落ちて育み、落ちずに続き
美味しい料理を食べた私達は店主さんにお礼を言われ酒場を後にした。一歩外に出ると一気に空気が冷え込んで、肺の中一杯に突き刺さってくる。でも、それが火照った身体を内側から撫でられる感じで心地が良く、ほろ酔いの感覚が思考を呆とさせえる。だから、さっきはすごかったねとワッキワキしているミアに上手く返答できなかった。もう起きたことは仕方ないと切り替えたつもりだったが、矢張り失った家族を思うと辛い。アルコールが回った心が私の家族ををミアの家族を重ねてしまう物だから、いっそ酔った勢いで甘えたい気分でもあった。人を信用したくないと思っておきながら、私は弱いなと惨めな気持ちになる。
「ソフィーってば、ぼんきゅってきてぼんっ! で涼し気な美人さんだもの。お貴族様ってば羨ましいわ! それに強いだなんて、私に敵うところはないの……?」
ふわぁぁ、と憧れを白い靄へ変えてミアの口から飛び出してくる。お貴族様は羨ましい、か。私は貴方の幸せを羨ましく思うわ。と心の中で苦笑いをする。
「気にする必要ないわよ。ミアだって可愛いもの」
「ふふん、お貴族様のお墨付きの可愛さ。引く手あまたね!」
ふふ、と思わず笑ってしまう。ミアの婚約者か。と考えてエータ―の顔が浮かびかける。ダメダメダメ。こんなかわいいミアを裏切る様な男に絶対に渡さないんだから。ソフィア……なんて私を呼ぶボロボロのミアなんて見たくない。
「ミアは大切なお友達だから、相手は厳しく判断させてもらうわ」
「キャー! ソフィーのお眼鏡にかなう王子様はいるのかしらッ!」
彼女の底なしの明るさを見ているとほおが緩んでくる。川に落ちたあの時に心身ともに凍り付いたと思っていたのに。彼女は私の太陽だな、なんて詩的な事を思って、またふふふと笑う。だからこそ、本当に力があるのなら、この村の為に、なによりもう一度幸せを教えてくれたミアの為に役立てたいと思う。……でも。それでもやっぱり、エータ―に復讐したいとも思ってしまうのは嘘ではない。だけど、彼は飽くまでも勇者だから、この程度の力ではきっと敵わない。だからせめてミアを助けられるくらいの力を付けておかなくては、と心の奥底で決意を固めた。
ミアの家に戻るとテノーさんが出迎えてくれた。それを見るとミアはトタトタと走っていき、テノーさんに元気よく話しかけた。
「父ちゃん! 聞いて聞いて! ソフィーがね——」
あっ、と思う前にミアは酒場で有ったことを全て話し始めていた。
いや、別に隠す必要もないけれど……いや、でも。なんて思っているとテノーさんは目を輝かせ始めていた。夢見る少年のような眼だ。
「ソフィア殿はお強いんですな! もしよろしかったら今度はぐれオーク狩りに行きませんか!? 私、武闘派の方の戦い方が——」
「あら、あなた、ソフィアさんはまだ傷が完治していないんですよ?」
玄関からアルさんが出てきて薄く張り付いたような笑顔を保っている。あ、この人強い女の人が好きなんだと直感で理解する。お尻に敷かれてらっしゃるのだろう。アルさんは元冒険者だと言っていたのも思い出す。それを見たテノーさんはたじたじで額に脂汗を浮かべながら弁明し始めた。
「ア、アル……いや、これはだな、傷が完治してから……と」
お家芸を見せられているのか……? と苦笑いをする。とは言え、私はまだ自分の力が何かさえ理解できてない。牙を研ぐには絶好のチャンスではあるまいか。と思う反面、いきなりオークは危険かもしれないと安全面を考える私で葛藤していた。もう死ぬような危険は冒したくないとも思う。だから是非、と二つ返事にはいかなかった。そんな時バタンと音を立てて玄関からもう一人、ひげを蓄えた隻眼の老人が杖をつきながら現れた。
彼の姿を見た途端、頭からつま先まで雷に打たれたような衝撃が走り、姿勢が正されるような錯覚を覚える。国王にも似たような威厳に、私は思わず膝を付いていた。自分より身分が上の者に対して直感的に判断して相応の態度を取ってしまうのは、貴族教育の賜物である。
爺ちゃん! とミアが呼ぶので敵ではないと理解しているのに、茫然、焦燥、警戒、と私の脳は段階的に相手が唯のお爺さんでは無いのだと警鐘を鳴らしていた。
「かっかっか、儂をそのように敬わずとも好いわい小童! だが気に入ったぞ。ソフィア。奇特な星よ」
