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チェスガルテン創世記  作者: ノミ丸
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第五章――あたらよ③――

 そんなフェンリルと、彼につき従うような足取りのボズゥに続いたトルヴァが、おもむろに彼らの肩に両腕を回した。


「ぅぐ」

「んだよぉ、重いぞでかぶつぅ」

「ああ、生きた心地がしなかった」

 

 トルヴァがあまりに体重をかけてくるので、フェンリルもボズゥもよろめいた。トルヴァからしたらもうずっと、緊張し続けでここまできたのだ。開放感はひとしおで、はしゃぎたくもなるというものだった。


「ほんと、素直じゃないね。お前もじいさんも」

「ああ?」


 フェンリルは表情をさらに険しくさせた。


「ふっつーにさぁ、心配してたんだって言えばいいのに。おかげでこっちは冷や冷やするっての。勘弁してくれよな」

「誰が、誰を心配するって……お前ルクーから、いや、ロッタから何か聞いたのか?」

「何かって?」


 小川でルクーに似たようなことを指摘されていたので、フェンリルは警戒した。あの時のやり取りを、まさかフェンリルが自分のとしを忘れていたことなどを、聞かされたのではあるまい。

 だがトルヴァは知らん顔だった。


「いや……知らないんならいい」

「わしのめしは、まだかいのぉ」

「聞いてるじゃないか、くそ」


 フェンリルは、いかにも年寄りくさい口調になったトルヴァの腕を、乱暴に振り払った。この手の話題をからかいの種にする、最も知られたくない相手に知られてしまった。

 トルヴァはボズゥの方に体重をうつして寄りかかりながら、けらけらと笑い声をたてた。


「一足先に成人したからって、ボケるにはまだ早いぞ。わかってるか、おにいちゃん」

「おい、いい加減どけよぉ。重いってのぉ。おれもフェンリルもけが人だぞぉ」

「馬鹿。お前は一番軽傷だろうが。オレたちを見てみろよ、このやろう」

「それについては悪かったってぇ」

「ひっぱるな、痛い」


 トルヴァは腫れあがった自分の頬と傷ついたフェンリルの手を、交互にボズゥに見せつけた。

 ボズゥとて、けして無傷では無かった。

 だがしかし、浴びた血の跡がぬぐい切れていない、頬がすっかり腫れあがったトルヴァに、青白い肌にくまの浮いた病的な顔色のフェンリル相手では、いささか説得力に欠けた。


「そのへんにしときなよ」


 子犬のじゃれあいをいさめる口調で、ヘルガが言った。


「今から出発でしょう。はやく準備しないと」

「ああ、横になりたい。そのまま眠りたい。いつまでも」


 トルヴァがぼやいた。


「そうだ。誰かおれの短剣を知らないか?」


 唐突にフェンリルが言った。


「短剣?」

「倒れる直前まで握ってたはずなんだ。でも、見当たらない」

「思い違いじゃないのか? お前を天幕に運んだ時、なにも持ってなかったぞ」


 (いぶか)しむトルヴァに、フェンリルは血の滲む手のひらを見せて食い下がった。


「じゃあこの傷はなんだよ。――じいさんがとどめを刺す直前、おれは確かにあいつを刺した」


 鎖骨に食い込んだ感触を、確かに覚えていた。しかしトルヴァもボズゥも首を傾げるばかりで、抜き身となったはずの短剣の行方を誰も知らなかった。


「あたしも短剣のことは知らない。でも、これ――」


 ヘルガは持っていた物をフェンリルに手渡した。受け取って広げてみたそれは、赤黒くまだらに染まった、毛皮の外套だった。


「うわぁ、ひでぇ」


 ボズゥが顔をしかめた。


「こっちは回収したけど、ここまできたらもう洗っても落ちないし、繕いきれない。時期を見て処分するしかないね」


 そう言われるのも納得のぼろぼろ具合だった。

 返り血を浴びたトルヴァの毛皮もひどい見た目ではあったが、こちらは洗いさえすればどうとでもなるだろう。


「しばらくは隊商の荷物からそれっぽいのをもらって、着ておいたほうがいいよ。ほら、こっち」


 ヘルガが示した天幕の中には、洞窟から移動させたらしい盗品が並んでいた。


「布が色々はいってんのは、これとこれな!」


 中で話を聞いていたダインが、両手いっぱいに荷物を抱えながら顎でしゃくった。彼は大人たちと一緒になって、ある程度の中身を確かめていた。いかにも大変といった様子で、生意気を言う。


