第十五話 心配性な従者
「そう言えばそろそろゼロ様が帰ってくるみたいですね?」
「そうね、でもそれなりの頻度で連絡は取っているのだから殊更騒ぐような事でも無いでしょう」
ノワールは言葉では素っ気なくそう告げるがその口元は微妙に緩んでいる。肝心な所で素直でない彼女の事だからこの言葉は本心では無いのだろう。
当然長い付き合いであるハンナはその事を察していて内心ニヤニヤしているのだが、これは知らない方がいい事だろう。まあ察しが良いノワールは当然その事を察してしまい機嫌が悪くなると言うのが何時もの流れなのだが。
「あ、そう言えば新しくこの国に住む事になった人が出来たみたいな事をいってませんでした?」
ノワールの機嫌が悪くなったことを察したハンナは慌てて話を逸らすために話題を提供した。ノワールは少しだけジトっとした目でハンナを見た後、軽くため息を吐いて話しに乗ってくれた。
「討伐に向かったダンジョンが高位の魔法使いに乗っ取られていたみたいよ。その魔法使いを捕縛したのはいいのだけど、その後にその魔法使いに無理矢理召喚された人間が居て、それがゼロと同郷だと言う事で色々面倒な事になってるみたいね」
「そうですね。まあゼロ様の場合だと見捨てるのは躊躇いそうですものね」
「最終的な判断は間違えないでから大丈夫よ。まあ色々考え過ぎる事があるから状況によっては後で内心引きずりそうだから、そこは気を付けないとね」
二人とも仕方が無いと言った表情で笑い合う。
ゼロは根本的な所で甘い。まだ平和な日本での価値観を引きずっている所があるので仕方が無い事だと言えるかもしれないが、それでも王としてみたら欠点だろう。最悪を想定する事は王として最低限のものである。
今回の件で言うのなら情報漏洩の可能性を考慮し速やかに処分してしまう事も選択肢としては存在していた。だがゼロはそれを選ばなかった。考えなかったわけでは無い考えながらも見逃すことにしたのだ。
可能性としては僅かだがそれでも見逃す理由にはならない。だがゼロの人としての感性がそれを拒否したのだ。本人の自己評価通り他者への関心が薄いのは確かだが根は善良であるが故だ。
二人の笑みはそれを理解しているが故のもので、ある種の苦笑とも取ることができる。甘い判断だがそれによって助けられた事がある二人はその判断を嫌う事ができないでいるのだ。どちらかと言えば理屈っぽい性格で、理性で行動しながらも肝心な部分でお人好しとも称される甘い所が存在する。本人は冷静に物事を考えているつもりなのだろうが、その冷静さの中には出来る限り多くの人を救おうと努力していた節が見え隠れしている。
ゼロは身内以外には興味が薄い人間だが、どうでも良いと思っている訳では無い。ゼロは割と常識的で真っ当な倫理観を持ち合っている人物である。他者を虐げて悦に入るような気質も、不幸を喜ぶような性質も持ち合わせてはいない。
それらの要素が中途半端に合わさった結果、どこか甘さが残る王様が完成したという訳である。ただ甘いとは言ってもそれは価値観から来るもので、本人の気質としては他人に関してはどうでも良いと考えている所もあるので下手に過信して付け込むような真似をした場合どうなるのかは分からないが。
「それと姫様ももう少し頑張って下さいよ。もう二年近くも一緒に暮らしているのに殆ど関係が発展していないじゃないですか? 仲が良いのはいいですがそれでも未だにキスすらしてないのは流石にどうかと思いますよ?」
「ゴホゴホ……いきなり何の話よ?」
「あ、ちょ掛けないで下さいよ」
「誰のせいだと思って……はぁ、まあいいわそれでいきなり何の話よ?」
急な話題の転換とその内容にノワールは思わず口にしていた紅茶を吹き出してしまう。ハンナは慣れた動作でそれを片付けながら質問に答えていく。
「当然。お二人の関係についてですよ。ゼロ様はどう考えても自分からどうこうしてくれるような人ではありません。それなら姫様の方から行動するしかないじゃ無いですか」
