第17話『また会おう-後編-』
「文香君の御両親は予定通りに名古屋へ向かったか」
「ええ。文香と速水家4人で見送りました。文香は寂しそうにしていました」
午後になり、俺はマスバーガーでバイトしている。
百花さんと一緒に、2時間ほどホールの仕事をし、今はスタッフルームで休憩中。休憩を初めてすぐに萩原店長がスタッフルームに来たので、百花さんと店長に午前中のことを話したのだ。
「これからは大輝君が文香ちゃんを支えていかないとね」
「ええ。文香の御両親にも言いましたけど、幼馴染として、一緒に住む人間として文香を支えて守っていくつもりです」
「おぉ、かっこいい」
「かっこいいねぇ。あの小さかった大輝君がねぇ。本当に頼もしい存在になったねぇ」
「バイトでも頼もしい存在ですよねぇ」
百花さんと萩原店長は楽しげな様子でホットコーヒーを飲む。これからしばらくの間は、休憩のときの話題は文香のことばかりになりそうだ。
「そういえば、夕方に千葉へ帰るときに、姉がここに寄ると言っていました」
「そうなんだ! 楽しみだなぁ」
楽しげな様子で言う百花さん。俺のことを含め、和奏姉さんとは連絡を取り合っているみたいだし、会うのが楽しみなのだろう。一昨日、姉さんがお店に寄ったとき、百花さんはシフトが入っていなかったし。
それから10分ほどして、百花さんと俺は再びホールの仕事を始める。和奏姉さんに会えるからなのか、百花さんは今日のバイトを始めたとき以上に元気だ。百花さんが担当する隣のカウンターで接客していく。
「こんにちは、お兄さん」
「いらっしゃいませ。いつもご利用いただきありがとうございます」
常連客の金髪ショートボブの女の子がやってきた。今日は3人の女の子と一緒だ。友達だろうか。
何を頼むのか4人が話す中、金髪の子は「あんな」という言葉に反応する。なので、彼女の名前は「あんな」ちゃんと思われる。
4人ともそれぞれが好きな飲み物を注文し、みんなで一緒に食べるのか、ポテトとオニオンリングの入ったバラエティパックも注文してくれる。ちなみに、金髪の子が注文した飲み物はアイスティーのLサイズ。
注文したメニューを渡すと、金髪の子達は近くのテーブル席に座り、楽しそうにお喋りを始めた。そんな彼女達から癒やしをもらいながら、接客の仕事をしていく。
「お疲れ様。今日も大輝はバイトを頑張ってるね」
「お、お疲れ様、大輝」
夕方になって、来客の数もだいぶ落ち着いてきた頃に、和奏姉さんと文香が来店。まさか、文香まで一緒に来るとは。文香は頬をほんのりと赤くし、俺のことをチラチラと見ている。
「姉さんはここに来るのは聞いていたけど、文香が一緒だとは思わなかったな」
「わ、和奏ちゃんを見送りにきたの。あとは、ひさしぶりにここでゆっくりしようかなって。……大輝のバイトが終わるまで、紅茶とか飲みながら待っていてもいい?」
「あ、ああ。文香さえ良ければ俺は全然かまわないよ。今日のバイトは午後5時に終わる予定だから」
「分かった」
文香がお店にいてくれるのはとても嬉しいことだ。バイトが終わるまであと1時間くらいだけど、最後まで頑張ろう。
「百花ちゃんもお疲れ。帰る前に会えて良かったよ」
「うん! あたしも和奏ちゃんに会えて嬉しい。元気そうで良かった。文香ちゃんもこんにちは」
「こ、こんにちはです」
「これから千葉に帰るんだけど、大輝がバイトしているからその前に寄ろうと思って」
「大輝君から聞いてる。今回の帰省はどうだった?」
「とっても楽しかったよ! みんなでお花見をしたし、フミちゃんと一緒にお風呂に入ったり、寝たりできたし。大輝ともね」
和奏姉さんがそう言うと、百花さんは「へぇ」と言いながら、悪戯な笑みを浮かべて俺を見てくる。くそっ、よりによってバイト中に一緒に入浴したり、寝たりしたことを言うなんて。恥ずかしいけど逃げられない。
「大きくなっても、大輝君が大好きなのは変わらないね、和奏君。文香君もこんにちは」