彼は自らをオルディネと名乗った。テノーさんは彼の末の息子だそうだが、兄たちに会ったことが無い事、そして彼が幼いころからオルディネは老人であったことを語ってくれた。
そのことを尋ねても父は話してくれないのだ、と。
私達は温かい家の中に入り、更に私はオルディネの部屋へと招かれた。ミアも入りたがっていたが、彼はこの子と話がしたいと、ミアを部屋へと入れようとしなかった。
お義父さんに見つかったら敵わないわね、とアルさんも紅茶をいれて私とオルディネさんを部屋に残し扉を閉めた。言外に頑固な爺さんだと言っているようなもので、くすりと笑ってしまう。
「聞こえずの魔法を使っておる。彼奴等には何も聞こえんだろう」
そう言ってオルディネは杖を魔法で奥へとやり、椅子へと深く腰掛けた。壁にかかる見たこともない調度品の数々、古めかしく錆びついている物や、見知らぬ国の勲章など、珍しい物ばかりであった。特に貴族で外交的な教育を受けた私に見知らぬ国というのは無いと思っていたので、正直しょんぼりする。勉強が足りなかったのか……と。その様子を見たオルディネはふん、と鼻を鳴らし、いじわるそうな顔をして、
「初めに言う。まだ儂はお主に話せることは少ない。だが、お主が求める復讐に協力する事も出来るし、夜の星……ガロテリアの意味だって知っておる。だが、それを教えるには時期早々という訳よな」
そう言われて鼓動がどんどん早くなるのを胸に手を当てずとも感じ取れる。復讐をしたいことは今までの私の話を聞いていていれば分かるかもしれないが、ガロテリアと言われたのは生死をさまよった夢の中の出来事であって、目の前の老人が知っているはずがなかった。
「何故、そのことを……?」
「耄碌ジジイの戯言じゃよ! かっかっか!」
聞いてみても目前の好々爺は何も答えはしない事はこのやり取りで理解できた。しかし、老人は私が不安になっているのを感じ取り、心配する必要はない、とも付け加えた。敵ではない事だけは信用しろ、と。それ以外は疑ってくれて構わないとも付け加えたところで、私については何でもお見通しなのだろうと思い、切り替えて逆に質問をかえす。
「それで、私にそれを伝えてどうしたいんですか」
「それはお主が決めること。望むなら、儂が鍛えよう」
そういうオルディネはパイプに火をつけ、悲哀にも似た笑顔を私へと向けた。
それは得体のしれない魔物ではなく、誰かを愛する人間の顔であるようで、敵ではないのだろうと思わせるには十分な哀愁を漂わせていた。ただ、目の前の老人がただものではないにせよ、戦闘を教えられるほどの力が残っているかと聞かれれば、無さそうだと思うのが正直な感想だった。
「見たところ、お身体は衰えておられますが……」
「なに、若造を鍛えるのには丁度良い具合じゃよ」
煙を苦そうに吐き出して、若造はすぐ外見で判断するのぅ、と部屋の隅に置いてある植木鉢に魔法で水をやった。遠くの距離にある魔力を扱うのは難しいのだと幼いころに教本で読んだ覚えがある。驚くべきことに難易度の高い魔力制御を極当然のように行い、詠唱を介さない無詠唱魔法で植木鉢から一滴も水を零さなかった。それを見せられて彼の実力を疑う必要などない、と納得した。
「なっ……」
「期待しても無駄じゃぞ、ソフィアよ。お主と属性魔法は縁遠きもの。自分が一番わかってるじゃろ?」
まぁ、ガロテリアと儂がハッキリ認識できるほどには強いなにかが見えるがな。と付けくわえた。確かにこの老人に習えば適性のない私でも、と思ったがそれは淡い期待だったか、としょんぼりする。
カカカと笑い、その代わりと部屋の奥から先のとがった木の棒が飛んできた。私の顔の横を通り過ぎるように槍が飛び、扉に刺さりそうになったのを、おっとっととオルディネは止める。
「お主、ミアを守りたいんじゃろ。今のくらい止めんか。さて、明日の朝早くから鍛えるぞ。まずは基礎からじゃ」
お主も早めに寝ておれ、と言って私に木槍を渡して老人は布団へと潜り込んだ。緊張からか妙に乾いた喉を紅茶で潤して木槍片手に部屋を後にした。扉には耳をしっかりと張り付けたミアが居り、うわっ、と声を挙げて驚いた。あっぶな、槍刺さってたらどうするのよ。あのクソジジイ私の責任にしたよね……。
「んもぉ、お爺ちゃんったらまた防音魔法ね? ぐぐぐ、私の友達なのに……」