「トルヴァもボズゥも、のんびりつっ立てないで運べよな。働いてんのオレ一人じゃんか」

「っはーん? よく言うぜチビ。見てろ」


 ダインの挑発に快くのって、トルヴァは腕まくりをした。

 いやいやながら参加するボズゥと共に荷物を運び出す彼らのかたわらで、木箱の中身を丁寧に確かめていたヘルガが、そのうち、紺とも黒ともとれる色の、重い布地をとり出した。


「これならいいかも。布地が厚いから暖かそう」

「どう着るんだこれ」


 それはどうも外套のようだったが、彼らが普段纏うような物とは少々異なっていた。腕を通すための袖があり、襟元とおぼしきところは、あまりにたわんでいる。これでは風が入り込み放題で、防寒にならないのではないだろうか。

 フェンリルが襟元をしめるのにいつまでも苦戦してると、みかねたヘルガが手を貸してくれた。


「見せて――ああ、ここに紐がある」


 ヘルガが襟元の紐を引くとちょうど良く、たわみはしぼんだ。フェンリルは腕を曲げ伸ばしして、具合を確かめた。


「ましになったけど変な感じだ。動きにくい」

地の民(アマリ)の服って、変わった形が多いよね。これじゃあ弓を引く時、袖が邪魔でしょうに」


 ヘルガはそのまま、外套の襟元を整えてくれた。


「――あたしも、じいさまの言う通りだと思う」


 邪魔にならない長さに紐をまとめていたヘルガだったが、ふいに、神妙な面持ちで声を絞るように呟いた。


「あたし達みんな、運が良かった。みんな無事で、じいさまが戻ってきてくれて、本当に良かった……」


 そうしてヘルガはうつむき、こらえ切れなくなったように肩を震わせた。

 フェンリルは仰天した。たとえ空が裂け、地面が割れたとしても、ここまでうろたえなかったに違いない。

 気丈でくよくよしないヘルガ。

 髪を短く切って、少年のようにふるまうヘルガ。

 そんな彼女の涙は、フェンリル達がいかに危うい、危険な綱渡りから生還したかを物語っていた。

 きまずい沈黙の中、やがてフェンリルは不器用な手つきでヘルガの頬を拭った。彼女の瞳からこぼれた金のひとしずくが、手のひらの傷に染みいった。


「ごめん――心配させて悪かったよ」

 

 あの時、とらわれのトルヴァとボズゥを発見して、剣を構える地の民(アマリ)のいで立ちを見た時、フェンリルは我を忘れて木立の間を縫うように駆けだしていた。

 ――彼と同じく木立に潜み、共に救出の機会を窺っていたはずのヘルガを、一人残して。

 突然飛び出していったフェンリルに追いすがることもできず、かといってダインたちの方に戻るわけにもいかず、ヘルガはただ隠れてことの成り行きを見守るしかなかった。

 フェンリルはやっと、そのことに気がついた。


「ヘルガが矢で威嚇してなかったら、どうなってたか。おれにもわからない。本当に、助けられた」


 言いながら情けないと思った。まわりがいっさい見えていなかったと、告白したようなものだ。くやしいことに、カザドの説教は的を射ていた。

 ヘルガが鼻をすすり、フェンリルの手をとった。


「――もう少し食い込んでたら、指が落ちるところだった」


 手のひらの傷を撫でる手つきは優しかったが、それでも引きつって痛んだ。ヘルガはひたとフェンリルを見つめた。

 彼女のまつげは涙で光り、鼻の頭がすっかり赤くなっていた。


「こんなこと、もう、二度とごめんだから」

「……うん」


 触れる手のひらを握り返して、フェンリルはたいへん素直に頷いた。


「もう、あんな風に戦わないでよね」

「うん」

「あたしたちがいるんだって、忘れないで」

「うん」

「もう黙って、あたしをおいていかない?」

「うん――もうおいていかない。約束する」

「……なら、いいよ」


 ヘルガはフェンリルの肩に頭を預けて、そっと瞼をおろした。

 肩に染み込む涙の暖かさを感じつつ、フェンリルはヘルガの頭を撫でた。おそるおそると、壊れ物を扱うような手つきで。初めて触れたヘルガの髪は、見た目よりも柔らかかった。

 このまま泣きやんでくれればいい。ヘルガの涙がとまるなら、肩などいくらでも貸すし、どんな約束だって交わすだろう。

 

 しばらくそのまま、二人は動かなかった。トルヴァ達が天幕に戻ってくるまで、そうしていた。

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