レインⅠ 2章・魔術師①
魔術師②、⑤に能力説明があります。
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無限に広がる漆黒の闇夜に、神々しく浮かぶ独つの衛星。
満月が背身を照らす中、その下では静寂が弾かれるような刺突音に呑まれていた。
「──せいっ!」
『ウオッ!?』
自身より一回り大きな体躯を誇る影を、右手に構えた短剣で、躊躇なく切断した。
体の周りに淡い輝きを放つ羽衣がヒラヒラと舞っている。一見機動妨害にも見えるが、決してそのようなことはない。むしろ、身体能力全体が格段に上昇している。
影との戦闘を始めてから、はや30分。本来ならば酸欠で既に意識不明になっているところだが、俺の体には疲れの片鱗すら見えていない。
「すげぇな、この力」
つい先程解放したこの力に感心しつつも、絶え間なく襲いかかる影を背に、そびえ立つ鉄筋コンクリートの壁面を利用して、影との距離をとりながら、一体ずつ確実に屠る。
刹那──。
空気が、全身に重くまとわりつくような感覚を覚えた。
(来たか!?)
『──ウウッ、グオオオオオォォォッッ!!』
巨大な咆哮と共に、視界が大きくうねった。比喩ではない。実際、数メートル上空が歪み、ねじれから湧き出た濁黒の瘴気が集合して〈魔族〉を形成し、滝のように留まることなく排出されていく。
ビル側面に仁王立ちになり、大地を軽く埋め尽くす人型、空中には背中から翼の生えた妖鳥型……。軽く目を走らせただけでも100体はゆうに超えている。
「なんだよ、これ」
おかしいだろ。デタラメ過ぎる。まるで無限回廊に迷い込んだ気分だ。
〈精霊〉の加護を受け、指に収まる数なら対処しきれるようになった。だが目の前のこれはどうだ。どう考えても1人でどうにかできる量じゃない。指示もまだ来ないし、どうする──。
『グオアァッ!』
妖鳥型の影がすかさず鋭爪で切り裂きにかかってきた。
「──って、うわあ!」
間一髪──まさしく髪の毛1本分ズレていたらズタズタにされていた──で避け、勢い余って体勢が崩れていた妖鳥型に短剣を差し込み、そのまま押し返すように貫通させた。
影は苦痛から出る雄叫びを上げ、霧散していった。が、すかさず後方で構えていた影が束になって襲い掛かってくる。
「ま、まて、落ち着け! 俺は美味しくないぞ────いやぁぁぁ、来ないでぇー!!」
大地を揺るがすほどの〈魔族〉が、容赦なく追いかけてくる。
途中、何体か流れで斬ったが、そんな連中の断末魔なんか耳に入れる余裕も無い。僅かな気の緩みすら許されない物的量の絶大さ。一体一体なら大した戦力ではないが、こうもまとまっていると個々に倒すことが難しくなる。こうなったら……。
地面をはじき、影に大きく距離を取った。
「ちくしょう、やってやろうじゃんか!」
口頭で説明されただけで、感覚は知らない。しかも、失敗をしたらタダじゃ済まない。というかここまで追っ手が多いとさすがに怖い!
代償が大きいらしいが、今はそんなことを言っている場合ではない。敵が多く、俺の〈霊力〉を考えたらチャンスは少ないが、やるしかない。
──集まれ。
目を閉じ、念じた瞬間、半径数メートルが淡く光り出した。光の粒子が渦巻いて手元の剣に収束していった。
「これが……」
光の粒子が収束した剣が、強く発光した。
ギッと鋭くした視線を魔族に向ける。
「【レイ・ブレード】」
剣先が伸長した。タンっと地を蹴り、影の大群に向かって速度を上げていく。常人ならざるはやさで影との距離を零にし、火力が段違いに跳ね上がった一太刀で10数体を葬った。
「うおおぉぉ!!」
壁面に足を掛け、力の方向を急激に変化させる。勢いを加速させ、ライン上にいた6体の影を斬った。
「まだまだぁ!」
ラインを変え、10体、20体と追加で葬る。流れに乗ったと思ったその時──。
『グルァッ!!』
ガギィンッと剣先が鈍い音を上げ、失速した。
「なっ!?」
(そんな……止められた!?)
