一緒に地獄に行く覚悟がぁ……)


 フェンリルにとってのかけがえの無い誰かになりたいと、ずっと願ってきたボズゥは、それを簡単に切り捨てられるカザドを改めてずるいと思った。

 フェンリルの心を知っていて勝手な期待をかけるだけかけて、いざとなったら怖気づくのだ。フェンリルは今までずっと、カザドの期待に応えてきただろうに。だから望みを押し殺し、こらえてきたんだろうに。

 自身に向けられた献身を、受け取るだけ受けて突き放すなんて、ずるいではないか。


「じいさんは、ひでぇよぉ。勝手だよぉ……」


 ボズゥはくり返した。

 しかしフェンリルは変わらず無言であり、閉じきられたまま二度と開くことのない厳重な扉のようだった。この扉のかけがねが、わずかでも動いてくれれば、ほんのわずかでも隙間が生まれれば、そこにボズゥがいると気づいてもらえるだろうに。

 ボズゥは必死に頭を巡らせた。――そして思い出した。ボズゥはとっくに、フェンリルの信頼を勝ち取るための証をたてていたではないか。


「――なぁ、おれならさぁ、どこまでもつきあえるぜぇ。――もう、やったばっかだしさぁ」


 ここで初めて、フェンリルに動きがあった。うずめていた顔をこちらに向けて、暗欝な表情で見つめてくる。

 傷ついた暗い瞳が痛ましかった。


「女神の戦士どもがさぁ、目の前を通った時さぁ、おれ、おれぇ、もうどうとでもなっちまえって思ったんだよぉ。――まさか本当に当たるなんて、驚いたけどさぁ」

「当たる?」


 フェンリルは、それが生まれて初めて聞く言葉であるかのようにこぼした。なんであれ、彼が反応を示してくれたことにボズゥは喜んだ。

 はずみがついたように、ボズゥの紫紺の瞳が淀みの底よりきらきらと輝きだす。


「矢が当たった時だよぉ……山峡で見張ってた時さぁ。おれあの時、なんとなくさぁ、あいつら見覚えあるなぁって思ったんだぁ。だけどさぁ」


 トルヴァはボズゥのしでかしたことを、誰にも伝えていなかった。ダインにまで口止めをし、三人の胸の内に収めることにしたらしい。

 みんな相当痛い目を見たのだし、さすがにボズゥも懲りたであろうと、彼の賢明さを信じて口をつぐむ選択をしたのだった。


(トルヴァぁ……お前はさ、優しい奴だよなぁ)


 ボズゥはトルヴァの英断に感謝していた。

 その優しさに。甘さに。馬鹿さ加減に。

 そのおかげで、最高の機会が巡ってきた。


「悪いことしたなぁ……。でも実際戦ってみたら、戦士なんてたいしたことなかったよなぁ? フェンリルのおかげで、みんな無事だったしさぁ! ――フェンリルもやり返せてスカッとしただろぉ? フェンリルはさぁ……あいつらになんか、酷いことされたんだよなぁ? ヴァナヘイムだっけぇ? 復讐したいんだよなぁ?」


 苛烈な復讐者の隣に立つ自分の姿を想像するのは、とろけるほどに気分が良かった。

 熱に浮かされたボズゥは、そんな彼が自分にだけは信頼をよせる姿を夢想し、妄想に酔っていた。


「良いじゃんかぁ、復讐ぅ。おれは止めない、おれはついてくぜぇ。なぁ、やろう。おれたちで、やっちまおう! みんなを、びびらせて、この世をひっくり返しちまおうよぉ!」

「――お前が」


 だからフェンリルの向ける瞳の、底知れなさに気づかなかった。


「お前が、あいつらを呼び寄せたのか」

「え」


 フェンリルが身じろいだ瞬間、青白い光が炸裂した。

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