「え……っとそれはちょっと……」
さり気なくヘタレ扱いされるゼロだが、まあ間違ってはいない。そもそも二人ともそれほど恋愛に積極的な性格をしていない上に現状の生温い関係で満足してしまっているせいで、同棲二年目を過ぎても微笑ましい。周りからしたらモヤモヤするような関係のままなのだ。
当然、冷やかしつつも応援しているハンナからすれば途方も無くじれったい。ゼロの方にも何度か焚きつけにいったりもしたのだが、それなりに打ち解けたとは言え主と従者、そういった意味ではノワールとも同じような関係だが長年共に過ごした分ノワールに対しては言いやすかったのだ。
それにハンナは別の危機感も感じていたりする。ゼロは街での女性の人気が高い。というのも若く、標準から見ても十分に整った顔立ち、国の最高権力者、婚約者は居ても正式な妻はいないという現状、正直条件面で言うのなら狙わない方がおかしいと思えるくらいだ。
一応それなりの数の婚姻話も出ていたりはするのだが、ゼロ自身がそれを全て断っている事で色々と面倒な事になっていたりするのだ。ゼロが断っている理由は単純で少しお堅い倫理観を持っているからだ。政略結婚の意義も必要性も理解して居ても、よほど緊急性を要さない限りしたくはないと考えているからだ。
だが、だからこそ、その倫理観をハンナは心配していたりもするのだ。良くも悪くも一度身内と認めた人間には甘い傾向があるゼロが万が一そんな女性と関係をもってしまったら、その相手に対して冷たい対応をとれるかどうかと言われれば非常に怪しい所があるとハンナは考えていたのだ。
それにこれまでの反応から分かる様にゼロは確実に女性慣れしていない。だからこそノワールとの初々しい関係も微笑ましく見る事ができるのだが……
……あと、割と押しに弱そうですし、純粋な好意を向けられた時にもどうなるか分かりませんしね。
チラリ、とハンナはノワールの胸元部分に視線を向ける。無い訳では無い。ただ外見年齢相応である。肉感的と呼ぶにはほど遠く少女然とした慎ましさですらある。
ハンナが脳裏に思い浮かべるのはあからさまにゼロに好意を抱いているであろう部下の姿、今年十六になったばかりの彼女だが、その胸部はノワールとは比べるのがおこがましい程の差がある。
彼女にも一応釘を刺してはあるが、年頃の少女は時折思いもよらぬ行動を取る事があるのをハンナは良く知っている。彼女を仮想敵と考えた場合、この私生活では色々ポンコツな姫様では少し荷が重いかも、とハンナが思ってしまうのも仕方が無いだろう。
周囲に恋敵となる相手がいると言うのに、それに気が付かずに生温い関係で満足しているのだ。全力で攻めに来る恋敵が出来たらどうなるのやら、と感じてしまうのも仕方が無いだろう。
その為にももう少し積極的になって欲しいと思うのだが……この反応からしてそれは難しそうである。
思わずため息を吐いてしまったハンナだが、ノワールがそれを見て睨み付けてくるので慌てて謝罪の言葉を告げるのであった。ヘタレな主人を持った従者は大変である。
数日後、ゼロの帰還も近づいてきたとある日、ハンナは部下を連れて街まで買い出しに出掛けていた。何を出しても基本的には文句を言わずに食べるゼロだが、好みかそうで無いかによって反応は異なる。
栄養バランスを考え、それでいて満足の行く食事を提供すると言うのは従者に取って最低限の嗜みだとハンナは考えているのだ。
私生活でも何でも基本的には自らの手でやってしまうゼロに対してお世話する事ができる数少ない事柄だからこそ、手を抜くという選択肢はハンナには存在しない。寧ろ全力を尽くす以外の選択肢は存在しない。
ハンナの忠誠心の行く先はノワールだがゼロに対してそれが無い訳では無い。助けてくれた感謝の気持ちとノワールを幸せにしてくれるであろう存在として認識し、ノワールと敵対してりしない限りは全力で仕える所存である。
「近頃は大分商品の種類が増えて来ましたね……」
「そうですね。さっき寄った八百屋でもかなりの種類の野菜がおいてありましたし、やっぱり街って凄いんですね」