剣を受け止めた〈魔族〉は今まで相手にしていたそれとは違い、より濃い濁黒色の瘴気を放っていた。
『グアアッ!!』
「ぐっ!?」
剣が弾かれ、大きく後退した。
相手の反撃の強さに押し負け、僅かにでも動きを止めてしまった事により、全体の流れが一気に変わった。
『オオッ!』
「くっ……!」
僅かに怯んだ隙に距離を詰められ、今までとはひと味違う〈魔族〉の隆々とした剛腕でなぎ払われる。
「う──ッ!?」
空中にふっ飛ばされ、勢いが衰えぬまま高層ビルの壁面に衝突し、ガラス張りを破壊し室内に転がり込む。
「──あっ、かは──っ……」
視界がねじれる。
背中を強く打ち付け、痛みで身をよじりながら苦悶した。
(そんな、まだ〈霊力〉は残ってたはずなのに。まさか、力負けするなんて……)
歪み倒された室内のテーブルに手を掛け、自力で立ち上がる。が──。背中に鈍い衝撃が走る。気づけば、体は反転し、室内の端の壁にもたれ掛かるような状態になっていた。
「ぐっ、げほっっ!?」
口内に鉄の味が広がる。端から滲み出た暗赤色の液体を拭い、虚ろになりながらも、衝撃が走った方を見た。
「なんだよ……無茶、苦茶だろ……」
1歩ずつ着実に瘴気の濃い影が距離を縮めてくる。瘴気に触れたテーブルやコピー機等が、為す術なく木っ端微塵にされていく。
(まずい、まずいまずいまずい──!!)
どうする? どうやって倒す? いや──それ以前に逃げれるのか? この状況をクリアできるのか? 逃げる? どうやって。右──だめだ、さっき吹っ飛ばされた時に一緒に崩れてしまってる。そっちは無しだ。なら左──くそ、壁……論外だ。そもそも退路がない。万事休す──。
ここにきて身動きが取れなくなった。影は刻一刻と近づいてきてるというのに。
何を考えても、どんな攻略法を考えようとも、目の前の〈魔族〉が最後の壁になる。逃げるな──と警告されているかのように。
背中の痛みが強くなる。体内の危険信号が鳴りやまない。夕方に感じた死の宣告をより身近に感じる。思考回路に恐怖がまとわりつき、怖気立つ──。
「随分と無茶しよったんねぇ」
その時だった。五感に安らぎを与える甘美な男声が〈魔族〉の後方から聞こえた。
「まぁ、いろいろと初めてにしちゃ良くやった方やね」
直後、夢の中に引き込まれる、ようなふわふわした感覚に見舞われた。
花弁独特のほのかな甘味、ふうわり身を包むような明風。
五感、五体全ての力を根こそぎ吸い取る優しい空間に、俺は浸りかけていた──。
『──ゴッ、アッ……────』
〈魔族〉の呻き声を上書きするように、パチィンッと指を弾く乾いた音が無残に壊滅した室内に響いた。
「もう平気やよ」
肌にまとわりつく浮遊感覚はいつの間にか消え、俺に迫っていた一際屈強な影も目の前で徐々に黒灰へと風化していった。
──なんて濃い色なんだ……。
幻想の彼方から戻ってすぐの俺は、その妖艶な色調に身を包んだ好青年に見惚れてしまった。
青藍の清い縮れた髪色が映える。
美しく、鮮やかだが、強く、濃く、深い瑠璃色の〈気〉。
他の魔術師ならば奥側が透けて見えるが、この青年の〈気〉は数ミリ先すら全く見通せないほど密度が濃い。
相当。なんて言葉で表せるようなものではない、まるで立っている土俵が違うと言わせるような、圧倒的強者の存在感を放つ。
「た、助かった……。ありがとう、志峰」
俺は目の前の美青年に礼を言った。
