第四章――襲撃⑦――
修正しました。
楽しんでいます。
(二匹目)
とどめに喉を突き刺してフェンリルは追撃を止めた。相手の視界を奪った毛皮は穴だらけな上に血を吸い上げて、重くなってしまっている。
赤黒く染まる生臭いそれらを一瞥するフェンリルの背筋が、迫りくる気配に逆立った。
身を翻すと、横薙ぎの長剣が毛先をかすめる。最後の獲物がこちらを睨みつけ何言か言い捨てた。
『地母神アマナよ、貴女の忠実なる戦士たる彼らを、その懐に迎えて下さい。彼らは勇敢でした。どうか褒め称えて下さい』
意味は理解できない。
せつないまでの震えはすでに止まっていた。
「何言ってるかわかんねぇよ」
そう言い捨てるや否や、フェンリルはつむじ風を纏って突っ込んだ。
『――そしてどうかこの貴女の忠実なるしもべに、哀れな敗北神の残滓を葬る為の御力をお示し下さい』
最後の相手は他の奴らのように、大ぶりに斬りかかるような真似はしなかった。少ない動作でフェンリルの短剣を受け止め払う。
何度か繰り返した後、突然脇腹目がけて膝蹴りがとんできた。まともに受け止めれば、あばら骨がやられる。衝撃に逆らわず、フェンリルは跳ねた。
側転するように受け流して着地し、すぐさま跳躍し次の一撃をお見舞いする。だがこれも決定打にはならず、再び刃で払われる。
いっそ腹ばいになるほど重心を低く落としたフェンリルは、頭頂部のすれすれで長剣をかわし、相手のふくらはぎ目がけて短剣を走らせた。
刃は通らない。なめし革の表面を滑っただけだった。
(一度雪で落とさないと)
短剣が血脂で鈍らになりつつあると気づいたが、ついまた、相手の急所を狙ってしまった。
今度は刀身を滑らせて、相手の肘の内側を柄頭で打ってみた。そのまま流れで切り裂く。浅い。だがほんのわずか、相手が怯んだ。その一瞬をフェンリルは見逃さなかった。
すぐさま短剣を左に持ち替え、回転しながら長剣を握る手の甲に突き立てる。
相手はとうとう短い呻き声と共に長剣を手放した。フェンリルは落下する長剣を奪い、恐ろしいまでの身軽さで跳び退った。
数歩分の距離を取り、互いに睨みあう。フェンリルは長剣を遠くに放り投げて、あちこち忙しなく目をさ迷わせた。
(腕、足、目――いや、指?)
この時フェンリルはいかに素早く戦いを終わらせるかではなく、どうすれば相手がより苦しむのかばかり考えていた。
他二人に比べて最後の相手はしぶとかった。――だからこそ、とにかく痛めつけてやりたかった。
(――慎重に。頭に血が昇った時ほど、慎重に、冷静になれ)
老人の教えを思い出し、フェンリルは衝動をこらえようと努力した。しかし荒く短い呼吸は、きんとした空気に混じる別のものを欲していた。白く清廉な雪原は今やおびただしいほどの鮮血を吸い上げ、赤々と染まっている。
かつて故郷を焼き、全てを踏みにじっていった獣達の血の匂いはフェンリルを酔わせるのに充分だった。
どこからか悲鳴が聞こえた。
あれはヴァナヘイムの誰か――姉の、ヘイルの声だ。
(ヘイルが叫んでいる)
悲痛な泣き声はフェンリルの足元からひたひたと沁み渡り、全身を満たしていく。
彼女を泣きやませるにはどうすればいいのだろう?
もう良いではないか。だってもう長いこと、我慢をしてきた気がする。
(そうだ)
ふいに目の前の霧が晴れるような唐突さで、フェンリルは気がついた。
(おれはずっと、この時を待ってたんだ)
あんな地獄を目の当たりにしてまで、どうしてただ一人、生き延びたのか。
どうしてこれまでずっと、黙って老人の教えを守ってきたのか。ひたすら静かに爪を砥ぎ、牙を磨き、耐えてきたのか。
女神などどこにもいはしないし、叫んでも祈っても救いなどないのだと、この獣どもに思い知らせる為だ。
耐える日々はもう終わりだ。
その時がようやく来たのだ。
「――おい。人間の真似ごとしたけりゃなあ、言葉のひとつも覚えてきたらどうだ」
狂おしいまでの高揚感にとり憑かれ、衝動のままフェンリルは跳躍した。驚愕に固まる獣の顔。凍てつく空気。血の匂い。
フェンリルは笑った――気分が良かった。
相手の喉元目がけて、短剣を走らせる。獲った――と思った次の瞬間、フェンリルの手から短剣がすっぽ抜けた。
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