レインⅠ 2章・魔術師③
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パタンッ。
シンとした空間に束紙の接触音が響いた。
「……やっぱり──」
俺は仮眠部屋とも言える小部屋の片隅で呟いた。
(やっぱり、俺はこれを──知ってる)
閉じた本を片手に、口元に手を添えながら勘えた。
証拠がある訳では無い。明確な記憶もない。しかし、よくある既視感なんかでは説明できないほど、明瞭にイメージが湧く。
俺は悪霊と呼ばれる存在だけではなく、どこかで神話であるはずの〈精霊〉に関わっている。それもかなり深く。
「精霊魔術師、異能魔術師共通の特徴として、自身の身体能力の大幅向上……か。あれがそうなのか」
先刻の謎の影との戦闘に感じた身体感覚のズレ。具体的には、自己感覚を上回る身体行動感。それに、言葉に変換し難い感覚もあった。不定期に起こった、違和感。その違和感を避けて間もなく、影の攻撃が素通りした。
ここまで記しと合致していればさすがに分かる。俺はどちらかの魔術師としてここに呼ばれた。そう考えれば、今回の不可解な転移も強引に納得することが出来る。英雄に関してはわからないが。
「とりあえず戻るか。あのうるさい人も、そろそろ戻ってきてると思うし」
腰を上げて自動ドアをくぐり、隣接している老人のいる部屋に戻った。
「おかえり。神話魔術書は読み終わったか?」
案の定、研究員は戻ってきていた。軽快な声が小部屋を伝って鼓膜を震わす。
「途中までですけどね」
「1時間程度ならそんなもんじゃ。どうだね」
老人はソファに座った状態で大福をたしなんでいた。
「結構興味深かったです」
(1時間も読み込んでたのか)
あまり時間を意識してなかったな──と思いながら、本、ありがとうございます。と一声掛けて本棚の元の場所に戻した。
途中、老人の隣に置いたテーブルが目に入った。
(これは……突っ込まないほうが賢明だろうな)
中華鍋と同等のサイズを誇る大皿に、大福がビッグマウンテン風に積まれている。
今の一瞬で分かった。おそらく、ここに普通の人はいない。
「よしそれじゃあ、まず自己紹介からだな。いいか?」
俺は、コクリと頷く。
その返事に、研究員の男性は眼鏡をスっと上げた。
「ぼくは中路。古森中路だ。見ての通り、ここで研究員をしている。ちなみに、これからお前さんのアドバイザーみたいなものをやっていくからな、今後諸々含めてよろしく頼むぞ」
長身の割に、意外とほっそりとした差し出された手を握り返した。
すると、2mを超す巨漢が立ち、小部屋をすさまじく圧迫した。
「儂は鳳叡山仙充郎じゃ。突然君を呼び出して済まなかった。改めて倫也君、よろしくの」
(やっぱり、デカい……)
老人──仙充郎とは2度目の握手だが、相変わらず驚くほど手のサイズが大きい。大人と赤ん坊程の差があると言っても違和感ないくらいだ。
「儂はこの〈ラギアス〉で主将をしておる。その本を読んだならもう知ってるはずだが、ここは精霊魔術師と異能魔術師の総本部と思ってもらって構わん」
仙充郎の言葉を聞いて、本の内容と結びついた。あれは魔術関連のほかに、ここの創設の歴史を綴ったものでもあったのか。古文書きでないところを見ると、仙充郎以外の誰かが書き直したと考えるのが妥当に見える。
2人の自己紹介が終わったところで、中路が首をひねった。
「本当はもう1人いるんだが……反応もないし、まだ戻ってきてないようだな」
「もう1人って、ここには何人いるんですか? 見たところ、広さの割には人が少ないようですけど」
先程の殺風景な廊下の景色を脳裏に浮かべる。だが、目が回るような白質さばかりが鮮明に型取るだけで、人とすれ違ったという記憶はない。
「研究員以外も、という括りならそれなりにいるぞ。3桁は下らんだろうな。それに、ここは本部だ。地方支部もいくつかあるからな。それも含めたら千人超えるんじゃないか?」
