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チェスガルテン創世記  作者: ノミ丸
31/65

第四章――襲撃④――

「はなっ、せっ!」


 振りほどこうともがくが、そもそもの体勢が悪くずるずると引きずられてしまう。

 仰向けになり頭を起こすと、見張りがトルヴァに馬乗りになっているところだった。足をばたつかせても身を捩っても、なすすべが無い。


「トルヴァぁ!」


 どこかでボズゥが叫んでいる。

 すると見張りは剣を振り下ろす直前に、祈りのような動作をした。


「――女神の御手(みて)よ、とこしえなれ」


 それがトルヴァの生死を分けた。

 木立の頭上から雪を振り落としながら、灰色の毛玉が降ってきた。と思ったら、落雪の冷たさを感じる間もなく、トルヴァの顔面にばしゃりと生温かい物がかかる。それは、見張りの喉元から噴き出していた。

 見張りが慌てて喉元を押さえるが、口からも鼻からも血が溢れ出して止まらない。ごぼごぼと血泡を吹き目を白黒させている見張りは、もはや戦意も剣も取り落としていた――

 そんな見張りに肩車をしてもらうような体勢で、フェンリルが張り付いていた。

 フェンリルは、見張りの喉元を裂いたであろう短剣をくるりと回転させると、相手の耳に突き立てた。

 見張りはぐるんと白眼を向き、力なく両腕を落とす。そのままトルヴァに倒れ込んできたが――覆いかぶさる前に止まった。傾いだ首から、ぼたぼたと血が落ちてくる。

 倒れる見張りから素早く飛び下りたフェンリルが、その首根っこを掴んでトルヴァの真横に引きずり倒す。

 次に視界に入ってきたのは、情けない顔のボズゥだった。


「おい、大丈夫かぁトルヴァぁ?」

「大丈夫そうに、見える゛か?」


 返り血を浴びたトルヴァは、大変凄惨な見た目になっていた。

 

「お前、今日、オレが、何回死んだと思う゛……?」

「いいい、いま縄切るからさぁ!」


 ボズゥに支えられて身体を起こしたトルヴァは、激しく咳きこんだ。もはや口内の血がどちらの物かわからない。考えたくも無い。

 わずかに湯気を昇らせる見張りの死体を一瞥して前を向くと、フェンリルと戦士が睨みあっていた。

 戦士たちからすれば襲撃されるのはこれが二度目だ。トルヴァとボズゥを捕らえた際、逃げ去るダインに矢を射っていたし、他の仲間の存在を危惧していたはずである。

 戦士たちは距離をとりこちらの様子を窺っていた。はた目からすればフェンリルと戦士たちには、それこそ大人と子供くらい体格の差があった。この戦士たちに比べたら、見張りはずっと細身だったといえる。

 戦士は皮の外套に長剣。上背があり、良く鍛えられた大柄な体。一方のフェンリルは小柄で細身で、構えている得物ときたら短剣だ。

 これならまだ、万全状態のトルヴァの方が勝ち目があるように思えた。

 向こうもそれはわかっているはずだが、身構えたまま動こうとはしない。奇襲とは言え仲間を瞬殺したフェンリルを、多少なりとも警戒しているようだ。


「フェンリルが来たならもう安心だってぇ、なぁ?」


 ボズゥは何やら嬉しそうだったが――トルヴァはいち早く異変に気づいていた。

 足元から短剣を握る指先まで。

 フェンリルは、隠しようがないほど震えていた。

 はっはっという荒い呼吸音に混じり、かちかちと、火打石を打ち合っているような音が聞こえてくる。それが、フェンリルの口から鳴っているものと気づくのに、それほど時間はかからなかった。

 歯の根が合わないほどの震えなのだ。


「……なんか変だ」


 よっぽど急いで来たのだとしても、妙な雰囲気だった。これまで見たことがない兄貴分の尋常ならざる様子に、トルヴァはボズゥほど楽観的になれなかった。


「――ヴァナヘイム」


 やっと絞り出したかのような、消えそうに震える声でフェンリルがささやいた。


「ヴァナヘイム、この言葉に聞き覚えは無いか?」


 次の問いかけはもう少し声を張ったものだったが、戦士は答えなかった。

 トルヴァとボズゥはどちらからともなく視線を交わし合い、首を振る。二人とも聞き覚えの無い、古い響きを持つ言葉だった。


「ヴァナ、なんとかぁ? どういう意味だぁ?」

「なんだっけな、あんまり聞きとれなかった……」


 二人はひそひそと確認し合った。なんにせよ、何かが妙だった。

 しかし双方の睨みあいはそれほど長い時間では無かった。

 質問に答えず微動だにしない戦士に対し、フェンリルは嘲笑するような、あるいは諦めたような声を漏らした。


「そうだよな。知るわけないんだ……」


 そして不意に力を抜き、臨戦態勢を解いてしまった。


「お、おい、フェンリルぅ?」


 ボズゥが困惑するのも当然だった。

 震えながら俯くフェンリルの様子は、怯えきって戦意喪失してしまった頼りない子供そのものだ。

 戦士たちもそう判断したようだ。この隙を逃すまいと一気に距離を詰め、雄叫びと共にフェンリルに襲いかかる。


「……次から次へと」


 トルヴァはふと、フェンリルの足元で、彼を中心にきらきらと細かく巻く渦を見た。

 薄く、それは細かく削れた氷の粒が、彼の足元から湧きあがるように舞っている。

 それは、日の光を吸いきらきらと反射して――ロッタが見れば綺麗だとはしゃいだに違いない。

 だが、突如フェンリルから立ち昇ったひりつく気配に、トルヴァは戦慄した。


うじみてぇに湧いてきやがって……!」


 フェンリルの握る短剣の束が、びきりと嫌な音を立てた。

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