「こんにちは、店長さん」
「こんにちは」
気付けば、萩原店長がカウンターに出てきていた。店長にまで聞かれてしまうとは。より恥ずかしい気持ちになる。
「大輝君から聞いたよ。今日、御両親が名古屋に引っ越したそうだね」
「はい、お昼前に。もうそろそろ新居に着くんじゃないかと思います」
「そうか。力になれるかどうかは分からないが、私にも遠慮無く相談してくれていいからね」
「ありがとうございます」
微笑みながら言うと、文香はゆっくりと頭を下げた。店長は小さい頃から文香を知っている。きっと、文香にとって心強い存在になると思う。
「はーい、ありがとうございました」
「……姉さん、何を買ったんだ?」
「ベイクドチーズドルチェの10個入りBOX。あたし、これ好きなんだよね。千葉に帰ったら、大学の友達と一緒に食べるつもり」
和奏姉さんはマスバーガーの紙袋を持ってニッコリ。そういえば、和奏姉さんは昔からベイクドチーズドルチェを買うことが多かった。
「じゃあ、あたしはそろそろ千葉に帰るよ」
「ああ。またな」
「またね、和奏ちゃん。今度帰省したときは、ゆっくりとお話ししたいな」
「和奏君、またね。今後の大学生活も頑張りなさい」
「またね、和奏ちゃん。楽しい時間でした。また帰省したときはお風呂に入ったり、ベッドで寝たりしましょう」
「うん! じゃあ、またね」
和奏姉さんは優しい笑顔を浮かべ、文香の頭をポンポンと叩くと、ゆっくりとお店から出て行く。そんな姉さんを寂しげな様子で見続ける文香が印象的だった。本人も楽しかったと言っていたし、帰省中は柔らかい笑みを浮かべることが多かった。だからこそ、姉さんと離れるのが寂しくなってしまうのだろう。
和奏姉さんの姿が見えなくなると、ゆっくりと俺の方を向く。
「……ホットレモンティーを1つください。シロップ1つで。それを飲みながら、大輝のことを待ってる。大輝をお持ち帰り……なんちゃって」
「……かしこまりました。250円になります。私についてはあと1時間ほどお待ちください」
「……ふふっ」
微笑む文香から代金を受け取り、ホットレモンティーを用意する。
家に引っ越してきたから、『お持ち帰り』という言葉にもほのぼのとした気分になれるけど、そうじゃなかったら色々なことを想像して、凄くドキドキしていただろうな。
ホットレモンティーとシロップを文香に渡すと、文香は窓側のカウンター席へと向かう。シロップを入れたレモンティーを飲む文香の横顔は、とても落ち着いていて大人っぽく見えた。
午後5時過ぎ。
バイトが終わって、制服から私服へと着替えていく。その際にスマホを確認すると、お店の近くで待っていると文香からメッセージが来ていた。なので、バイトが終わったからすぐに行くと返信をした。
俺は急いで着替えを済ませ、文香の待つお店の入口近くへと向かう。すると、そこには文香の姿が。和奏姉さんほどではないけど、文香を見る人がいるな。
「お待たせ、文香。一緒に帰ろう」
俺が声をかけると、文香はすぐにこちらを向いて、俺に微笑みかけてくれる。
「……うん。あと、バイトお疲れ様」
「ありがとう」
文香と一緒に、俺達の自宅に向かって歩き始める。
これまで、バイトからの帰りに文香と会って、こうして2人で歩くことは何度もあった。でも、同居し始めてからはこれが初めてなので緊張感があって。それに、両親と和奏姉さんが四鷹から離れたからなのか、文香は寂しげな表情を浮かべ、たまに小さなため息をつく。
今の文香にどんな言葉をかければいいのだろう。考えても思いつかないことに悔しさを抱きながら、俺は黙ったまま文香の隣を歩き続ける。
「……ごめんね。バイトが終わったのに、何度もため息ついちゃって」
「気にするな。それに、両親と離れて、仲のいい和奏姉さんとも別れたんだ。そうなるのは無理もない」
「……うん」
ゆっくり首肯すると、文香はその場で立ち止まる。そんな文香の両目には涙が浮かんでいた。そんな姿を見て、胸がチクリと痛む。