悔しそうなミアとオルディネにされた話をするとついていく! と夕食を取りながら彼女は言った。
アルさんは溜息を吐きながら、頑固なお爺さんでごめんね、と頭を撫でてくれた。テノーさんは村長としての仕事が早くに終われば夕方にでも見に行く、と言ってくれた。
「じゃあ、私お母ちゃんのお弁当食べたい!」
「ふふ、ですってあなた。夕方には用意して待っていましょうね」
と、矢張り言外に仕事を早く終わらせろと忠告するアルさんにテノーさんはたじたじである。楽しい夕食の時間が終わると、オルディネの忠告通り早めに寝た。
翌日、身体に恐ろしいほど冷たい水を掛けられて飛び起きる。
「かっかっか! 雪解け水じゃ! さぁ行くぞソフィアよ。後で駄々をこねると困る故、ミアは既に馬に縛り付けておる。さぁ出かけようぞ!」
窓の外を見るとまだ月が高い位置にあった。何が朝早くだ。これは夜遅くというのだ。やはり耄碌していたか! 寝起きが特に悪い私はぶつくさと文句を言いたい気持ちを抑える。完全に呟いたと思うが。でも、私はミアを守らなくてはと、のそのそとオルディネについていった。その意気やヨシと言わんばかりにニッカリ笑う爺様は、なんだかんだミアに似ている。それがどうにも複雑に思えた。
村を出てしばらくした場所には広場の様な物が広がっていた。別になにかあるという訳でもなく、本当に唯の空き地と言った感じだ。夏などに南の国から入る隊商は村にはいりきらない場合があり、荷物なんかや馬、一部人員をここに置くらしい。今は冬なので完全な空き地になっているようだが。
私と同じような木槍を片手に仁王立ちするオルディネは槍について話し始めた。
「その木槍で敵に傷を負わせるには、突き刺すのが最も効率的じゃろうし、投げるのも良い選択だと言える。しかし儂の持っておるコレよろしく、もっと価値ある槍になると使い捨ての投げ槍など、出来ぬものよな」
そう言って彼は木槍に何かの力をまとわせた。
「そこで使えるのは二つじゃ。近距離槍術を習得するか、投げやりが戻ってくるようにするか、だ」
そういって彼は槍を投げると風を強く切り裂きながら暗闇の中に消えていったが、しばらくすると再び遠くから風切り音が聞こえ、槍が彼の手元へと吸い込まれるように戻ってきた。それをしっかりつかむと、彼は槍を地面へと突き刺した。
「これは魔力ではない力故、適性のないお主にでもできる術じゃ。」
そういう彼は槍を思い切り振ると、何かの液体が飛び散る。何かを殺したのだろうか。
「まぁ、しばらくはこの力が何かを推察するところから、じゃのぅ?」
彼はそう言うと、また豪快に歯を見せて笑う。なんか悪がきを見ているかのようなニッカリ具合に苦笑する。と、いう訳で訓練を始めたのだが言うまでもなく無謀な事をしている。目の前でこうやって槍にまとわせるんじゃ! と実演されたところで、こうやってが分からないのだから。それで、どうするんですか? と聞いても、「こう、ぐーっとやってガーってやったら出来るじゃろ!」と怒鳴るのだ。スパルタか、パワハラか。厄介極まりない投げやりの訓練だった。まずは、その力を確認するところから始めないといけないのだから。空気を知らない赤子に、空気はぶわーってなってるやつ! とか言っても理解できないのだ。人間ってそういう生き物だと思う。
やがて月が沈み、星が霞み、日が昇り、ミアが起床し、ミアが朝食を食べ、日が高く上り、ミアとオルディネが仲睦まじく昼食を食べ、日が沈み、再び月が昇ったときには私の脳は考え疲れ、とりあえず戻れとか念じながら槍を投げまくっていたので身体的にもくたびれて倒れていた。
「かかか、まぁ頑張ったのぅ。ほれ、ミアからも応援してやれ」
「頑張れソフィー!」
ぜぇぜぇ、と息を荒くしている私をオルディネは馬へと乗せ、村まで運ばせる。
その調子だと、ニコリと笑って。
そんな日々が三日、五日、一週間と過ぎたころには私とミアの仲は友達の枠を超え、親友と言っても差支えはないほどにはなっていた。
朝起きるときにはミアに雪解け水を掛けないように一度私を外に出してから掛けたときは、流石にこの老人が私にトドメを刺しに来たエータ―の手の者ではないかと疑ったものだが、ようやく、槍は投げても再び手元へと戻るようになっていた。
「及第点じゃ。ま、遅い方じゃがのぅ。木槍は卒業じゃ。この鉄槍をやるわい」
