夜の星は生きてこそ
目が覚める。戻った視界をこれでもかと振り回し、ここが何処かを確認しようと尽力する。
どこまでも深く暗い闇の中にぽつりと建った神殿のような場所、というのが私の把握できる限界だった。ただ、いくら能天気な私だとしても、ここが地獄だとか、あまり縁起の良い場所じゃなさそうなことくらいはすぐに分かった。それと共にあぁ死んだんだな、とも思った。生きてと言った母親に合わせる顔は無いけれど、でも再会したら笑って許してくれるかな、と考えたところで、幸せは二度と戻らない事がどうしても悲しくて涙が出てくる。
「「ねぇ、何故夜が嫌いなの?」」
その時、脳に直接響いているのではないかと思うほど様々な方向から魔法語が聞こえてくる。魔法語は古の時に使われていたとされる言葉で、今では魔力を形へと変えるための手段だと家に置いてあった本で読んだ覚えがある。まぁ魔法に縁のない私には特段覚える必要のない言葉だったのだけど、死後に使うならもっと覚えておけばよかったかしら。なんて思ったが聞こえてくる魔法語を私はどうやら直感的だか本能的だかで理解できているようだった。
「えーっと、アリス語で話しても分かってくれるかしら……?」
「「うん、想いは言葉が変わる前。私は貴方を知る事ができる。」」
ただ、何を言っているのかが分かるとはいえ、相手の言い回しが古めかしいのか、私には何を言っているのかを理解するのが難しかった。矢張り父に習っておくべきだったかも。
声の主はどうやら女性の様で、私の頭を子を宥める親のように撫でてくれた。慈悲深い海を彷彿する穏やかな青い髪色は、こんなに暗くて底冷えするような闇の中でも、凍り付いていないように思えた。
「「あなたは闇の力を手に入れた。覚えておいて」」
「どういうこと!? 私は、私は死んだんじゃないの? というか貴方は誰なの? どういう状況なのよ!」
「「生きなさい。。私の夜の星。」」
暗き神殿は刹那、激しい静寂が闇を包み込み、強い光に包み込まれた。彼女ともう少し話していたいと思い、手を伸ばすと彼女は微笑んで私の手を握った。
「「旅立つあなたに、少しだけの力を」」
アリス語、合ってる? と続ける彼女に、私が返答できる時間はなかった。
「げっほ、げほごほ」
肺の中にたまった血液を吐き出したのか、ふわふわのベッドを赤黒く汚してしまう。全部吐き出した後、思い切り息を吸い込み起き上がる。
私が着ていた服は脱がされ、枕元にある台に置かれていた。ローブを着せられている為腹部を見ることは出来ないが、動けばズキッと鋭い痛みが走るものの、傷口はふさがっているようだった。見渡すとここは簡素な木造の家の一室。小さな一室だったが、窓に暖炉とついているのを見ると、ある程度の地位のある人が家の主なのだろう。窓の外を見ると未だに雪が降っているようなので、私がエータ―の凶刃に倒されてあまり時間がたっていない事が伺い知れた。
私の咳が聞こえたのか、奥からドタドタと激しい音が聞こえ、バタンという大きな音を立てて扉が開かれた。扉の前には私と同じくらいの年齢の女の子が立っていた。この国では珍しくはない黒髪をカチューシャで纏め、端正な顔立ちをしている彼女は私と目が合うとゆっくりと口角を上げていった。
「よ、よかった……! 母ちゃん! 父ちゃん! あの人が起きた!」
女の子は私が声をかけようとした途端慌ただしくドタドタと来た道を戻って行った。その落ち着きのなさに思わずぷっと吹き出してしまう。しばらくすると渋く口ひげを蓄えた男性と、落ち着いた雰囲気の短髪な女性がやってきた。彼女の両親だろう。二人とも彼女と同じく黒い髪をしていた。
「良かった、一時はお顔が真っ白になられて息も止まる寸前まで衰弱していらっしゃったので、目を覚まされて一安心です」
そんなに私は弱っていたのか。まずは彼らに傷の治療をしてくれたことを感謝しなくては。
「ありがとうございます。私自身死を覚悟したので、救っていただけたことを深く感謝いたします。それで……私が眠っている間に何があったかお教えいただいてもよろしいですか……?」
勿論です、と言った男の背後から隠れるようにチラチラと私を見るさっきの女の子が妙に可愛らしい。これどうぞ、と母親らしき人がシチューをくれた。具材が全て細かく切られており、しばらく何も食べてない私の胃を温めてくれそうだ。
有難くシチューに溶け込んだ野菜や鳥の旨味を堪能しつつ、話に耳を傾ける。
彼の話では私は川で魚を捕ると張り切って出かけた娘(彼女はミアというらしい)が魚の代わりに私を連れ帰ってきたのだという。腹部は割け、血が止まらない状態だったのを習いたての回復魔法で止めてくれていたようで、出血を止めていたのが幸いし、死と生をしばらく彷徨っていたようだが、元冒険者の母親(アルお母さんと名乗っていた)が回復を付きっきりで掛けてくれたようで、山場は持ちこたえたらしい。