「そ、そんなに。結構いますね」
ここに来るまでの道に扉は数える程しかなかったのに。
しかしそういえば、あの時は中路に直接案内されたから他を見る暇はなかった。恐らく、人が入るスペースは研究室も含めたらもっとあるだろう。
そこで、先ほど仙充郎に言われた言葉を思い出した。
「あ、仙充郎さん」
「む、なんじゃ」
バクバクとイチゴ大福を頬張る仙充郎が、手を止めた。
「仙充郎さんが英雄にならないかって言ったのは、俺がその魔術師にならないかって意味だったんですか?」
ずっと喉元に引っかかっていた疑問を口にした。英雄という言葉は比喩だろう、と無理やり飲み込もうとしたが、どうしてもすっきり落ちなかったのだ。なぜ魔術師ではなく、英雄と言ったのか。
本を読んでも、英雄という単語は出てこなかったし、魔術師が英雄ならば多数いることになるが……それは嫌だ。なんだか虚しくなる。
「主将、そんな痛いこと言ったんですか」
ゴクリ──と、大きく喉から消化器官に大福が移動する音が聞こえた。
「ま、まずかったかのう?」
中路の問いかけに、仙充郎の頬に冷や汗が伝っているのが見えた──ように感じた──。
「そんな言い方じゃ、いくらあの子みたいなガキでも素直に喜びませんよ」
しれっと発射された鋭い刃が2本ほど俺の胸に突き刺さったが、研究員はお構い無しに続ける。
「もっと的確に子供心をくすぐるエサを用意しないと、思春期は釣れませんって」
さらにもう2本、今度は取っ手付きの槍が深々と刺さった。
「アンタが留めを刺してるって、気づいて……」
致死量の羞恥と致命傷の傷を負った胸を押さえながら、うずくまった。
「まあまあ倫也君、顔を上げたまえ」
元凶の仙充郎がなだめに入る。
まだ落ち込みモードから脱せていないが、そこはなんとか大人のメンタルで耐えきった。
俺が顔を上げたところで、仙充郎は答えた。
「君の質問だがの、7割正解と言ったところじゃ」
「残りは?」
仙充郎は、ううむ、と熟考する。
「……現時点で根拠のある説明は出来んの。すまんが、そのうちで良いかね?」
「え、はい、構いませんよ」
「すまんの。アイン君が戻ってきたら、全て話せるはずじゃ」
アイン。その単語を聞いた瞬間、先ほどの神話魔術書の内容が浮かんだ。
「アインって、あの本に書かれてた〈精霊アイン〉ですか?」
「そうじゃ。ついこの前、顔を見せに来たぞ」
「精霊が……顔を、見せに……?」
あまりに想像できない光景に、思考が停止した。
「……よし、決めた!」
唐突に中路が、テンションが上がった声色でガッツを決めた。
どうしたんだ、と口を開こうとした瞬間──。
「お前さんのあだ名はリン坊だ。うん、我ながらいい名付け感覚だなっ」
──などと、全く意味のわからないことを自信ありげに主張してきた。
「意味わかんないし! いちいち流れをぶち壊しに来るな、アンタは!?」
あまりの突飛さに思わず驚愕ついでに声を張った。
「なんだ、気に入らなかったか?」
中路は、キョトンとした反応で俺を見た。
「気に入る気に入らない以前の問題でしょうが!」
「なんだよ、わがままだな。なら他のにするか?」
「もーー何言ってんの、この人ッ!?」
頭をガシガシ掻きながら、海老ぞる。
アドバイザーになると言っていたが、1から100まで見事に不安要素しかない。
「それで少年、あだ名なんだが──」
「いや、掘り返すのかよ!?」
*
「ふう、遊んだ遊んだ」
「もう、やだ。帰りたい……」
あだ名決めのやり取りでかれこれ30分。俺は精神的に限界が来ていた。
仙充郎は用事があると言って途中退出。そこからは怒涛のボケの滝にツッコミラッシュ。
「いやぁすまんな。お前さんの反応が楽しくてついやりすぎてしまったぞ」
俺の額に怒りマークが添付される。もし疲れていなければ、ヘラッと笑った中路をグーで殴っていたことだろう。