「街に関してはここを基準にしない方がいいですけどね。収穫期でも無いのに新鮮な野菜が置いてあるなど普通はあり得ませんし」
「そうなんですか?」と軽い感じで返事をしたのはシンディである。何時もはどちらかと言えば雑務に当たる業務である買い出しなどはハンナでは無く別の人物に任せているのだが、今回は少し話したい事もあるので代わって貰っている。
別に他の仕事中に呼び出して話を聞いても良かったのだが、出来れば自然な会話での本音を聞きたいと思って居たハンナはこういった手段を取る事にしたしたのだ。
「そう言えばシンディはミティがゼロ様に向けている感情についてどう思ってるのですか?」
買い出しと言うのもそう長い時間では無いので早々に用事を済ませてしまおうと考えたハンナは早々に話題を切り出した。ちょっと気になった事を聞いてみた。みたいなノリでの質問だが内心ではかなり本気の質問である。何せシンディは使用人の中ではゼロとかなり仲が良い方である。あまり異性を感じさせない距離感での会話が気に入っているのか、ちょくちょくゼロと会話していている様子が見受けられる。お互い意識せずにタイミングが合ったら、と言った様子だが、逆に考えると用事が無くとも会話をする程度には仲が良いと取る事ができる。
彼女がゼロのミティの仲を取り持とうと考えたらそれなりに警戒する必要があるかもしれないとハンナは考えたのである。
「そうですねぇ……まあ消極的応援といった感じです。正直な所望みは薄いと思いますし今の仕事は気に入ってますから、それにノワール様との関係を見ていると下手に横槍を入れるのもちょっと……って感じがしますから」
シンディのスタンスは積極的に手助けはしないけどフォローくらいはしようと言うものだった。これはハンナを十分に満足させるものだった。
積極的に手伝う事は無く、何か問題が起きる様ならフォローすると言うのは考えようによっては被害を最小限に抑える類のものであるからだ。これなら問題は無いでしょう。ハンナがそのように結論付けようとしたのだが続いたシンディの言葉にそれは覆される。
「まあそれに私も多少はいいなぁ……って思わなくも無いですから。ほら、あんな風に一途に思われるって中々無いじゃ無いですか。ああいうのを見てると少しばかり夢を見てしまうといいますか」
「ははは」照れ笑いのような表情でそう告げるシンディの姿は中々に可憐であったがハンナとしてはそれどころではない。何せ中立だと思って居た人物がまさかの敵側だったのだから。
「それは……どういう事です?」
「いやいや、別に私が……何てたいそれた望みは考えてませんよ。ただ理想というかあんな風な相手が居たらいいなぁってだけですよ」
ハンナから警戒を孕んだ視線を受け、慌てた様子で手を振って否定するシンディだが依然として向けられる視線は厳しいままだ。それもそうだろう先程も言ったがシンディはゼロと仲が良い。異性間を感じさせる仲では無いがそれでもその距離は非常に近しいものなのだ。
そんなシンディがゼロに対して非常に好意的、……これまでの発言からして自分からアプローチを掛ける可能性は低そうだが、逆に言い寄られるようならみんなに悪いけど向うがそう言うなら……といった感じで消極的でありながらも内心喜んで着いて行きそうな雰囲気をしている。この事にハンナは非常に危機感を感じさせられるのだった。
ゼロが自分から声を掛ける様子は想像できなかったが、シンディは他の人に比べれば会話をする機会も
多い、決して油断できるような相手では無いだろう。
ハンナは地雷の撤去作業をしようとしたら新たな地雷を発見してしまったかのような心境になるのであった。
「姫様。本気でもっと頑張ってください」
「えっと、いきなり何?」
「だからホントもっと危機感を持って下さいよ!!」
「だから何なの!!」
取り合える屋敷に戻ったハンナはノワールに発破を掛ける事にした。裏方の苦労は終わらない。




