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チェスガルテン創世記  作者: ノミ丸
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第六章――鷹と狼④――

「うわぁ、いってぇ」

「もうよせば良いのに……」


 顔をゆがめてボズゥとヘルガが声をそろえた。気づいてお互いを、むっと睨みつける。


「あれは、止めなくても良いのか?」

「無理無理。というかやだ」


 血が流れいよいよ殺伐としだす有様に、さすがにケヴァンもエイナルも青冷めたが、トルヴァは首を振った。あんなところに乱入したくはなかった。

 フェンリルは舌を這わせて口内の傷を確かめた。

 噛み切れて出血し、鼻の奥がつんとして鉄臭い匂いがする。だが骨まではいっていない。

 鼻をすすり、口内に溜まった血を吐き出した。


(――問題ない)


 ぎらぎらと目を光らせて対峙するフェンリルだったが、指先が震えるのを感じていた。だが疲弊しているのはカザドも同様であり、次の一撃で決まるだろうと確信する。

 フェンリルは息を深く吸い込み、身体に巡らせた。思えばまだ、手のひらの傷が引きつれている。確かめてはいないが、手の湿り気はなにも、汗のせいばかりではないかもしれない。


(また、ヘルガに怒られる……)


 傷を縫ってくれたヘルガの渋面が思い浮かんだが振り払い、フェンリルは肉薄した。カザドは相変わらずその場から動かず、迎え討つ体勢をとる。

 ――だが間合いに入る直前、カザドの姿勢ががくりと崩れた。


「!」


 フェンリルはびたりと立ち止まった。

 カザドはその場に片膝をつき、激しく咳き込んでいる。立ち上がることもできず、うつむき加減に肩を上下させている様は、それは苦しげだった。

 フェンリルの心臓が一度、大きく跳ね上がる。


「じいさん」


 突然の事態にフェンリルはうつむくカザドの元へ、早足で近づいた。しかし勝負の際中に、そんなことをしてはいけなかったのだ。

 フェンリルが完全な間合いに入り、カザドの肩に触れるほどの距離まで来た時だった。


「――まったく、これだから」


 相手は呆れたようにぼやいた。フェンリルがはっとなるも、もう遅い。カザドはフェンリルの足首をとり、思い切り引っ張った。


「あっ」


 足元が地面を無くし、身体が宙に浮いた瞬間、フェンリルは思わず風を纏った。けれども、やはり遅かった。背中を地面にうちつけ、握っていた木剣ごと手首をひねり上げられる。ぎらつく刃のような鋭さでカザドはフェンリルを組みしき、木剣をひねった手首ごと彼の喉元に突き刺した。


「――っ!」


 木剣はフェンリルの首筋をかするように撫でて、地面に突き立った。

 フェンリルは荒い息を吐きだし、いたずらが成功したように瞳を耀かせるカザドの顔を見上げた。


「――騙したのか」

「まんまとな」


 憎々しく呻くフェンリルに、カザドは二、三度、空咳をした。


「なにも本当に演技だった訳じゃないぞ。お前たちと合流する前に引いた風邪が、しっかり治っていなくてな。あんまり動くと胸がつまる――何せ年寄りだからな」


 口元を押さえていても、意地の悪い笑顔は隠せない。フェンリルにだけ、それとわかる嫌味だった。


「くそったれ」

「お前があんまり躍起になるから、ついこちらも本気を出さずにおれなかったんだ。今回は足場の悪さをうまく利用したな。ふんばりがきかなかった。ま、引きわけだな」


 上体を起こしたフェンリルの頭を、カザドは愉快そうに撫でまわした。フェンリルが噛みつくようにその手を振り払う。カザドが言うように、フェンリルは風を纏ってしまったし、彼は得物を以ってこちらを制した。互いに互いの決めごとを破ったのだから、引き分けに違いない。

 だがどちらの敗北かは、フェンリル自身が一番痛感していた。


「頬はちゃんと冷やしておけよ。腫れないようにな」


 そう言って踵を返すカザドと入れ替わりに、トルヴァが近づきフェンリルの腕をとる。こちらも愉快でたまらないといった表情をしていた。


「いやーおもしろかった。今回はどこやったよ?」

「口の中を噛んだ。それ以外はなんでもない」

「ぼろぼろのくせに」


 雪と泥を払うフェンリルの肩に、トルヴァが腕をまわして笑いかけた。


「あのじいさん相手に、引き分けにまで持ち込んだんだ。やったじゃんか、喜べよ」

「勝てなきゃ意味ない」


 フェンリルはそっぽを向いた。


「だいたいさ、なんで自分に変な枷をつけちゃうんだよ。使える物はなんでも利用しろってのは、じいさんの教えだろ? 女神の戦士とやり合った時みたいにしてたら、また違ったと思うぜ」

「トルヴァうるさい」

「あーっ、なんだその言い草! そんなに服を汚して、ヘルガに叱られても知らないからな」


 するとフェンリルの目つきが、困り果てた子犬が訴えるようなものに変わった。


「そのことだけど、一緒にヘルガのところまでつきあってほしい」

「いや、冗談だっての」


 トルヴァが戸惑うと、フェンリルは握りしめていた手を開いて見せてきた。手のひらにはまだ治りきっていない縫い傷があり、布を巻いていたはずだったが――その布が、ぐっしょりと鮮血に濡れている。


「うわ、どうしたそれ」

「傷口が開いた。一緒に、ヘルガから怒られてくれ」

「やだよ!」


 トルヴァは心をこめて叫んだ。


「なんでおれまで、怒られなきゃならないんだ」

「お前とやり合ってた時から、ちょっとあやしかったから……弟みたいなもんなんだろ。兄貴が困ったらついてこいよ」

「それとこれとは話が別だ! あーあー……せっかく、くっついてたのに。……ケヴァンのおっちゃんなら、針と糸を持ってるかもな。この際だ。ヘルガには黙っておいて、こっそりおっちゃんから――」

「――あたしがなんだって?」


 少女にしては低い声音が彼らに降り注いだ。びくりとして見れば声の主は水の入った革袋を片手に、しゃがみ込む少年二人のすぐ側に立っていた。その斜め後ろで、串肉の乗った皿を持ったボズゥが渋面を作っている。

 ヘルガは特に、フェンリルの手のひらを、射殺すように凝視していた。


「天幕にきな。いま、すぐに」


 親指で向かう先を示して、ヘルガが命じた。

 たとえ天王であっても、彼女の怒りには逆らえないだろう。

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