「あ、お爺ちゃん? これ私が買ったんだからね!」
「おお! そうじゃったそうじゃった。儂の可愛い孫娘が買ったんじゃ。無くしたら……のぅ?」
のぅ? ってなにさ、怖いな。でも、そんな所は妙にミアに似ている気がしてふふふ、と笑みがこぼれる。ミアは不思議そうな顔で私を見ていた。
それでも、まだあの力が何かを、私は理解しきれていなかった。そうして、今日も訓練の時間を終えて家に帰る事になってしまった。今日のミアは私の後ろへと乗った。偶にはね、と笑いながら。村へ帰る途中、私に今日の晩御飯はなんだろうね、と彼女が話しかけてくる。一週間一緒に居て気付いたが、彼女は結構食いしん坊なようだ。私お肉が良いなぁ、と星を見上げて呟くと、それ昨日も言ってたよ? と同じく彼女は星を見つめた。
「ねぇ。ソフィー」
「なぁに、ミア」
「星ってさ、なんであんなに空高くに居るのに、落ちないのかな」
「……さてね、神さまが魔法をかけているとか?」
「いいや、神は魔法など使わんじゃろう」
二人の会話に急にオルディネが混ざってきたので驚いた。ふむ、と呟くオルディネは私達の馬を止め、今日はもう少しだけやるか。と呟いた。門限を破る事になる、と言おうとしたが、ミアはその背徳感が堪らないと見える。その眼は星よりもきらきらと輝いていた。守ってきた約束を初めて破る時って、冒険している気分が妙に楽しいものだ、と初めて夜更かしした時を思い出す。人の事は言えないな、と。
「流石わが孫、あの言葉を糧にお主は槍に力をまとわせてみよ」
あの言葉、とはさっきの星の話だろう。何故落ちないの? か。昨今では神話は中々おとぎ話として聞かされない世の中、私は思い悩んでいた。なので発想を変える。自然界の当然は、なぜ起こるのか、と。勿論、科学とかなんだとか、そんな研究結果は知っている。隣国は魔導科学大国だもの。
木から何故りんごが落ちるの? どうして飛び跳ねても地面に戻ってくるの、と。
その答えは重力と隣国は言う。重力とは何か。星の持つ力、それは万民も持つとかなんか言ってた気がする! 万有引力だっけ。私はそれほど科学に明るくないのだけど、その答えには思い至る。
「星は神であり、神もまた星じゃよ」
環境には常に流れるエーテルがあり続ける。それは局所的にエーテル溜まりなどという場所はあるけれど、全世界どこでも繋がっていて、とめどなく流れ続けているのだとか。まるで脳内のシナプスのようだとは、誰の談だったか。
と古い記憶を探りつつ、環境エーテルを探す。それは例えづらいものだが、気配に似ているかもしれない。誰かがそこにいると振り返ってしまうように。陽光のエーテルが無い分、その気配をすぐに察知出来た。あとはそれを自分の制御下に置くだけだ。流れていく水から薄い膜を手にまとわせるような事なもので、非常に難しかったが、ミアの声援を聞いて頑張った。色濃い月が薄く高い場所へと行ってしまったが。
手に戻ってきた槍を掴み地面へと突き刺した。オルディネは満足そうに頷き、無事に訓練が終了となる。私は、やりきったようだ。ミアが駆け寄ってきて抱き着いてくる。見た目通り非常に軽い彼女を持ち上げるのは……疲れ切った私には無理だった。
どさりと二人で倒れこんだのがおかしくっておかしくって。つい大笑いすると、彼女も釣られて笑ってくれる。あぁ、ママ。私生きてるよ、と流れてしまった涙を月光から遠ざけながら。
ぎゅっとミアを抱きしめてから馬へと乗る。さっきと同じく相乗りした。
今度は私が、何か言いたくなって口を開く。
「ねぇ、ミア」
「なぁに、ソフィー」
「私ね……いや、なんでもない」
言おうとした言葉が妙にこっぱずかしくて飲み込んだ。今言ってしまうと割れてしまうんじゃないかって不安がまだ胸の中にあったからかもしれない。
ちらりと視界の端にオルディネを捉えると、口パクで言ってしまえと伝えてきていたのが癪だったっていうのも嘘では無いのだが。人の心を簡単に読むな。感情は簡単な物じゃないんだぞ。
「なによぉ! 気になるじゃない! ふふふ、じゃあ、ソフィーが言いたくなったら、その時に言ってね」
言う決心がついたよ。ありがとうと心の中で呟いて。
背後から聞こえるご機嫌な鼻歌で掻き消えるように、ちいさな、ちいさな声で。
儚く飛んで行ってしまいそうな花弁を風から守るように、古い歌の一節を大きな決意で口にした。