そこまで聞くとミアにぎゅっと抱きしめられた。困惑しつつ彼女の両親を見ると、なんかすげー慈悲深い顔してる。その悲しそうな顔を見ると笑えない状況だったんだ私、って思うとあの状況から生き残れたんだ、と嬉しくなるのと、信頼してた人から裏切られた悲しさが心の中で渦巻いてしまう。しばらくは誰も心の底から信頼できそうになかった。
だから、助けてもらったとは言え、この家族のことだって、と思ってしまう自分がどうにも嫌だった。でも、裏切られるのはもっと嫌だった。
そうやってボーっとしていたのが、困惑と取られたのか、アルお母さんにもぎゅっと抱きしめられた。母のぬくもりに近くって、思わず涙が出そうになってしまう。そこから彼女が私の背中をポンポンと撫で、優しく笑う物だから、私は多分また大泣きした。信用は出来ない。だけど、近くには居ていいたちだと、優しい心が教えてくれた気がするのだ。
一通り泣いた後、今度は私の事情を話した。父母が勇敢に戦って私を逃がそうとしたこと、私を殺そうとしたのは勇者だったこと。同時に聞きたいことも尋ねた。あなた方は誰で、ここは何処なのか。アリスノート伯爵領の今と、勇者の噂はどうなっているか。
父親であるテノーさんはこのノットン村の村長だそうだ。ノットン村はアリスノート伯爵領の中でも辺境でこそあるものの、その伯爵家南方に位置するらしい。川で言えば下流に流されたという訳だ。数日前、アリスノートで起こった大規模な事件は、上手く逃げ出した一部の領民が伝えたようで、王都の方でも既に話題になっているらしい。私の両親の死亡は確認され、現在は王国直轄領となっていると言う事が新聞で伝えられたとか。ただ、逃げた領民の大半は襲撃者を確認せずに一目散に逃げたものだけであると報じられたらしく、事件はエータ―が起こしたことは知らなかったとテノーさんは語ってくれた。
真実を話さない理由は幾つか考えられるが、勇者が味方であるアリステン貴族を殺したと伝われば大混乱を招くと判断したのだろうか。それとも、何か大きな陰謀に巻き込まれてしまったのだろうか。
考えながらシチューを食べると、鶏肉の甘い旨味が口に広がり、思わず微笑みかけてしまう。そんな私をアルさんがほほえましそうに見ている事に気付き、小恥ずかしく思いながら、口を開こうとするとミアにさえぎられた。
「ソフィアちゃん! この村を案内してあげるね」
こら、とテノーさんが止めるが、もう大丈夫ですと答える。傷はまだ痛むが、なんだか力が湧いてくるのだ。夢の中で見た彼女が与えてくれたものかもしれない、と冗談めかして考えると、なんだか可笑しな気持ちになる。
王都には私の存在を伝えないでおいてと言う事だけを伝え、元気よく家を飛び出す彼女を追いかける。もしこの家族が裏切って伝えてしまったときに逃げ道や馬などが居る場所を確認しておくのも忘れずに。
ノットン村はそれほど大きな村では無いものの、悪くない村だとは思った。都会にあるような呉服店や冒険者ギルドのような村にあるような施設こそないものの、冒険者の為の施設は充実していた。武器屋や防具や、日常品を売っている店や宿屋なんかは看板を出している。勿論、厩もしっかりとあったので、位置を記憶しておく。ふと道の奥を見ると、今日は寒いからか酒場から温かい光が漏れ出ていた。繁盛しているみたい。
伯爵領……元伯爵領は冬が寒い地域の為、石造りの家が多い。だからこの村では木造の村長家は大きさも相まって目立っている。そんな中から私が出てきたのを見てこそこそと、こちらを見つつ噂話をする奥様方に若干不快感を覚えつつ、ミアについていく。貴族出身の私は体系の分かり辛いローブを着ていてさえ、どうしても胸が強調されてしまうのが、少し悩みどころだった。
「ここの酒場のじゃがいも、バターで焼かれててすごくおいしいんだ! 一緒に食べようよ!」
そう言われ手を引っ張られる。さっきシチューを食べたばかりだと伝えようと思ったが、数日なにも入れていなかった胃は、食欲を取り戻していたようでぐぅと鳴る。今はお言葉に甘えて一緒に食べさせてもらう事にしよう。
酒場の中は雰囲気が良く、暖色系の光がともっていた。武骨なデザインの机がシンプルで落ち着く。鼻腔をくすぐるアルコールの匂いは大衆酒場という感じで、見渡せば冒険者らしき人々も見かける。商人らしい人も多く、この村が拠点として機能しているのだと分かる。
「おじちゃん! じゃがバター二つ! 大きいのでお願い!」
「ミアちゃんのお友達も一緒かい? へっへ、サービスしなくちゃァねぇ」
「あっ、私にはウィスキーをお願いできるかしら?」
