第二章――フェンリル④――
走る馬車が舞う粉雪の中に消えるのを見送ってから、天の民は頃合いと察して剣を鞘に納め、腰に差した。
そして何か合図を出すと他の天の民達がわらわらと積み荷に群がった。動きの機敏さといい歓声をあげる騒がしい様子といい、幼さが漂う集団だ。
それもそのはずで地の民の男が見たてた通り、この場にいる天の民達は皆、十代をまだ越えていない若者ばかりだった。
「なぁフェンリル」
木陰から栗毛の馬を引きながら、この中で一番背丈のある天の民が合図を出した方に声をかけた。
「あのおっさん何か言ってたろ、何話してたんだよ?」
ふり返って、フェンリルと呼ばれた天の民はそっけなく返した。
「別に。亡霊だと言われた」
「亡霊?」
「女神のしもべがどうとか。喰われろだのなんだのってさ」
フェンリルが頭の横で指をくるくる回すと、相手は苦笑した。
「女神のしもべって、巨大狼のことか? あんなの女神すら持てあました獣だろうに」
「地下に閉じ込めずに殺せばよかったんだ、そんなものは」
「おぉ? 知らないのかフェンリル。我らが天王様が、その巨大狼と差し違えたことを」
フェンリルはため息を吐いた。
「知ってるさ、誰でも知ってる。おれは、もっと早くそうすれば負けることも無かっただろうに、考えが足らなかったと言いたいんだ」
「そういうこと言ってると、罰あてるぞ。天王様の怒りが降るぞ」
「やめろよトルヴァ、お前もいかれたか。天王がその巨大狼に首を喰いちぎられてどれくらいたった。死者がどうやって罰をあてられるって?」
あほらしいとフェンリルが呟き背中を向けると、トルヴァと呼ばれた相手は持っていた積み荷で彼を小突いた。
フェンリルはやり返し、さらに強くトルヴァにやりかえされた。それをくりかえしながら二人は、他の子供らの方へ向かった。
フェンリルは先ほどの地の民の、あの憎々しげな顔を思い出した。
寝物語でしか聞かない大昔の話を持ち出して、さも女神の目があちこちで光っているかのような言い草だったが何を得意げになっていたのだろう。
女神など神々の争い以来、地下へ隠れてそれっきりではないか。死んだも同じではないか。
いもしないものを引き合いに脅かされても、呆れるしかない。
天王もそうだ。トルヴァが言うように天王が怒りを降らせるというのなら、それよりもまず、女神の国で隠れながらやっと生きている自分の民をどうにかしろというものである。
(いると言うなら)
今この場に現れて見せろと、フェンリルは思った。
女神であれ、巨大狼であれ。現れないなら恐れる理由もない。尊ぶ必要も感じない。
「毎回雪が舞う所を襲うから、亡霊だと思われるのかね。あんなの目くらましなのに」
トルヴァが呟いた。
「フェンリルのほかにもう一人ぐらい、こういうことができるやつがいればなぁ。もっとすごいことができそうな気がするんだけど。オレも練習すればできるようにならないかな?」
フェンリルは少々考えてから首を傾げた。
「……どうやるんだと聞かれても、説明しにくい。そもそも訓練して身につけられるもんなら、今頃皆ができるようになってるだろ。ひとつの集落に二、三人ってとこだから、教えようがないのかもしれないけれど」
「そういや最後に寄った集落には、風使いがいたよな。結構なじいさんだったっけ。あそこ、じいさんばあさんしかいなかった」
「あそこはじきに誰もいなくなる。前にも見た。年寄りばかりになったら、もう駄目だ。大体いてもいなくても一緒なんだ、風使いなんて」
「お前な、またそういうことを言う」