俺が持っていたハンカチを出すと、文香は「ありがとう」とお礼を言って受け取り、涙を拭った。
「お父さんとお母さんが名古屋に引っ越して、和奏ちゃんも千葉に帰っちゃった。それが凄く寂しくて。一人で帰りたくなくて、大輝がバイトを終わるまで待っていたの。家に帰れば、優子さんと徹さんがいるのは分かっているんだけどさ」
「文香……」
「……凄くわがままだね。東京に残りたいって言って。いざあたしだけ東京に残ったら、寂しくなって大輝に心配掛けちゃって」
ダメだね、と文香は元気なく笑い、俺にハンカチを返す。両親と和奏姉さんと離れた寂しさと、俺に心配を掛けたことで精神的に参っているのかもしれない。
「……文香ほどじゃないと思うけど、哲也おじさんと美紀さんが四鷹を去って俺も寂しいよ。小さい頃からたくさんお世話になったから。和奏姉さんは……去年に比べればマシだけど、ちょっと寂しいな」
「大輝も寂しいんだね」
「ああ。だけど、もし文香も一緒に名古屋に引っ越していったら、凄く寂しい想いをしていたんだろうな。……文香のわがままのおかげで、俺は今、文香の隣を歩けているんだ。帰る場所が同じになって。明日からも文香と一緒にいられる。2年生になってからも同じ高校に通える。俺はそれを嬉しく思っているよ」
文香が東京に残ってくれて本当に良かった。もし、名古屋に引っ越していたら……今頃、寂しすぎて気持ちが沈みまくっていたと思うから。きっと、今日のバイトは休んでいただろうな。
「大輝がそう言ってくれて嬉しい。ただ……何か照れちゃうな」
赤くなった顔に笑みを浮かべながら言う文香。
思い返せば、文香に思いの丈をたくさん話してしまった気がする。それに、告白にも思える言葉選びだったなと。そう考えると、ドキドキして顔が熱くなってきた。俺も文香のように顔が赤くなっていると思う。
そんなことを考えていると、文香は笑みを浮かべたまま右手を差し出してきた。
「あとちょっとだけど、家の前まで手を繋いでくれますか? 昔みたいに手を繋げば、少しでも早く寂しさがなくなっていく気がするの」
「……分かった」
文香の右手をそっと握ると、文香は体をピクッと震わせた。その震えが繋いだ文香の手から強い温もりと共に伝わってくる。
「手を繋ぐのはひさしぶりだったから、ビックリしちゃった。でも、この感覚……懐かしいし、悪くはないかな」
「それなら良かった。じゃあ、一緒に帰るか」
「……うん」
俺は文香と一緒に再び家に向かって歩き始める。手を繋いでいるし、それまで以上に文香の歩く速さに気を付けながら。
「そういえば、大輝を待っている間にお父さんとお母さんから、新しい家に着いたって連絡が来たよ」
「そうか。無事に到着して良かった」
「あと、お母さんから新居の写真を送られたんだけど、四鷹に来る直前まで住んでいたマンションだからか、ちょっと懐かしい気持ちになれたの。昔のことははっきりと思い出せないんだけど、体の中に記憶は確かに残っているんだなって」
そう話す文香の顔には微笑みが浮かんでいた。
日も傾いてきて、空気がひんやりとしてきた。さっきドキドキしたことで発した熱が抜けてきて。同時に、左手から伝わる文香の温もりが心地良く思えてくる。そんなことを思っていると強めの風が吹いた。
「ううっ、寒い」
「そうだな。この時期になっても、夕方になると寒いな」
「寒いよね。そういえば、今日の夜中から、ここら辺は雪が降る予報になっているけど……本当に降るのかな」
「四鷹は数センチ積もるって予報になってるよな。盛大に外れるときもあるからあまり信じてなかったけど、今の冷たい風で結構降りそうな気がしてきた」
「降りそうだねっ」
そう言う文香の声は弾んでいて。昔は雪が大好きだったけど、今もそれは変わらないのかな。
雪のことを話したら、さらに寒さを感じるように。ただ、これからも文香とこういった何気ない会話が直接できると思うと嬉しくなり、胸が温かくなった。