「まだお子様に中位魔族はきつかったかね?」
和服に包まれた志峰は、クスクスと微笑した。
「うううう、みんなして俺をガキ扱いしやがってぇ……」
「あの程度に手こずるようなら、これから先命がいくつあっても足りんよ?」
「まだ慣れてないだけだもん! 慣れたらあんなの小指でポーイしてやるからな!」
「ふふ、強気やねぇ。楽しみにしておくんよ」
集合場所に行こか。と促され、痛む背中を擦りながら小走りで志峰の後を着いて行った。
*
「なぁ倫也、今回が初めてなんやっけ?」
集合場所に向かっている間、志峰は俺に尋ねてきた。
「なにが?」
「〈精霊魔術〉を使った戦闘やよ」
「初めてだけど、なんか変だった?」
目を細め、何かを覗くような視線を向けた。
「……いや、何でもない。忘れていいんよ」
志峰の心意がわからず、俺は首を傾げる。
すると、右耳につけたままのインカムから雑音のようなノイズが響いた。
『──坊、聞こえるか、リン坊』
「ん? 中路さん?」
ノイズが無くなり、代わりに男性の軽快な声色が鼓膜を刺激した。
『やっと繋がったな。まったく、ちょろちょろ動きすぎだぞ』
「どういうことですか。ていうか、戦闘中のアドバイスが1つも来なかったから色々大変だったんですよ?」
『こっちからリンクする前に勝手に移動するから、ずっと頑張って追ってたんだよ』
中路と呼ばれた、若干投げやりの軽快さが薄まった疲れた男声が、インカムを通じて伝わってくる。
「あー、それはすいません」
『そのことはまあいい、とりあえず戻ってきてくれ。お前さんに紹介してなかった最後の一人が戻ってきたからな。美人だぞ?』
「マッハ10で戻ります」
間髪入れずにそう答え、インカムの通信を切った。
「ごめん志峰、中路さんに呼ばれたから先に戻るな」
「ん、わかった。お疲れさん、倫也」
志峰に別れを告げ、行き先を念じた。すると、自身の周りが眩い光のカーテンに囲われ、瞬く間にシューズのタップ音が響く白いタイルの空間に移動した。
中路のいる部屋に向かう足取りがルンルンと踊っていたのは本人以外のすれ違った全員が気づいてたという。
「美人、戻ってきた、本部にいる最後の一人……」
倫也が去った直後、志峰はインカムから漏れて聞こえていた声を反芻していた。
「うーん、やっぱりあの人やよねぇ……」
「珍しいわね。あなたがただの新人一人に固執するなんて」
志峰が顎に手を当てて考え事をしていると、横からおしとやかそうな女性が声をかけてきた。
「優花はん。倫也の命が危ないかもしれんよ」
志峰は、色気にじみ出る声から一転、まじめな雰囲気を出していた。
「なぁに? 藪から棒に。新人ちゃんがなにかやらかした?」
めったにない志峰の真剣な様子とは相対して、ふんわりとした口調で返した。
「倫也、たぶん姫さんのところに行ったかもしれん」
優花は、志峰の言葉にピクリと眉をわずかにひそめた。
「……たしかに危ないわね。まったく、おじさまったら相変わらず趣味が悪いんだから」
優花は、辟易とため息をついた。
「万が一のことを考えて、おいは本部に戻るけど、優花はんはどうするつもりね?」
「わたしは帰るわ。妹が起きて待ってることだし」
「妹はん、寝不足にさせんようにね」
「わかってる。今回は早く終わったから、驚くと思うわよ」
そうして、優花は帰路に、志峰は他のメンバーと別れ、本部へと飛んだ。