「それじゃリン坊、本題に入っていいか?」
(やっとか……)
辟易としていた俺は、いつの間にか決定したあだ名に突っ込むことをせず、コクリと頷いた。
中路がキーボードのエンターキーを押すと、部屋の目の前のパソコンが駆動音を出し始めた。画面にあらゆるコードが現れ、それが下から上へと巡って行く。
コードの写移が終わり、画面がパッと映り変わった。
読み込みマークが一定の回転数で自転し始めた頃に、中路が話し始めた。
「さて、リン坊。ぼくが入口で言ったことは覚えているか?」
「入り口で言ったこと──」
記憶の映像を巻き戻し、この集会所に入る前の所で止めた。
「黙秘厳守ですね」
「お、覚えてたな。正確にはこれからお前さんに話すことを。だがな」
コードの読み込みが終了し、画面に1つの輝く球体が映し出された。いや、正確には半透明の輝く光。
「〈精霊〉……?」
俺は実体を持たない光体をそう呼んだ。
「へえ、驚いたな」
中路は驚嘆の声を上げた。
「え?」
「まだ説明してないのに、〈精霊〉を知っていたのかと思ってな」
「……本に書いてあったじゃないですか」
僅かに迷った。俺に身に覚えの無い記憶を。記憶と呼べるものかどうかは分からないが、俺にはこれが〈精霊〉だと確信していたことを。
「そうだな。確かにあった。だが、姿かたちまでは書いてなかったはずだが──まあいい。進めるぞ」
タンッとキーボードが叩かれた。
「姿──とは言っても、見た目は様々だ。人の形から鳥、樹木や昆虫などなど……」
スライドされていく画面には、いろいろな形のシルエットが流れる。
「あの本、どこまで読んだんだっけか?」
「えっと、第3項の魔術師までです」
「なら問題ないな。ゼロから説明はしないぞ」
中路が言い終えた後、画面が切り替わった。
「あ、こいつ!」
目を合わせた瞬間、生きることに絶望すら覚えるような理不尽な存在。ブルーライトを放つ画面に映ったそれは、夕方にいやほどこぶしを合わせた影だった。
「どうだ、見覚えあるか?」
「見覚えも何も、俺たちはそれに襲われて……!」
「まあそうだろうな。お前さんを呼んだのもこいつが主な理由だしな──」
「教えてください! それは何なんですか? なんで俺たちを襲ってきたんですか? それが理由ってどういうことですか!?」
中路が言い終わる前に食らいついた。次から次へと溢れ出る困惑と怒り、強い疑問を吐き出していく。
「まあまあ、落ち着けって。それをこれから説明するんだろうが。だからいったん冷静になれ」
ギリッと顔に力が入る。
「リン坊」
「…………っ、──はい」
喉元まで競り上がってきた様々な屈託を抑え込み、形相になりながらも飲み込んだ。
中路は軽い溜息をつき、頭の後ろをポリポリと掻いた。
「説明する前に聞いておくか。なぜそんなにムキになったんだ?」
「……夕方、下校途中に影に襲われました」
「ああ、知ってる。見てたからな」
「あの時、襲われたのが俺だけならよかったんです。じいちゃんのおかげで、少しなら武術の心得がある。でもあそこには舞が、力がない人もいた!」
6年前のあの時のように、力がないものは為すすべなく蹂躙される。
「おかしいじゃないですか! 抵抗できないんですよ、普通の人は! 俺ですら死ぬのを覚悟したくらいなのに!」
夢と思わなければ正気を保っていられないほどの地獄風景。
「俺は嫌なんです。こうしてるうちにまた誰か襲われるんじゃないかって。少しでも早く強くなって、抵抗できない人を守らないとって」
ギリッと歯を食いしばって、焦る気持ちを抑える。
「そうか」
中路は穏やかに微笑を浮かべた。
「お前さんは優しいな」
そのまま機器に寄りかかり、腕を組み軽く下を向き、すぐに上げた。
「今、この世界で何が起こっているのか、話そう。リン坊、お前さんを信じてな」
そう言い、中路は語りだした。