009
「……」
リネの中であの猫との記憶が鮮明に蘇る。
小さな指でゆっくりと優しくなでないと、壊してしまいそうな体。
立ち去る時には惜しげに、その場に座り込んだ時にはうれしそうに鳴く声。
「その女の子と同じように指の背の部分で子猫のホホなどを撫でたりしてかわいがっていたんだ」
それから僕は時々猫……いや、猫をかわいがる女の子の様子を見に行くために、帰り道とは違ったその道を通って帰ることにした。
「あれは、小雨の降る日だったね。傘は持っているけど、長い間外にいると傘を差しても濡れてしまうのがイヤだなぁ~って考えていたんだけれど、その日も結局猫と女の子の様子を見に行くことにしたんだ。いやその時にはもう猫のことはどうでもよかったのかもしれない」
ここが僕の家だよ。
そう言いながら、一軒家の前で立ち止まる。
表札に目を向けると確かにカナタと同じ名前が書かれていた。
玄関の扉を開けた彼は下駄箱の横に、リネから受け取った鞄をそっと置いた。
「こっちです」
言われるがままにもう一度外に出て、庭の方へ向かう。
「どこまで話しましたっけ?」
「雨の日に見に行った所だね」
おそらく、あの日のことだ。彼の話が私の記憶と繋がり始める。
「うん。その雨の日、女の子が立ち去った後に、いつものように子猫の様子をみたのだけれど、ぐったりしていて……」
ちょっと辛そうな横顔を見ながら、後についていく。
小さなわき道を通り過ぎると少し広い庭が見えた。
奥にある大きな木が目につくぐらいで、広げるもの次第では小さなパーティーが開けることもできそうな広さだった。
「少し触ったらちょっと反応はあったけど、いつもとは様子が違ったから、慌てて家に連れて帰ったんだ」
私にはそんな素振りを見せていなかった。
いつものようにかわいらしい鳴き声をあげて、私の差し出す指に前脚や舌などで遊んでいただけだった。
「いつも楽しそうな顔をしてボクと遊んでくれたからねっ。そんな、リネセンパイには悲しませたくなかったの」
「えっ?」
思わず顔を上げると、そこには先ほどとは様子の違った彼が笑顔でこちらを見ていた。
この笑顔は・・・今日の昼間に見た彼だ。
思わず私は身構える。
「……うん。ボクは、リネセンパイにそんな顔をさせたくなかったんだけどね」
笑顔のまま、少し悲しそうな顔で私を見つめる。
「?」
そしてまた歩き出した。
「結局、この家に連れてきてくれたんだけど、少しして……」
彼はゆっくりと歩きながら庭の奥にある木の下で立ち止まった。
視線を足元に向けたのでつられて私も後を追うと、小さく土が盛り上がった部分があり、その上に小さな木の板がささっていた。
「この家の皆さんには、最後まで良くして頂いたので悔いはなかったんだけど」
私はその場に座り、盛り上がった部分をじっとみつめる。そしてゆっくりと手を合わせた。
「あの時にボクを気にかけて、毎日のように遊んでくれた女の子……リネセンパイだけがどうなったか気にはなっていたんだ。ちゃんとお別れもできなかったから」
「そっか」
私は立ち上がって彼の……カナタの目の奥に居るあの子を見た。
「ごめんね。気づいてあげれなくて」
「あやまらないで。リネセンパイがボクの事を今でも覚えてくれたことが嬉しかったから、元気に楽しくすごしてるリネセンパイを見てるのが一番嬉しかったから」
あの子が私の顔にそっと触れて目じりを指でなぞる。涙を舐めとるように。
「うん。ありがとう」
「あ……」じっと自分の手のひらをみつめる彼。「……そろそろ時間みたい」
「えっ……」
ゆっくりと瞳を閉じる。
「今度こそちゃんとお別れができたね。さようなら、リネセンパイ」
そしてまた瞳を開けたとき、表情はいつもの彼に戻っていた。
「あの子と話しているときに、ちゃんと意識はあったんだね」
休みが明けた月曜日の学校の帰り道。いつものように2人並んで歩いていた。
「うん。意識があるだけなんだったけどね」
土曜日のあの出来事のあとは、あまりにも突然の出来事だったので何から話出したらいいのか分からず、日を置いてから話そうということになったのだった。
日曜日に電話で話し、今日も休み時間と放課後にも話をした。
しかしあの時に彼の中に現れたのは、あの時の猫だったのだろう。という事以上のことは、話し合っても進展することはなかった。
「あっ、そろそろ文化祭の準備が始まると思うけど、その時も一緒に帰ろうね」
「もちろんです」
カナタは笑顔でうなづく。その笑顔に子猫の姿を映すことはなかった。
「リネ先輩、それと文化祭一緒に見て回りましょうね」
「それこそ、「もちろん」だよ」
end.