「こっちの嬢ちゃんは飲める口かい。料理と一緒に運ぶから待ってなね」
そういって店主はじゃがいもを調理し始めた。まだ心を許しきれてないミアの前で、酒を飲むか悩んだが、人を疑う事に疲れてしまいそうで、逃げ出したい気持ちから頼んでしまった。それなりに大きい酒場だが、彼一人で経営しているのかかなり忙しそうだ。当の店主は嬉しそうに仕事をしているから天職につけているのかもしれない。
ミアが好きな食べ物を聞いてきたりするので、スイーツよ、と返しておく。本当はお肉大好きだけれど。そんな他愛のない会話を続けていると、心の奥でエータ―ともこうやって話していたな、と思い出してしまい頭が痛くなる。この天真爛漫な少女と嫌な思い出が重なってしまうのが怖くて、思い切りお酒を飲んで忘れてやりたかった。
「はいお嬢ちゃんがた。お待ちどうさん」
わぁ、と歓声をあげたミアがいただきます! とじゃがいもを頬ばった。とても熱かったようで、ぼふぉ、と言いながら口から白い煙が上がる。ほふほふと涙目で熱さから逃れようとする彼女はすごくかわいかった。それをつまみにお酒を呷る。小動物を見ているようだった。
と、感傷に浸って数分して、ようやくじゃがいもが手を付けられる温度に下がってきたと思ったら、酒場の扉がドタンと開き、ガラの悪そうな男が入ってきた。腰にサーベルをつけ、首にはネズミの刺青が入っていた。今度は本当に小動物かもしれない。
ミアが小声で、山賊の人だから目を合わせないように、と震えながらジャガイモを見ている。それが妙に庇護欲を掻き立てる。お酒の酔いが回ってきたのか、この時の私は信頼云々はとっくに忘れてしまっていた。お酒の良いところでも悪いところでもある。
「オイオイ、座るところがねぇじゃねぇか! どうなってんだ店主ゥ!」
「いやァ、すまんな。見ての通り盛況でよ」
「俺様が来たってェのに、座るところがねぇとはなァ?」
そう言って店内を見渡す彼の視線が私たちの方で止まったのが分かった。
「おォん? こんなに小さなお嬢ちゃま達ががいっちょまえに一つ席を取ってやがる」
ミアが怖がって目をぎゅっと瞑った所を見て、目の前で品もなくいっちょまえに喚く山ネズミが余計腹立たしいものに感じる。第一、貴族が山賊如きにおびえる訳ないし。なによ、ミア小動物に手を出そうものならボコボコにしてやるんだから。
などと思いつつ、お酒を飲む。既に瓶の半分近くまで空になっていた。
「あらマァ? 片方はそんちょーサマの娘じゃないですかァ? こちらはお友達さんですかァ?」
下卑た笑いを浮かべた豚山賊はそう言うと足で机を蹴り飛ばした。勢いよく倒れた机の上に置いてあったお皿や瓶が音を立ててガチャンと割れる。同時に酔いが祟って私の怒りも破裂してしまった。
私のじゃがいもと、ウィスキーが、台無しじゃない! こんのクソ豚ァ! 何が山賊よ偉そうに! こちとら貴族だわ! やろうと思えば合法殺人出来る身分よ、覚悟なさい! 幼いころから暇な時間で柔らかくした身体で必殺のノブレスオブハイキックを見せてやるわ! お貴族様キィィィィック!
「お食事がだいなちでちゅ、ぶっふぉぁぁぁぁぁ!」
足を思い切り振り上げると、彼の顎が黒色の爆発で粉砕された、だけでなく2メートル近い体は30センチほど浮かび上がり、蹴りをかました私自身が驚いてしまった。その驚きで半分酔いが冷めた。確かに母から自衛手段は持っていた方がいいとは言われたが、こんなに力が強かったわけではなかった。私の身体に何が起こった? と考える間もなく巨体が酒場の床へと崩れ落ち、酒場から歓声が上がる。
「ソフィー! あなたすっごく強いのね! かっこいい!」
と、ミアはぴょんぴょんと跳ねて喜んでいた。崩れ落ちた山賊は手下に運ばれていき、再び酒場には平穏が戻った。お嬢ちゃんやるなァ! と店主はニコニコとサービスの品を沢山置いてくれた。酔った勢いで蹴ったとはいえ、流石にあれほどの力が私にあるわけでは無かったはずだ。死にかけていたあの時に見た光景で「闇の力」とか、「少しだけ力を」と彼女は言った。あの場所は夢では無かったのだろうか? あれは生きるための力を比喩的に言ったのではなく、本当に何かの力を与えられたってことだったの?
「食べないの? ソフィー?」
そう聞いてくるミアの声で、今はこんなことを考えても仕方がないと我に返る。
ほくほくのじゃがいもを私は頬張った。最悪な失敗だったのだが。
熱すぎて涙目になる私を見て笑うミアにムッとして、彼女のほっぺたを引っ張る。ぷぇーという気の抜けた声を彼女が出したので吹き出してしまい、こんな子を疑ったって仕方がないなと頬が緩む。すると彼女は「やっと笑った!」と破顔した。そんなやりとりがおかしくて、二人で涙が出るほど大笑いしたのだった。